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あなたもわたしも「今ここめがね」

ところで、

読んだ本の感想って、ころころ変わりますか?

こんにちは、ひろのです。
最近のわたしは、1ヶ月前に読んだ本の受け取り方が変化していることに気がつきました。そのきっかけとして、循環というギフトを頂いていました。

そんな変化を通じて受け取った、気づきや学びを書いてみようと思います。

なんだか足踏みしているような、焦っているような、少し前のわたしのような人の何かの参考になれば幸いです。

本の受け取り方の変化

まずは簡単に、変化をまとめてみました。

読んだ本

ビジネスの未来 ーエコノミーにヒューマニティを取り戻す/ 山口周
ざっくり言うと、ポスト資本主義的な考え方の本です。

「ビジネスはその歴史的使命を終えつつある」という著者の結論に基づき、私たちは現状をどのように受け止めた上で、未来に向けた第一歩を踏み出すべきなのか問うた内容です。

その答えとして4つのサマリーを掲げています。
1.私たちの社会は、明るく開けた「高原社会」へと軟着陸しつつある
2.高原社会での課題は「エコノミーにヒューマニティを回復させる」こと
3.実現のカギとなるのが「人間性に根ざした衝動」に基づいた労働と消費
4.実現のためには教育・福祉・税制等の社会基盤のアップデートが求められる

Amazon一部引用


なぜ読んだのか

それは、

「そうは言っても、どうすりゃいいのさ」

と思ったからです。内省を経てひょっこり出てきたのは「こっちを大事にしてよ~!」と主張するサブパーソナリティ(SP)でした。これまでは、社会適応のために無意識に抑制していた価値観。(SPはこちら参照

出てきたけど、目の前の社会が変わるわけではありません。だから、抑制してきたSPも、抑制されてきたSPも困惑しました。

これをきっかけに、わたしの内側に「社会」という固定概念がどっしりあることを認知しました。灰色のコンクリートでできた高い高い塀に囲まれているようなイメージ。

やっかいなことに認知した途端、以前にも増してバイアスがかかりました。意識すると塀は高くなる一方。極端に高くなるから、いっそのこときれいさっぱり取りのぞきたくなる。するとさらに高くなる。といった具合に。

COTEN RADIOで現代社会をメタ認知して、「なんだ、最近できた塀じゃん」って思っても、存在は変わらない。

そこで、「私たちは何をするのか?」までを提案されている本書を手に取ることとしました。

読んだ直後の感想

共感します。でも…

示されていたのは現在も未来も、この社会を生み出しているのは”当の自分自身”であるということ。”革命もまた「いまここにいる私」から始まる”と。あらゆる角度から丁寧に説明がなされており、頭ではよく理解できます。そして、共感します。

でも、むずかしいと感じる。特に「成長の完了」と言われると、成長しないことに不安を感る。あらゆる部分に「でも…」という気持ちが発生しました。

塀の変化には至らず。

読んでひと月後の感想

共感、そして納得!という腹落ち

当の自分自身も、小さな組織も、国も社会も、「いまここ」を受けとめることからすべて始まるのだ、と納得して言えるわたし。

ひと月のあいだにあった気づきをきっかけに、感想も変化していました。

課題は変わりないけれど、社会という塀をまたげそうなくらいには低く感じるようになりました。


気づき

ひと月のあいだに、何が起きていたのか。

それは、「これが今のわたし」という自己存在感の体感です。

自己存在感とはなにか。

それは、相対的でなく「今ここのわたしが、ただ在る」を身をもって受け止めていることだと捉えています。わたしの中では、あらゆるモノサシのない、肯定する・許すといったニュアンスさえ含まないような、言語化しづらい感覚です。自己受容と言い換えられるかもしれません。

実際は、ひと月以上停滞している感覚に悶々とし続けていました。塀はあり続ける一方で、ついには、ビジョンの体現にむけてどうしたいのかわからなくなりました。

だけど、実際に自己存在感を感じられると、不安も期待もなくフラットな地点から次に進み始めました。わからないとばかり思っていた「どうしたいのか」が見えてきました。

わたしにとって大切なのは、自己存在感を思考でなく体感で理解することでした。

これは、「変容の逆説的理論」とも言うそうです。今ここの私には過去の私も未来の私も含まれている

ふり返れば、社会人若手時代に「わたしには何もないのだ」と受け止めてから捗るようになったことや、バンドでも「なるようにしかならん」とライブしたほうが力まず上手くいった経験があります。

生物的に考えれば、とても当たり前ですよね。だから知識はなくともできることではある。だけど、無意識の固定概念という思考パワーはなかなか手ごわいものです。

きっかけ

自己存在感の体感のきっかけは何か?

それは、あらゆる体験の積み重ねだと考えています。それは、過去のわたしが申し込んでいたり、始めていた体験。

ふと立ち止まると、すべての体験はだれかが生んでくれた機会やだれかの影響を受けていることに改めて気がつきます。

だれかの行動の源には、また他のだれかの存在やだれかから生まれた何かが影響している。そこには、ポジティブもネガティブも複雑に混ざり合っている。

そんな循環のなかで、たまたま今のわたしに飛び込んできたものを興味のままに、もしくは必要に駆られて体験してみた。その点が繋がって、結果的に自己存在感を感じていました。

きっかけを言い換えれば、循環の中のご縁によるものだと感じています。


具体的な体験をいくつか挙げてみます。どれもこれも循環の中のご縁からの体験です。

● 停滞する感覚とともにいつづけたこと (with コーチング)
コーチと共有することで、悶々を「なかったことにしない」ことができました。さらに感覚の解像度を上げて客観的に認知できたことは「今ここ」を受け止めるために大切だったと感じます。

● 過渡期ラジオの発信 (ご提案by まーさん
自分と向き合うわたしの変容の過程として、今ここの感情や思いをありのままお話しているラジオです。もともとは、未計画で未完成のままに発信することに大きな抵抗がありました。話し方、声、思考、どれもこれも好きではない。でも体現したいビジョンには近づく。だから、まーさんからのご提案をきっかけに「えいやー!」とはじめました。行動は種になるようで、中途半端だと感じていても、マイペースな積み重ねでも、受容につながっていると感じています。

● 積読成仏会への参加 (byお松さん
今回の本を読むことができたきっかけです。前日夜まで読めていないくらい積んでいたので助かりました。さらに、参加者の方に伝えることで自分の感想を具体的に言語化できたこと、対話することで感想を相対的に認識できたことは、わたしの中の固定概念を再認識することに繋がりました。

● ゲシュタルト×コーチングWS (by こっちゃん
「これが今のわたしです」と究極の「今ここ」を体験する機会を頂きました。勇気の必要な場と対峙し、一緒に参加した方々に受けとめてもらえた機会でした。すぐに変容は感じていなかったけど、このひと月の変化には欠かせない体験だと感じています。その時のラジオはこちら

● THECOACH Academy プロコース インテグレーションジャーニーの記入
インテグレーションジャーニーとは、人生を誰しもが体験する7つのフェーズに当てはめて捉える方法です。わたしたちは、期間の長短に関わらず、複数のジャーニーを経験しつづけています。振り返りはプロセスの意味づけに繋がり、受け止めることの背中を押してくれました。

● 自分の中にARTを持てWS(JAM) (by No Borders)
3月から現在も受講中のワークショップです。途中ながらも、ワークショップの体験を通じて自己存在感そのものと、それが創造につながるということを体感しはじめています。すでに参加して本当によかったな~と感じています。最近の感想はこちら。


そしてこれらの循環を深い深い体感として気づかせてくださったのは、こっちゃんのnoteです。

循環のなかのご縁は、あらゆる気づきをもたらしてくれるギフトです。受け取れるものも受け取れないものも、いまここを教えてくれる。

そう思うと、複雑なことも、それぞれの違いも、しっくりしみじみ染みてきます。

気づきを受け取れるよう、できるだけ澄んだ状態でいたいです。

ご縁をそのものを生んでくださるみなさんも、場をともにしたみなさんも、いつも本当にありがとうございます。

学び

目の前の社会は何一つ変わっていないのに、私自身にも環境にも変わりはないのに、固定概念の捉え方(イメージ)が変わる。

変わったのはなにか?

それは、観る「めがね」です。

観る「めがね」とはどういうことか?

それは、目の前の現実のどこをどのように切り取るか無意識が選択すること、と捉えています。感情も含め、それがなぜ発生したかは脳が推論している。解釈とも言い換えられるかもしれません。

つまり、「今ここめがね」でばかり物事をとらえる仕様なのだと改めて思い知りました。その「めがね」を外そう外そうとすると難しい。最も焦点をあてるべくは、「めがねのそのもの」とそれをかけている「今のわたし」でした。

循環のなかのご縁は、そのときかけている「めがね」によって見えたり見えなかったりするから、これまたおもしろいものです。


今回の気づきは、結果的に得られた体感です。多くの場合、理想の自己存在感を計画的に体感しにいくことは難しいように思います。

じゃあ、どうするのか?
それは理想を現実のものとして、「わたしはこう在ります」と決めちゃうだけでいいらしい。

強制的めがね交換!(結局、思考じゃないか)

これは、ザ・メンタルモデルの著者である由佐さんが仰っていたので個人的には説得力があるな、と感じています。大切なのは、かけ心地が悪くなったらその都度見直すことかもしれません。

実際に、過渡期ラジオは思考 → 体感の体験に近い。体感と思考は行き来するから納得がいきます。さらに、決断を誰かに話すこと(アウトプットすること)も効果的だろうと感じています。

今ここのわたしが観たいもの

気がついたらなんだか、今ここめがねが変わってきました。もちろん、またしても前のめがねかけてる!ってときもありますが…

そんな今のわたしは何が観たいのか。

やっぱりわたしは、ビジョンである「自然体で、ただそこに在る」というつながりを感じ、そこから生まれる創造を観たいです。このnoteを通しても、自分自身とだれかと、それらをとりまくあらゆるものとの「つながり」を感じます。

そのために、「暮らし」と「日常と非日常のあいだ」を大切にしたいという価値観があります。その中で、循環の一部として、場そのものを体現したい。

イメージはこんな感じ。

最近は発酵も気になります。

何かわからないままに探求し始めたビジョン。だけどやっぱりビジョンに呼ばれている感覚があります。体現できるよう、この先も探求していきます。

最後までお読みくださりありがとうございました。


ライフコーチングを提供しています。ご興味のある方は、こちらから。





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