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広い宇宙でみつけた「きみとぼく」の小さな世界をみつめて

私は、昇り始めた太陽の日差しがほんの1時間程度しか入らない部屋に住んでいる。太陽が高くなればなるほど、光は届かなくなり、日中でも室内の照明をつけないと生活しづらい暗さだ。1ヶ所しか窓がないため、朝日を見逃したら、後は外に出ないと太陽の光を感じることができない。だから夕日を見たくなったら、その時間だけ散歩に出かけて、なかなか急勾配の坂道を上って、丘の頂上から空を眺める。夕日が遠くの山に沈みかける瞬間が一番、輝いて見える。夕日が沈みゆくひと時、山と空の間に一筋の金色の光が出現する。まるで星の王子さまの髪の色みたいな金色の光が…。

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空の色が夕焼け色から群青色に変わり始めると、一番星が輝き始める。広い空にぽつんとひとつだけ明かりが灯る。その星を私は勝手に〈小惑星B612〉つまり、星の王子さまのふるさとの星ではないかと思って、見上げている。王子さまの大好きな夕日が沈んだ直後の空でキラキラ瞬き始めるその星からは、王子さまの笑い声が聞こえてくるようだ。その小さな星で、たった一輪のバラの花と二人だけで静かに暮らす王子さまの愛くるしい笑顔が自然と浮かんでくる。

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その笑顔は馴染み親しんだオリジナル版の星の王子さまの顔というよりは、キミノベル版『星の王子さま』のために矢部太郎さんが描いた新しい星の王子さまの顔で想像してしまう。
矢部さんが描く星の王子さまは、表情豊かで、温かみがあり、オリジナル版の星の王子さまよりも親近感が湧くし、静止画のはずなのに、動き出し、声まで聞こえてくる気配さえする。実際、このキミノベル版『星の王子さま』を読んでいると、加藤かおりさんによる分かりやすい言葉遣い、すらすら読みやすい文章の新訳も相まって、王子さまの台詞は王子さまらしい声で聞こえるし、バラの台詞はバラらしい声で、キツネの声はキツネらしい声で勝手に頭の中で再現される。本当は一度も王子さまの声を聞いたことなんてないのに…。でも、たしかに聞こえてくるから不思議だ。それもきっと矢部さんの画力の賜物だろう。それぞれの登場人物たちは原作の絵とかけ離れているわけではないのに、さらに魅力的に矢部さんらしい柔らかなタッチで描かれているから、本当は見えない動きや聞こえない声まで、聞こえるし、見えるように錯覚してしまうのだろう。

「大切なことは、目に見えない」

『星の王子さま』の中で、キツネが教えてくれる有名な一節があるが、その言葉の通り、矢部さんのイラストからは、見えない部分、描かれていない部分、心でしか見えない何かを感じさせてくれる。読み手の心に直接、王子さまの言葉が語りかけられるような、そんな趣さえ感じられ、繊細なタッチながらも王子さまの言葉をダイレクトに届ける芯の強さを兼ね備えたイラストだと思う。

もっと簡単に言うと、矢部さんのイラストは自分だけの特別な星の王子さまという感覚を持てる。これもまた作中でキツネが教えてくれたように、私たち読者ひとりひとりと王子さまを〈なつかせて〉=〈きずなを結んで〉くれる役割を果たしていると考える。星の王子さまは当然、元々ひとりしかいない。けれど、世界中で長きに渡って愛され続け、読み継がれている今となっては、各国にたくさんの星の王子さまが存在しているような気がする。王子さまが地球へやって来て、たくさんのバラの花を目にして、驚き、ショックを受けたように…。本だけでなく、星の王子さまのイラストが描かれたグッズもたくさん売られているし、実際、私も購入したことがある。量産化されてしまっている星の王子さまを見ると、どうしても、王子さまがショックを受けたたくさんのバラの花の場面を思い出してしまう。本当はひとりしかいない特別な王子さまのはずなのにと…。

それを払拭してくれたのが、今回の矢部さんのイラストだと思う。第一印象はやさしくて温かみがあり、多くの人がひとめぼれしてしまう絵で、読み終えた頃には、自分だけのかけがえのない王子さまという認識を持てる特別なイラスト(イラストという言葉だけで表現しきれない)、王子さまの言葉、雰囲気を的確に具現化した、心に響く王子さまの姿を描いてくれたと感じる。そう、これこそ、星の王子さまだよって誰もが納得できるし、星の王子さまの世界にしっくりする矢部さんの絵は、読者の心と王子さまの心をまさにきずなで結んでくれたと考えられる。

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王子さまが自分の星で、朝日が昇る時に「お日さまといっしょに生まれた」バラの花と出会ったように、私もこの本とは朝、太陽が昇り始めた頃に出会った。窓から自然光が入る貴重な1時間を利用して、ベッドの上で寝ぼけ眼をこすりながら、読み進めた。星の王子さまなんて、オリジナル版を学生の頃から何度読み返したか分からない。話の流れも結末も当然知っている。もちろん懐かしい気持ちにもなった。けれどなぜか知らない新しい星の王子さまと出会えた気がした。まだ知らなかった王子さまの心の内に飛び込めて、王子さまのさらに奥深く、心の琴線に触れることができた気がした。何度も読んでいたはずなのに、まだ気付けないことがたくさんあった。王子さまの心の奥深くに飛び込み、知らなかったことに気付くということは、良いことばかりではなく、王子さまの心の傷、葛藤なんかとも向き合うことになり、自分自身の心が苦しくなる瞬間もあった。

王子さまは基本的に孤独で、ひとりぼっちで寂しがりやで、子どもに見えるけれど、自分の星を持っていて、大人顔負けの星の王子さまとして、自分の星を立派に管理していた。火山のすす払いをしたり、バオバブの木が生えないように、新芽を注意深く観察したり…。立派な星の王子さまだったと思う。けれど〈バラの花〉という相手と出会ってしまって、子どもだった王子さまは彼女とうまくいかず、自ら大切な自分の星と彼女を捨てるように、旅立ってしまった…。
さわり部分を読んだだけでも、ぎゅっと胸が締め付けられた。とっくに知っている内容のはずだけど、以前よりも切ない気持ちに襲われた。たぶんこれも矢部さんの絵の力によるものなんだと思う。王子さまの孤独感、笑顔の中にある、ふとした寂しそうな表情など端的に表現されていて、最初の部分だけですでに心を掴まれてしまったと感じた。

そして、ひとりぼっちの王子さまは様々な大人たちが住む様々な星を巡った。命令ばかりし、すべてを支配したがる王さま、拍手され称賛されることにこだわるうぬぼれ屋、恥ずかしさを忘れるためにただ酒を飲み続けるのんべえ、金持ちになりたいと星の数を数えて管理ばかりしたがる実業家、街灯の火を灯し消すという命令に忠実に従って寝る間もなくその仕事をひたすら繰り返して一生懸命生きている点灯夫など様々な大人たちと出会うものの、友だちになれそうな大人はなかなかいなかった。

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おそらく王子さまは、子どもの自分のままではバラの花ともうまくいかず、このままでは立派な星の王子さまになれないと思って、自分探しの旅、大人になるための旅に出たのだろうと考えられるが、大人になりたいと思っても、理想的な大人とは出会えず、もやもやしたまま、地理学者の勧めに従って評判のいい星・地球に足を運んだのだろう。

その地球には、ただの大人が見れば帽子に見えるけれど、〈大ヘビのおなかのなかにいるゾウ〉の絵を描いてくれる子どもの気持ちを理解できる大人の「ぼく」がいた。王子さまはその「ぼく」と出会った。「ぼく」は子どもの気持ちを理解できそうな大人とは言え、王子さまと出会った当初は自分のこと、目先のことしか考えられない、ただのよくいる大人に近いつまらない大人だった。けれど「ぼく」は王子さまと出会い、子どもの頃の心を取り戻し始める。それは今の自分にも近いものがあると思った。

私自身、初めて星の王子さまと出会った時と比べたら、大人と呼ばれる年齢になってしまった。新しい王子さまと出会った気がしたのは、自分が大人になってしまったせいもあるかもしれない。王子さまは変わっていないはずなのに、おそらく読み手の自分の方が変わってしまったのだ。
インターネットが普及した現代、SNS上なら、簡単に誰でも王さまのように君臨できるようになったし、うぬぼれ屋のように称賛されることに固執できるようになった。ネット上には本当にお金持ちの実業家もいたりする…。今や星の数ほど個人のアカウントが存在し、中には他者を罵ったり、自己主張ばかりしているような人も少なくない。インターネットなんて存在しなかった時代に書かれた星の王子さまという物語はまるで、現代社会の縮図のようにも思える。大人たちが作ったいびつな社会の構造に疑問を投げかける、純粋な心を持つ王子さまのような心を持つ子どもが今の時代には必要かもしれないと思った。

私も王子さまと初めて出会った頃は知り得なかったインターネット社会にどっぷり浸かって生きている大人になってしまった。仕事で必要だから、覚えなきゃいけなかった。機械音痴だから、本当はパソコンもスマホもいまだに苦手だけれど、使わなきゃ生きていけない社会なので、必死に覚えた。そしたらパソコンやスマホの画面に向かう時間が増えて、太陽の光を感じることも、空を見上げることも忘れて、まるで実業家みたいにただ椅子に座って、机に向かうだけの生活も一時期あった。

その現代版、普通の大人らしい大人の生活で得たものも確かにあった。部屋の中にいるだけで、世界中の人と繋がれたし、その気になれば24時間いつでも誰かと関わることができた。タイピングも速くなったし、苦手だった機械も少しずつ操作できるようになった。そしてパソコンを使って仕事をすれば、お金を得ることにも繋がった。

けれどそれだけだった。子どもの頃、大切にできていたはずのものを忘れてしまっていた。太陽と共に目覚めて生活し、日が沈む頃に夕日を見ながら家に帰るという当たり前だった習慣を失くしてしまっていた。太陽の光を浴びて、公園で遊ぶ、散歩する、そう言えば太陽の光を追いかけながら自然の写真を撮りまくっていた学生時代もあった。世界中の人と繋がらなくても、自転車で移動できる範囲、それほど広くはない行動範囲の中でしか暮らしていなくても、子どもの頃は充足した気分で今よりもっと自由に生きていたことに気付いた。

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それは王子さまがあの小さな自分の星で暮らしていたのと似たようなものだと思う。私に限らず、誰しも、旅でもしない限り基本的に限られた行動範囲の中で生きている。大人になるとひとり暮らしをしている人も少なくないだろう。狭い部屋の中で暮らしていても、現在はネットのおがけで誰かといつでも簡単に繋がることができるようになった。だから世界は広くなったように思えるけれど、実際はそうでもない。王子さまが様々な星を旅して回っても、結局、最後には自分の星に戻りたいと願い、帰るためにヘビの力を借りた。その小さな星、狭い行動範囲の中にこそ、かけがえのない大切なもの、大切にしたい輝くものがあると気付いたから、王子さまは自分だけのバラの花がいる自分の星へ戻る決心をしたのだろう。

そうだとすれば、私が今、ひとりきりで過ごしているこの部屋も、大切な場所に思えてくる。簡単に遠くへは出歩きづらい時代にもなってしまったし、自分の星に帰った王子さまのように、自分の家に居座るしかない人が増えていると思う。でもそれは少しも嘆くことではないだろう。部屋の中にしかいられなくても、近場しか外出できないとしても、狭い行動範囲の中にも、そんな日々のルーティーンの中にこそ、大切なもの、かけがえのないものが潜んでいるから…。

王子さまは、ただ毎日自分の星にバオバブの木が生えないように芽を注意深く観察し、定期的に火山の掃除をし、大好きな夕日を眺め、バラの花の世話をしていたように、単調な日常の中にこそ、本当に愛しいもの、輝くものがある。

王子さまと同じように、掃除をしたり、誰かの面倒を見たり、毎日同じような生活を繰り返して、みんな生きている。それは一見つまらない、退屈なことにも思えるけれど、単調な日常を送れること、自分のためだけでなく、毎日誰かのために一生懸命に生きられることは素晴らしいことだと思う。誰かというのは別に、人間でなくとも構わない。王子さまのように花でもいいし、動物でもいい。点灯夫のように自分以外のことに、つまり仕事に一生懸命打ち込んでいる場合も、誰かのために生きていると言っていいだろう。そうやってみんな自分の生活をしつつ、誰かのために生きている。たとえひとりで暮らしていても、誰かのために何かをしているはずだ。

私も実際は、子育てしているわけでもないし、介護しているわけでもないので、誰かの面倒を見ているとは言えない立場だけれど、いずれ誰かのために、少なくとも自分のためになると思って、オフの時はこうして何かを書いている場合が多い。

今回、星の王子さまについて書こうと思えたのはやはり、矢部さんの新しい王子さまのイラストの威力が大きい。たぶん学生の頃にもっとちゃんとした星の王子さまに関する読書感想文を書いた記憶がある。何を書いたかは忘れてしまったけれど、今書いているものとまったく違う気もするし、少しは通じるものもあった気がする。

朝日が昇り、部屋の窓から太陽の光が射し込んで、キミノベル版『星の王子さま』の表紙が輝いているように見えた。枕元のスマホは放置して、本を手に取り、1ページずつゆっくり挿絵と共に文章を楽しんだ。1時間ほど過ぎて、陽光が部屋に入らなくなった頃、読み終えていた。私の心の中には、矢部さんが描いた王子さまがたしかに宿っていた。乾ききった心を潤してくれる砂漠の中の井戸みたいな宝物を見つけた気がした。その日は1日中、穏やかな気持ちで過ごせた気がするし、自分だけの大切な王子さまと共に生活することができた。散歩して、王子さまが好きな夕日を眺めにも行った。子どもの頃、大切にしていた心が戻ってきた感覚がした。

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その日以来、スマホやパソコンはほっといて、目覚めると朝、この本を手に取ることが増えた。全部読まなくとも、パラパラ眺めるだけでも、手に取った日は星の王子さまが1日中寄り添ってくれて、私の心に明かりを灯してくれる。じんわり温かい気持ちでいられる。

つまりそれは〈きみとぼく〉の世界なのだと思う。王子さまが〈バラの花と自分〉、キツネ、ヘビ、「ぼく」などそれぞれ相手になつき、きずなを結んだように、私もキミノベル版『星の王子さま』を読んで、王子さまと自分のきずなを結ぶことができたと思う。相手は王子さまとは限らない。子どもの頃の自分や大人になりきれていない自分という自分の中にいる相手とも友だちになれた気がする。

王子さまは旅を通じて、出会った大人のようにはなりたくないと考えただろう。子どもだった王子さまは大人になりたいと理想的な大人を求めていたかもしれないけれど、結局、理想的な大人と出会えたのだろうか。
地球で出会った「ぼく」は子ども心を分かってくれる絵を描いてくれたから、理想的な大人かもしれない。キツネは「なつく」ことや「大切なことは、目に見えない」ということを教えてくれた。「土に還してやる力」を持つヘビは王子さまが自分の星に帰る方法を教えてくれた。王子さまは自分の知らないこと、ひとりでは気付けなかったことを地球で理想的な大人のような他者と出会い、学び、成長できたから、愛するバラの花の元へ帰る決心がついたのだろう。

ひとりぼっちだった王子さまはバラの花だけでなく、「きみをひとりにするもんか」と言ってくれる「ぼく」という友だちときずなを結ぶことができたから、もう寂しくないと思い、心穏やかに自分の古くなった抜け殻を捨てることができたのだと思う。古くなった抜け殻というのは、バラの花ともうまくいかず、何も知らない子どもだった頃の自分自身のことで、出会った友だちからたくさんの大切なことを学んだし、でも子ども心も忘れない大人になれたと悟ったからこそ、星に戻り、バラの花とやり直すことを決められたのだ。

私は矢部さんが描いた新しい王子さまと再会し、子ども心を取り戻し、少しは理想的な大人に近づけたかもしれない。いや、大人に近づくどころか、子どもに戻っただけかもしれない。それでもいいと思う。

広い宇宙の片隅の小さな星に住む王子さまと友だちになれたことは間違いないから。威張ってばかりの王さまや、拍手ばかり求めるうぬぼれ屋、忘れるために酒を飲んでばかりののんべえなどという、どこにでもいそうな大人たちと出会うより、宇宙ほど広い想像力を持っている子どもの気持ちを忘れない星の王子さまというたったひとりの友だちと出会えた方が、たぶんなりたい自分に近づける気がするから…。

もしも狭い部屋の中で孤独を感じつつ、日々の狭い行動範囲の中で退屈している大人がいるなら、そんな人にこそ、キミノベル版『星の王子さま』をお勧めしたい。つまらないと思える日常の中にも必ず大切な何かがあるということを、自由で広い心を持った星の王子さまが教えてくれるはずだから…。一度読んだら、王子さまが友だちになってくれて、太陽が見えない雨降りの日だって、きっと王子さまが明かりを灯してくれるはずだから…。

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