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『胎話師 ゆきと』第1話

<あらすじ>
高2の結生幸与は胎児のうちに自慰を覚えた自慰の達人。産婦人科医の父の友人で、同じく医師の透から胎話師にならないかと勧められていた。幸与は透の妻・深琴のことがずっと好きだった。幸与は死産で生まれられなかった弟・愛心の声が聞こえ、会話できるようになった。ある日、同級生・羽山実緒の妊娠を知る。幸与は彼女のおなかの子とも対話できるようになった。悩んだ末、産むと決めた実緒は流産してしまう。幸与は実緒を妊娠させ、逃げた男をみつけ出し、実緒の子から頼まれた伝言を告げる。
予期せず妊娠した実緒、不妊治療中の深琴など悩める女性たちを幸与はどう救っていくのか。新感覚ヒーロー、妊婦や胎児の味方、胎話師ゆきとの物語。

<補足>
少女漫画や女性向け漫画には予期せぬ妊娠・中絶・死産・出産などをテーマにした作品もありますが、男性向け、特に少年漫画では、それらをテーマにしている作品をほとんど読んだことがありません。いずれ女性を妊娠させる可能性の高い、思春期の男子にこそ、届けたい、伝えたいと真剣に考え、書いた物語です。以下、本文です。

 「とにかくさ、お兄ちゃん。深琴(みこと)さんや透(とおる)さんから逃げてないで、二人にまた会いに行こうよ。お兄ちゃんにとって二人は第二の両親みたいなものだし。人間はいつ、ふいに命が終わるとも限らないんだよ?生きていられるうちしか関われない人たちも多いんだから。」
あれから1ヶ月以上経ち、ふいに聞こえるようになった死産で亡くなった弟の愛心(まなと)の声に導かれた俺は、春休みを利用して、透さんが勤務している大学病院へ向かった。
 
 「幸与(ゆきと)くん、来てくれてうれしいよ。急にあんなことをお願いして、あの時はすまなかったね。幸与くんと深琴のあんな姿を見てしまったものだから、話を急いでしまったんだ。」
あの時、冷静そうに見えた透さんだったけれど、女と男として交じり合う俺たちの姿に内心、動揺していたのかもしれない。
「いえ…俺の方こそ、いろいろとすみませんでした。胎話師になれるかどうかはまだ分かりませんが、透さんの研究を見学させてもらいたくて。」
父と同じく産婦人科医の透さんは、以前は産科で腕利きの医師として働いていたけれど、あることをきっかけに、産科からは離れ、婦人科の不妊治療専門医に転身した。透さんと深琴さん夫婦は子どもがなかなか授からなくて、深琴さんは不妊治療を受けていることを知った。深琴さんは流産を繰り返す不育症だから、俺が胎児と対話する胎話師になって、胎児自身の生きる力を引き出してほしいとこの前会った時、透さんからお願いされた。生まれる前から胎児のうちに自慰を覚えた性欲旺盛な俺には、胎話師の素質があるらしい。妊娠している女性、つまり透さんの場合、奥さんの深琴さんと俺が性交することで、胎児と対話できる可能性があるという。俺にとって深琴さんは初恋の相手で、できれば初体験は深琴さんとしたいと思っていたけれど、夫である透さんからそれをお願いされてしまい、旦那さんの同意の下、憧れの女性と性交するなんて…と、その話を持ち掛けられて以来、二人を避けていた。
「幸与くんはもうじき高3だもんな。志望大学は決まってるの?やっぱり医学部に進むのかな?もし医学の道に進むなら、何かの役に立てるかもしれないし、見学は大歓迎だよ。」
「いえ…志望校とか特に決まってなくて。父も前ほど医者になれとは言わなくなりましたし。」
「そっか…それはきっと私の責任でもあるよな。本当に申し訳ない。」
「透さんが責任感じる必要はないんです。俺は元々医者になりたかったわけじゃないし、うるさく言われなくなって、ほっとしてるんです。」
「そう言ってもらえると、救われるよ。幸与くんはやさしいね。今、ちょうど受精卵を作ろうとしていたところなんだ。見ていくかい?」
透さんは研究室に入れてくれた。
 
 「卵子はかろうじて肉眼で見えることもあるが、精子は肉眼では見えない。目では見えない二つの細胞が出会って、命になるってすごいことだと思わないかい?」
白い精液ならしょっちゅう自分のを見ていたけれど、顕微鏡で精子や卵子を見るのは初めてだった。
「はい…こんな小さな細胞たちが出会って、そのうち人間の姿になるなんて不思議です。」
「成人の身体は約六十兆個の細胞で構成されると言われている。でも元を辿れば、たった二つの細胞、一対の精子と卵子なんだ。受精卵が細胞分裂を繰り返して、ヒトの身体を象っていく。とっても尊くて、神秘的なことだよ。」
「なるほど…たしかに神秘的ですが、みんな違って見える人間も元はただの精子と卵子だと思えば、その辺を歩いている人たちは巨大化した精子と卵子に見えなくもないです。」
「ははっ。幸与くんはおもしろい捉え方をするね。たしかに言われてみれば、どんな顔、姿のヒトも精子と卵子が作り出した産物に違いない。」
いつの間にか透さんはひとつの受精卵を完成させていた。
「これが受精卵だよ。」
「すごい…これが命の始まりなんだ…。」
顕微鏡でしか見えない受精卵という小さな命は不思議なことに、輝いて見えた。光なんて放っていないのに。妊婦さんがエコーで初めて胎児を見て、感動するという気持ちが何となく分かった気がした。そして自然と涙が零れた。
「受精卵に感動できる幸与くんは婦人科医に向いていると思うよ。幸与くんさえ良ければ、うちの大学に進学して一緒に研究しないかい?何だかいつも幸与くんの将来に口出ししてしまって申し訳ないが…。」
「いえ、俺は何になりたいとか将来の夢や目標は特にないので、透さんにいろいろ提案してもらえるのはうれしいです。この大学に進学することも、考えてみたいと思います。今の俺の学力では難しいかもしれませんが。」
数時間、研究を見学させてもらった後、帰宅することにした。
 
 「でもさ…今じゃあんなに必死に受精卵と向き合って、日々命を生み出している透さんも、かつて自分の精子が作り出した命を無駄にしたことがあるってことだろ?なんか複雑な心境になるよ。」
大学病院からの帰り道、公園のベンチに座って、誰もいないことを確認して、俺にだけに聞こえる声の主・愛心と会話をしていた。
「昔、透さんが女の人を中絶させたこと?まぁ、たしかに無駄にしてしまった過去もあるかもしれないけど、その過去があるからこそ、今、自分の手で作り出す受精卵をより大事にできるんじゃないのかな。死を経験している方が、命の大切さ、尊さを実感できるよね。」
「そうかもしれないけどさ…なんか納得できないよ。」
「お兄ちゃんの価値観を察すると、中絶させたことのある男は命を作る資格はないし、中絶したことのある女は命を産む資格はないってこと?そんなの綺麗事だし、古臭くて厳しすぎるよ。誰にでも過ちの一つや二つはあるんだから…。そもそも中絶が過ちという考えも古いけどさ。」
以前、愛心が教えてくれたけれど、この世界で呼吸することなく、生まれられなかった胎児は、俺たちよりこの世の良いこと悪いこと、すべてのことを知っている存在なのだという。すべてを承知の上で、母親を選び、その母親の元に生まれると自分の意志で決めるらしい。生まれてしまえばそのすべてを忘れるという掟があり、生まれたほとんどの人たちは生まれる前の記憶を失くしてしまうのだそうだ。死産だった愛心はすべてのことを知っているから、声は幼児なのに、話す内容はいつも長くて理屈っぽかった。
「そんなことは思ってないけど…いや、思ってるか。愛心の推測通り、俺は古臭い男なんだ。自慰をしまくっている自分のことは棚に上げてさ。」
「自慰をして、射精するってことは、命の種を毎日、捨ててるようなものだものね。」
「うっ…。」
愛心に図星を言われて、返す言葉に迷っていると、ベンチの背後から声を掛けられた。
 
 「幸与くん、こんなところで何してるの?」
クラスメイトの羽山実緒(はやまみお)だった。
「はっ、羽山…いつからそこにいたんだよ。」
「少し前から?幸与くんって自慰だけじゃなくて、独り言の趣味もあったんだねー」
どうやら愛心との会話も聞かれてしまっていたらしい。まぁ、独り言と勘違いしているようだからいいけど。
「独り言のこと、みんなには内緒にしてくれよ。それより自慰って何のことだよ。」
「いいよー私、幸与くんのこと好きだから、みんなには内緒にしてあげる。とぼけないでよーこのベンチに座って自慰してるところ、見たことあるんだから…。」
前に軽いノリで、羽山から告られたことがあったけど、何気にあれは本気だったのか?それより、自慰を目撃されていたなんて…。たしかに高1の時、夜遅い時間帯に誰もいないと思って、ここで自慰したことがあった…。まさか見られていたなんて…。
「ねぇ…独り言のことも、自慰のことも誰にも言わないから、ここで私のこと、気持ち良くしてくれない?」
羽山は俺の隣に座ると、俺の手を勝手に自分の胸に近づけた。
「ばっ、馬鹿。そんなことできるわけないだろ。」
「えーケチ。ここで幸与くんが自慰してるところ見て以来、私、この場所に来ると興奮しちゃうようになったの。幸与くんが自慰してたベンチだと思うと、ムラムラしちゃって、ここに座って、ひとりエッチしたこともあるんだよ?」
俺が何もしないと分かると、羽山は自分で自分の胸やあそこを貪り出した。
「はぁ…はぁ…ん…。幸与くんに見られてると思うと、すごく興奮しちゃう。」
「まだ夜でもないのに、こんなところでそんなことやめろよ。誰かに見られたらヤバイだろ。」
隣で淫らな姿を露わにする女子にドキドキするより、誰かに見られるんじゃないかとずっとハラハラしていた。
「もう日は沈んだしー大丈夫だよ。ん…はぁっ…。」
行為をやめようとしない羽山は、甘い吐息を漏らし続けていた。
「んもう、じれったいな。みんなに独り言と自慰のことバラされたくなかったら、私のひとりエッチ、ちょっとくらい手伝ってよね。」
我慢できなくなったらしい羽山は、俺の上に乗ると抱きついてきた。
「幸与くんの身体でおっぱい擦れて気持ちいい…。ねぇ…あそこ触ってよ。」
「ちょっ、やめろって。何、勝手に俺の上に乗ってんだよ。」
理性を保とうとする頭とは裏腹に、身体は彼女の誘惑に勝手に反応し始めていた。
「だってー幸与くんのここだって、もうこんなになってるし…。興奮してくれてうれしい。」
彼女に股間を触られた瞬間、愛心とは違う声が聞こえてきた。

 「ママ…やめなよ。その人はパパじゃないんだから。」
何だ?どういうことだ?
「わたしはパパに会いたいよ。探して会いに行こうよ。」
もしかして…胎児の声…?もしや、羽山…妊娠してるのか?
 
 不思議な声が聞こえた俺は慌てて、羽山を自分の上から降ろした。
「違ってたら、ごめん。羽山…おまえ…もしかして…妊娠してないか?」
「…幸与くんはすごいねー。やっぱり産婦人科医の息子だから?分かっちゃうの?」
やっぱり、そうなんだ…。俺、性交なんてしなくても、胎児の声が聞こえる体質なのか?
「別に親が医者だからとかは関係ないよ。羽山…いつも軽いけど、今日は特に様子がおかしかったからさ。」
「はははっ…まいったなー。ほんとはね、幸与くんのこと、誘惑して、一回でも本番しちゃえば、おなかの子の父親になってくれるんじゃないかと思って…。」
「そんなの男でも計算すれば、すぐに自分の子じゃないって分かるし、そもそもおなかの子が父親じゃない男を受け入れないと思う。」
「さすが幸与くんは分かってるね。ここでひとりエッチしてた時、幸与くんに似た大学生から声掛けられて、ホテルに誘われて、しちゃったんだ。妊娠したってラインしたら、ブロックされて連絡取れなくなったの。」
「そうなんだ…今、何週くらい?」
「まだ病院には行ってないんだけど、ネットで最終生理日から計算したら、もう11週だったの。まいったよ。」
「産むとしても、産まないとしても、とにかく早く病院に行って、診てもらった方がいい。まれに子宮外妊娠とかもあるんだからさ。羽山の命に関わることなんだから。」
「うん…そうだよね…。幸与くんのうちで診てもらうことはできるかな。」
「うちでも大丈夫だけど、産むとしたら分娩はもう扱ってないから。初期の妊婦健診くらいしかできないと思う。」
「…中絶は?手術、してもらえないかな?」
「えっ…?もうそれは決めたことなのか?だとしたら、急がないと…。たしか12週以降の中絶は中期だから、陣痛促進剤とか使って出産と変わらないことすることになるし…。」
「そうなんだ…。さすが幸与くんは詳しいね。」
「とにかくさ、うちでもどこでもいいから、早く診察してもらおう。」
「幸与くん…ついて来てくれない?相手には逃げられたし、親にも誰にも言えないし、心細くて…。」
頼るように俺の手にしがみつく羽山の手は、さっきまでとまるで違って震えていた。
 
 「ママ…私のこと、好きじゃないの?一緒に生きてはくれないの?」
手に触れた瞬間、またあの声が聞こえた。
 
 幸与くん…あの子は彼女なのかしら?そうよね。高校生だもの。幸与くんには、年頃の女の子がお似合いよね…。
 ベンチで話し込む二人の様子を遠くから、深琴がみつめていた。
 
 「今日はもう、うちの病院しまっちゃったから、明日、来いよ。」
「うん、ありがとう。明日、幸与くんちの病院に行くね。あのさ…こういう時って診察料高いのかな?いくらくらいかかるのかなって。」
「保険適応外だし、たしか初診は1万円くらいかかると思う。もし手術のために必要な血液検査とかもすれば2万以上かかるかも。」
「そんなにかかるんだ…どうしよう…。最近、バイト休んでたから、2万は厳しいかも。」
「もし…誰にも頼れなくて、どうしても足りないようなら貸すよ。羽山の身体が心配だし。」
「そんなの幸与くんに悪いよ。でも…もしもの時はお願いします。お母さんに言えないし、頼れないから…。」
「うん、分かった。じゃあ明日、必ず来いよ。」
妊娠を打ち明けられた羽山と公園で別れた後、俺は愛心に尋ねた。
 
 「あのさ、さっきの…羽山のおなかの子の声って、愛心のしわざ?おまえが何かして、俺があの子の声、聞こえたのかな?」
「ううん、ぼくは何もしてないよ。妊娠している羽山さんに触れて、お兄ちゃん自身の潜在能力が引き出されたんだと思う。やっぱり胎話師の素質あるんだよ。妊婦さんに触れただけで、胎児の声が聞こえたんだもの。」
「そっかー愛心のしわざではなかったのか。胎児の声が聞こえただけで、対話できたわけじゃないから、さすがに胎話師にはなれそうにないけどさ。」
「明日、羽山さんが病院に来たら、胎児との対話も試してみれば?案外できるかもよ?」
「そんなのできないよ。羽山に何て言えばいいか分からないし、羽山はそれどころじゃないだろうし…。」
「羽山さんこそ、おなかの中の自分の子の気持ちを知りたいと思ってるはずだけどね。あの子の母親だもの。」
 
 翌日…午後の診察が始まるとすぐに、羽山が結生(ゆい)産婦人科医院へやって来た。
「幸与くん、もし嫌じゃなかったら、診察の時、側にいてくれない?」
「羽山がいてほしいっていうなら、側にいるくらいいいよ。」
 
 「羽山実緒さん、診察室へお入りください。」
問診票を書き終え、看護師に羽山が呼ばれたので、俺も一緒に父のいる診察室へ入った。
「幸与…何でおまえが付き添っているんだ?まさか…おまえ…。」
良くない勘違いをされていると気づき、慌てて弁明しようとすると、
「初めまして。幸与くんのお父さん。幸与くんは何も関係ないんですが、私…相手の男の人に逃げられちゃって、心細くて、友だちの幸与くんに付き添いをお願いしたんです。何しろこの病院の息子さんですし。頼もしくて…。」
「なんだ、そういうことか、驚いたよ。羽山さんの問診票を拝見する限りでは、妊娠している可能性が高いです。まずは内診してみましょう。幸与は外で待ってなさい。」
「すみません。幸与くんにも内診の時、側にいてほしいんです。お願いします。」
「羽山さんが望むなら、私は止める権利はないが…幸与はどうなんだ?」
「俺は…羽山の側にいてやりたい。もちろん父さんのいる方じゃなくて、羽山の上半身側にいるから。」
「そうか。なら、一緒に入りなさい。小さい頃はよく、父さんの仕事中も、周りでちょろちょろしてたもんな。懐かしいよ。」
小学生になる前まで、俺は父さんの病院内にいることがあった。当時はたぶん少しは父の仕事に興味を持っていたのだと思う。妊婦さんの許可さえもらえたら、父が操作しているエコーの様子も画面を通して覗いていた。胎児が動き回る姿に感動するというよりは、不思議な気持ちだった。俺はこんな小さな頃から自慰をしていたのかと思って…。
 
 「羽山さん、力抜いてくださいね。」
「ごめん、幸与くん…手、握ってもらってもいい?」
「手?うん、いいよ。」
昨日、公園で既成事実を作ろうと俺に迫ってきた大胆だった羽山とはうって変わって、診察台の上に座り、自動的に脚を広げられた羽山は不安そうに緊張している様子だった。
 
 羽山の手に触れた瞬間、またあの声が聞こえてきた。
「わたしがおなかに宿ったことで、ママはすごく困ってるみたいだし、しょっちゅう泣いてるし、わたし…来ない方が良かったのかな?わたしはママに会いたくて、会いたくてやっと来れたのに。」
「そんなこと…そんなことないよ。羽山は相手に逃げられて、お母さんにも相談できなくて、心細くなってるだけで、味方をみつけられたらきっと、キミのことを愛する余裕が生まれるよ。」
羽山の手をぎゅっと握りながら、頭の中で胎児に語り掛けてみた。
「あなたにはわたしの声が聞こえているのね。うれしい。わたしの声が届いているなら、パパを探してよ。パパがママを支えてくれたらいいんだから。」
「そうしてあげたいけど…パパがみつかったところで何もしてはくれないと思うよ?妊娠を伝えただけで逃げる男なんてさ。」
「たしかにパパはママのこと誘惑して、都合が悪くなれば消える、ろくでなしだけど、わたしは心底パパのことを嫌いにはなれないの。もちろん一番大好きなママを悲しませていることは許せないけど、パパもいてくれなきゃ、わたしはママの中には宿れなかったから。パパのことも好きだってことを、パパに伝えたいの。わたしの声が聞こえているあなたなら、パパにそれを伝えることはできるでしょ?」
 
 「羽山さん…胎のうが確認できました。胎のうとは赤ちゃんが入っている袋のことです。赤ちゃんは元気ですよ。現在の身長は4センチくらいかな。もう手足も動かせる時期ですよ。お母さんの心拍より速い、赤ちゃんの心拍も見えるかな?」
俺が胎児と対話している間に父は、羽山にエコーを使って胎児の説明をしていた。
「はい…見えます…。すごい…もう人の形になってて、足も動いてる…。」
羽山はまばたきも忘れて、自分の子宮内を映している画面に釘づけになっていた。俺が対話した羽山の子は元気に手足をバタバタさせていた。生きている証、生きようとしている姿を見せつけるように…。俺じゃなくて、相手の男に見せてやりたいと思った。自分の遺伝子を受け継ぐ命が羽山の胎内で密かに誕生していることを教えてやりたかった。
 
 「羽山さん、内診の結果、妊娠11週2日目と分かりました。4月になれば高3ということですが…どうされますか?産むか産まないか、決めてきたのかな?いずれにしても親御さんと相談してもらわないと、何もできませんが。」
父はエコー写真を渡しながら、羽山に尋ねた。エコー写真には自動的に出産予定日も記載されていた。
「相手には逃げられちゃったし、産みたくても産めないって、さっきまでは諦めてたんです。でも…おなかの子が動いてて、私の中で命が生きてるって実感したら、この子の心拍を見ちゃったら、諦めたくないって気持ちも生まれて…。」
うつむく羽山はエコー写真をじっと見つめながら呟いた。
「そうですか…。産むとしたら、まだ未成年なので、やはり親御さんに伝えて支援してもらうしかありません。17歳では親権も持てませんから。もし…あなたの言うように諦めるとしたら、一日でも早い方が母体のためです。もう11週だから…手術できるのはあと四日しかありません。12週以降だと、薬を使って出産と同じように産み落とすことになりますから。」
「そうなんですか…何も知りませんでした…。私じゃ親権も持てないんですね…。私…2月生まれだから、この子が生まれる予定の10月でもまだ17歳だし。12週以降で中絶手術となると、薬を使って産むことになるのも知りませんでした…。決めるならあと四日しかないってことですよね。」
「そうですね…吸引方法の手術を希望するとしたら、前日までには連絡をいただかないとうちではお引き受けできません。12週以降の場合は、分娩をやめたうちではできないので、他の病院を紹介します。もちろん、産むとしたら、初期の妊婦健診はうちでも大丈夫ですよ。」
「そっか…そうなんだ…。すごく大事な選択なのに、実質あと三日しかないんですね。困ったな…。エコー見る前までなら、堕ろさなきゃって頭で分かってたのに、一生懸命生きようとしてるこの子の姿を見ちゃったら、気持ちが揺らぐ…。」
「大事な選択だからこそ、苦しいかもしれませんが、安易に決めず、悩んで迷って、選択してください。産むか産まないか、どちらかを選ぶしかありませんが、悩んで選んだ方なら、それが正しい道だと信じることができると思います。あなたの人生と赤ちゃんの命と、二人の未来に関わることですから。あまり時間はありませんが、心身に負担を掛けない程度に悩むことも大切です。お母さんが悩んで選んだ選択なら、赤ちゃんもきっと受け止めてくれるはずですから。どちらを選んでも間違いではないですよ。」
医師として真剣に説明する父の言葉を聞いたら、俺には関係ない話のはずなのに、なんだか胸が熱くなった。胎児と話せるようになったせいかな。
 
 「今日は診察まで付き合ってくれてありがとうとね、幸与くん。とりあえず1万円で間に合って助かったよ。でも…気づいたんだ。2万以上の診察料も払えない、経済力のない私が産みたいなんて馬鹿げてるよね…。お金がなきゃ、この子のこと育てられないのに…。」
羽山はまだ目立たないおなかを愛おしそうにさすりながら、声を震わせて呟いた。
「あのさ…羽山。俺、何もできないけど、話を聞くことならできるから。いつでも話は聞くよ。父さんみたいに的確なアドバイスとかは無理だけどさ…。」
「うん、ありがとう。じゃあお言葉に甘えて、今、ちょっとだけ相談に乗ってくれる?決意揺らいじゃってるから、誰かに話したくて…。話せるのは幸与くんしかいないし…。」
精神不安定そうな羽山をこのまま家に帰すのはかわいそうになり、自分の部屋に彼女を招いた。
 
 「ごめんねー幸与くんの部屋にまで押しかけちゃって。そもそも幸与くんには関係ない話なのにね。昨日みたいなことは何もしないから、安心して。」
「何かされそうになったら、全力で拒否るから。グレープフルーツジュースとポテチあるけど、食う?」
「さすが、産婦人科医の息子。幸与くんはほんと妊婦の気持ち良く分かってるよね。食べたい!」
別に羽山のためとかじゃなくて、自分が好きで買い置きしていたおやつを彼女に差し出した。
「たぶんつわりは軽い方だから…わりと何でも食べられるんだけど、グレープフルーツジュースとポテトの相性は抜群なのよね。毎日食べたくなるもの。」
「食欲あるなら、安心したよ。」
「吐き気とかより、眠気や倦怠感の方がひどくて…。それから彼以外の男の人とはあまり触れたくないって気持ちが強くなったの。幸与くんは彼に顔が似てるから、平気って思ったけど、やっぱりちょっとね…。昨日あんなことしておいて信じられないかもしれないけど。」
「いや、信じるよ。妊婦っておなかの子の父親以外、異性は受け付けなくなる時期があるって聞いたことがあるし。子どもを守ろうとする本能とかで。ほら、野生の生き物だと父親以外のオスはメスの子を殺したりすることあるじゃん。」
「なるほどね…そっか、本能か。じゃあこの子の姿を見て、産みたくなったのも本能なのかな。エコーで胎内を見せてもらった瞬間、なんか目の前がぱぁーって明るくなってキラキラ輝いて見えたの。不安で仕方なかったのに、急に一生分の喜びや幸せが込み上げてきて、あぁ、私はこの子に会うために生まれたんじゃないかって思えた。できれば一緒に生きていきたいって…。」
「羽山はきっともう母親になってるんだよ。母性が芽生えたのかもな。」
「私…母性の欠片もない人間だったんだよ?子どもをかわいいなんてほとんど思ったことなかったし、赤ちゃんほしいと思ったこともなかった。だからこそ、できたとしてもすぐ堕ろして、なかったことにできるって思い込んでた。馬鹿だよね。母性が芽生えて、この子を手放したくなくなるかもしれないってことは推測できなかったんだから…。」
「仕方ないよ。そういう妊婦さんって少なくないらしいし。妊娠しなきゃ分からないことってきっと多いんだと思う。その分からないことを教えるために、胎児は宿るんじゃないかな。母親に何かを与えて教えて、何かを伝えるために来るんだと思う。あのさ…ちょっとだけ、服の上からおなか触ってみてもいい?」
「そっか…馬鹿な私に母性を教えるために、この子は来てくれたのかもしれないね。おなか?うん、いいよ。」
胎話師になりたいなんて正直思ってなかったけれど、自分は弟の愛心以外の胎児の声も聞こえ、会話もできる体質と分かり、改めて羽山のおなかの子と対話を試みてみることにした。

(※本文は9977字です)

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