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BUMP OF CHICKEN「話がしたいよ」~誰かと歌いたくなるひとりの唄~

夢が叶った。漠然と思い描いていた夢が。それからきっとこれは正夢とも言える。ダブルミーニング的な夢の話を綴ってみる。

きっとこの日は共作記念日になった。2020年4月16日。

http://ongakubun.com/archives/14174

今回のプロジェクトが本格始動したのは今年の1月だけれど、よくよく思い返せば、きっともっと以前から何となく考えていたことで。その証拠が過去の音楽文に残っている。(自分で書いたものを見返すことはめったにしないのだが、必要なので…。)

http://ongakubun.com/archives/9615

2019年8月14日に掲載された音楽文には、こんな記述がある。

「話がしたいよ」について
(5月29日早朝)日の光が射し込む電車の車窓にもたれて、移ろいゆく景色を眺めながら、私はひとりで「話がしたいよ」を口ずさんでいた。この瞬間に私と同じようにこの歌を歌っている人がどこかにいるだろうか。いてくれたらうれしい。いてくれると信じている。電車が海沿いを通過した時、水面がキラキラ輝いていた。という夢を見て目覚めた。本当に見た夢の中の話。

これが正夢だったということを今回のプロジェクト成功によって証明された。まぁ、自分が見た夢だから、その夢に則って行動してしまっただけかもしれないけど。とにかく正夢になったと自覚している。

そしてその行動に移り始めたのがこの音楽文だ。

http://ongakubun.com/archives/11545

「音楽文が世界を変える」という音楽文(2019年12月5日掲載)がきっかけとなったことは間違いない。
今は非公開になってしまったけれど、この音楽文にはけっこうコメントをいただけて、そこから交流が生まれて、今回のプロジェクトを本気で思いついたというわけだ。

音楽的に言えばセッション、唄ならデュエット、広義にはコラボ、まぁとにかく文章だけでそんなことができないかなと考え始めた。

「音楽文にもらえたコメントを繋げるだけでも新しい音楽文になりそう…会話を交えた音楽文なんて書けないかな。」

そんなことを考えると同時に「話がしたいよ」についてはその曲だけで何か書きたいというか、どうしても <「話がしたいよ」について話がしたいよ> というタイトルで書きたいと思いつつ、<〇〇の話がしたい>というタイトルの音楽文はちょくちょく見かけていて、パクってるようで、なんだかこのタイトルは使えないな…なんて思ったりもしていた。

ご本人の許可をもらえればいいのか、というか一緒に書いてもらえないだろうか。音楽文についての音楽文にはコメントをもらえたし、もしかしたら可能性あるかもしれないと期待し始めた。

12月、そんな妄想をしていた矢先、フジファブリック(志村正彦)の件で、なぜか慌ただしくなり、しばらくは「話がしたいよ」どころではなかった。でもお正月(1月5日)一緒に書く云々は置いておいて、とりあえず、自分だけで「話がしたいよ」についての音楽文をしたためてみた。これは今年の書初めで、けっこうな文量になった。6890字。別にひとりでこのまま投稿するのもアリかもしれない。でも、やっぱり内容的にふたりで書いてみたい。誰かと一緒に書くことに憧れを抱く流れの音楽文になっていたから。

いつか誰かと共作してみたいという新しいアイディアが生まれた。基本的に一人で書くことが好きだし、他者と一緒に書くことは何かとたいへんかもしれないけれど、もしも共感してくれる人が現れたら、一度でいいから同じ曲に関して合作してみたい。または相聞歌のように音楽文を書き合ってみたい気もする。掲載された音楽文に対しての音楽文のような、現実的には難しいだろうけど、何かそういう新しい挑戦がいつかできたらいいなと密かに夢見ている。
個人の戯言に過ぎないけれど、音楽文にオフ会があれば、そんな話もしてみたいと思ったりする。オフ会が実現したところで、私は絶対参加しないタイプだけれど。

なんて綴っていた。けれど、お正月が過ぎると、また志村くんのことで何かと慌ただしくなり、やっぱり「話がしたいよ」どころではなくなっていて、落ち着いたのが、1月下旬のことだった。

話しかけてみることにした。一緒に書いてもらえませんかと。そしたらOKもらえて、読んでもらって、書いてもらえて、二人の音楽文を組み合わせて、試行錯誤を続けること実質3ヶ月程度…(話を詰めたのは終盤1ヶ月)なんとなく形ができて、タイミング良く藤くんの誕生日に間に合いそうということで、投稿していただき、少し掲載されるまで時間がかかったため、早とちりして、見送られましたねとがっかりして落ち込んでいたら、無事掲載されたという話。ツイートでカテゴリの話をしたけれど、あれは事務局様へのお礼を言いたかったというわけです。年齢は同じだから問題ないとして、住んでいる地域が違う者同士だから、投稿した人の地域のみになるだろうと思っていたら、両者の地域を加えてもらえていたことに感激した。ご配慮していただいたと。前日はどうせ自分の想いなんて届かないんだなんて僻んていたから、なおさらうれしくて。ある意味これは会社で言えば企画書が通ったくらいうれしいことで。共作なんてちょっと発想がおかしいかもしれないけど、でも真剣に取り組みましたとプレゼンしてみたら、採用してもらえたみたいな喜びがある。そもそも共作は邪道かもしれないし、審査する側はたいへんかもしれないし、私の妄想は他人様に迷惑をかけるだけかもしれないと自信なかったから。

今回一緒に書いてくださいとオファーした時だって、そもそも共作は認められないかもしれないし、二人で時間かけて苦労しても無駄になるかもしれないし、無事に掲載してもらえたとしても、賞の選考からは外されるはずですが、つまり何の得にもならない私の趣味に付き合わせるだけで、それでも一緒に書いてもらえますか?と念を押して、了承してもらえた話だから、まずそれが一番うれしかった。

思い返せば高校時代、テスト間近、勉強するため部活停止期間というのがあって、テスト勉強しなきゃいけない時、私は友達を誘ってカラオケとか遊びをしていた。その時、真面目な友達からは白い目で見られた。本来やるべきことがあるはずなのに、一緒に寄り道してくれた友達は忘れられない。その時と同じ感覚がした。
学生時代より、今は大人なんだから、やるべきこと、優先しなきゃいけないことがたくさんあるわけで、お会いしたこともない社会人の方に趣味に付き合ってくださいなんて本当は失礼な話のはずなのに、快く引き受けて下さった。

しかも本題の音楽文だけでなく、短歌なんて無理難題をお願いしてしまって、悩ませてしまったりもした。私自身、短歌など詠んだことがない。私の短歌をプレバトの夏井先生あたりに見てもらったら、凡人以下だろう。けれど、本文にも書いた通り、仕事で知った連句の話がとても印象深くて、いつか誰かと一緒に短歌を詠んでみたいなとまた他者に迷惑をかける妄想を繰り広げていたものだから、それを実行してしまった。

短歌もだけれど、一番困ったのは文字数。それぞれ長文の音楽文を書いている身だから、1万字以内にまとめるのが一番苦労した。おそらく本文を書く時間と同じくらいの時間をかけて、必死に文字数を削ったと思う。もう読むのがつらいと思うほどの時もあったし、字数ダイエットは厳しい作業だった。仕方なく削った内容や、削らせてしまった内容もあって、本当はもっと話したいことがたくさんあったけれど、あれで限界だった。

本文のたとえ話に出てくる「対野良猫用あしながおじさん的な活動」という発想からインスピレーションを得て、許可をいただいて、バンプの「リリィ」も登場する物語を書くことができたこともうれしかった。これは決してひとりでは思いつけない話で、誰かからヒントをもらえて自分の世界が広がった感じがする。個人の創作活動にもつながったから、これはたとえ掲載されなくとも、収穫はあったと実感していた。

無事掲載されたから良いものの、今回のバンプや音楽文に対するファンレターのような共同声明は、ダメ元だったため、予備プランも含めて3つくらいのプランを企てていた。まるで映画『アルマゲドン』に出てくるプランBとかそういう類。Aプランがもちろん共作で、Bプラン、Cプランもあって、でも落ちたと早とちりした日は次のプランに移る余裕さえなく、気持ちはかなり停滞していた。ひとりで書く時以上にがんばりすぎていたから。その分、落ち込んでしまった。フライングで。とにかく別のプランに移らなくて済んだので、ほっとしている。

内容的に「話がしたいよ」をベースに、音楽文についての音楽文パート2みたいな位置付けでもあると思っている。今まで個人で書いたどの音楽文よりも一番、個人的には気に入っていて、とうとう印刷までしてしまった。

もしも掲載を見送られたとして、こことか個人サイトに載せることもできたかもしれないけれど、でもやはり<ロッキング・オン>という大企業の傘下に置かせていただけることに意味があると思っている。個人サイトに載せたところで、それほど閲覧されないだろうし…。

しかし掲載してもらうには、ルールに従わないといけないわけで、許されるボーダーラインを探って、日々挑戦している。文章の可能性を探っている最中で、言葉だけで、どれくらい表現の幅を広げられるか真面目に考えている。あまりにも自由奔放に書いているから、ふざけているように思われているかもしれないけれど、当方は至って真面目に楽しい言葉(文章)エンタメを試案、私案、思案している。自分も楽しく、読んでもらえる人の心にも響くように、そしてそれぞれのアーティストにちゃんと敬意も表しながら、努力しているつもりだ。

さてここで、自分の短歌については一応説明を付け加えておきたい。本文中にも書いたけれど、コスモスは花と宇宙(秩序)の両方を指すので、短歌もその通り、2つの意味でのコスモスですと伝えたい。コスモスという花に憧れ、秩序ある宇宙にも憧れて、話がしたいよという単純な短歌です。
悪い癖で、長いこと悩み続けると、自分を見失ってしまい、

バンプのランプに私たち意味をもらった サンキュー藤くんおめでとう

なんてますます短歌からかけ離れた歌まで考え出してしまって、それは秩序ある方に踏み止まらせてもらったので、やはり私にはブレーキをかけてくれる人が必要だなと思った。

少し前に去年11月NHKで放送された録画していた『「天気の子」と僕ら~RADWIMPS×新海誠~』をやっと見ることができた。その中で、新海監督が「この人だって素敵な人をみつけたら離さない方がいい」みたいなことを発言していて、つまりそれは自身にとっては野田洋次郎を指すのだろうが、まさにその通りだと感じた。最初はコメントいただけたし、同い年だし、お互い時々バンプについて書いてるし、なんとなくフィーリングが合うかもしれないとそんな理由でオファーしたけれど、予想以上に私の考えや創作意欲を掻き立てて下さったから、もう何というか、また何かご一緒によろしくお願いしますと願って止まない。

つまり≪バンプが歌うひとりの唄は誰かと誰かをつなぐ架け橋≫だったという話。
「話がしたいよ」を疲れたなという気持ちだけで、なんとなく作ってしまった藤原基央がすごすぎる。

意味をもらった私たち話がしたいよ 藤くんハピバありがとう

なんてのも考えてました。藤くん、「話をしたいよ」を世に送り出してくれてありがとう。BUMP OF CHICKEN、みんなを結ぶリボンのようなひとりの唄をありがとう。

以上、「話がしたいよ」について話がしたいよを掲載してもらえて、うれしいという気持ちをひとりで個人的に綴ってみた。きっと今年うれしかったことのベスト3に入る出来事だった。まだ4ヶ月しか経っていないけれど。

このうれしい気持ちを吐き出さない限り、次の作品に進めない気がして、取り留めもなく書いてしまった。次は童話または短編小説を5月10日までに仕上げる予定。けっこう時間が迫っている。ぼんやりイメージはできているものの、着手できず…。イメージがはっきりすれば、3時間くらいで書けるはず。とにかく提出することが今年の目標だから、がんばろう。

  #話がしたいよ    #バンプオブチキン   #音楽文    #共作    #短歌   #藤原基央

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