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音楽と共に

『#自分で選んでよかったこと』
noteのキャンペーントピックが目に留まったので私も私なりに書いてみようと思います。

よかったら読んでみて下さい😌
—————————————————……


プロローグ

音楽との出会いはいつだっただろう。

幼稚園での音楽会。
母が家で流していたCD。

物心ついた時にはもう音楽が身近だった気がする。

その中でも、一番の始まりには、テレビで見た
ピアニストの影響が大きかったと思う。



1. 🎹

あの日の衝撃は今でも鮮明に覚えていて。


小学校に上がる少し前。
子ども向けの教育アニメを見ていた延長で、
そのままつけっぱなしになっていたテレビから、ピアノの演奏が流れてきた。


舞台の上でグランドピアノを真っ白いドレスを着て弾くピアニスト。
ステージの演出で足元にはスモークが焚かれていて、まるで雲の上にいるような幻想的な世界。


初めて見たピアニストのその姿に、演奏に、幼いながら惹きつけられた。


「わたしも、やってみたい」

あの人みたいになりたい、と初めて憧れた瞬間だった。



すぐに、父と母にピアノを習いたいと伝えた。
買い物帰りの母は、帰って早々に言われてかなり驚いたことだろう。


もともとわがままや欲しい物を言わないタイプの子どもだったからか、喜んでOKしてくれた。

次の春、私は小学1年生からピアノを習い始めることになった。


買ってもらった電子ピアノでの練習も、
ピアノの先生の家に行くレッスンも、
全部が楽しかった。


あの日見たピアニストへの憧れは、
ピアノの先生になるという将来の夢になった。


いつかの公園で見かけて、あの車に住めると思っていたワゴンのアイスクリーム屋さんから大進歩である。


2. 🎵

中学に入学する前から私の入りたい部活は決まっていた。

『吹奏楽部』

すでに音楽が大好きになっていた私にとって、
ピアノ以外の新たな楽器を演奏できるということに惹かれてしまうのは自然なことだった。


「吹奏楽部に入りたい!」

意外にも両親には渋い顔をした。
学生の間に運動やスポーツをして欲しいという
親心があったんだと思う。


私の運動音痴さ(ウ◯チって言わない)を知ってもなお、運動部に入って欲しかったらしく(え笑)、「運動部入るならお小遣い制にするよ!」なんて、あの手この手でテニス部や陸上部などへの入部を勧められた。

それでも、吹部へ入ることを諦めなかった結果、両親の方が折れ、晴れて吹奏楽部員となれた。
当時の私を全力で褒めてあげたい笑



3. 🎶

吹奏楽部は、入部したらまず、いろんな楽器を試し吹きして、第1〜3希望を決める。
一通りの楽器を吹いてみて、希望をまとめた上で、3年生と顧問の先生が話し合ってそれぞれのパートに振り分けていく。

唇の厚さ、薄さ、歯並びなど、楽器への向き不向きがあるから希望通りにはなかなかならないことも多い。


私の希望は、クラリネットだった。
クラリネットに小学校の時から知ってる先輩がいたからってのもあったと思うけど、そもそも金管楽器は音が出せなかったのだ。


かろうじて音が出せたのは、
ホルンのマッピ(マウスピース)だけで。


それでも、「この子は吹けるようになる」って
見抜いてくれた当時のホルンの先輩と顧問の先生には、本当に感謝しかない。


ひょんなことから(って当時は本当に思ってた)
私は全く希望してないホルンの担当となったのだ



4. 📯

運動が嫌いで大好きな音楽をやるために、吹奏楽部に入ったのに、吹奏楽部は野球部並みのランニングと筋トレが毎日あった笑

ヘトヘトになりながらも、それでも楽器が吹けるから全然苦じゃなくて。
ひょんなことからなんて言ったけど、ホルンパートになったのは運命なんじゃないかと思うくらいにはのめり込んで練習していた。

初めての夏のコンクールの緊張も、
冬の寒い教室でするアンコン(アンサンブルコンテスト)の練習も、
文化祭や演奏会で吹くポップスの楽しさも。

全部が新鮮で、もっと、上手くなりたくて。
大変さも楽しさに変えてしまう不思議な力が
ホルンには、吹奏楽には、あった。


そして中学2年の頃、
一生吹いていたいと思うようになった。


将来の夢が、ピアノの先生から、
ホルン奏者に変わった瞬間だった。


5. 💃

高校の吹奏楽部に入るか、実はすごく悩んだ笑

噂では、私の進学する高校の吹部はあまり、
コンクールの成績が良くなかったのだ。


演奏会より、コンクールへの練習が好きだった私は、歌って踊るその吹奏楽部をちょっと邪道視していた。

全国を見れば、踊りながら吹く吹奏楽部なんて
ザラにあるし、マーチングという行進しながら
演奏する吹奏楽もあるというのに。


それらをまだ知らなかったバカ真面目な私は、
奇妙すぎるその吹部を怪しみながらも笑、
悩みに悩んだ末、結局吹部に入った。


結論、、ホルンが吹けない方がツラい。


まぁ、その吹部で、踊って吹くことの楽しさも、マーチングの大会へ出場するという経験もするんだけど。

私が入学した年に、顧問が変わったのだ。

その先生が選ぶ曲はどれも中学の頃と桁違いに
難しい曲ばかりだった。


そしてそれは、新しいこととの出会いでもあった

『さくらのうた 』で初めてソロを吹いた。
『Shake a Tail Feather』でハイトーンを吹きながらのダンスはなかなか安定させるのに苦戦した。
アンコンで、木管楽器の中に唯一の金管として入った。木管8重奏。


ホルンという楽器の柔軟性と無限さを知った。

金管と木管をつなげる架け橋、要となる楽器。

顧問の先生から教えてもらった言葉。
それがホルン。その通りだと思った。

ホルン



6. 💔

やっぱり、一生吹いていたい。
そう思った。




そう思っていた。
なのに。






高校3年の夏、肺を痛めた。


地区大会の1週間前。
突然、息を吸うことも、吐くことも、
肺が痛くて上手くできなくなった。

練習を止めることはしたくない。

私は…、

金管セクションリーダーで、

ホルンのパートリーダーで、

ホルンの1stで。


私が抜けるとどう影響するかも分かっていた。


何より、ホルンを吹いてはいけないと言われるのが怖くて、親にも顧問にも言えなかったし、
病院にも行けなかった。


だからちゃんとしたことは分からない。
だけど、知識として知っていた。
管楽器奏者や、吹奏楽部員になりやすい病気として、過度な練習のせいで肺に負担がかかって穴が開いてしまう———肺気胸のこと。


穴が開くまでにはなってなかったかもしれない。
けれど、負担をかけすぎて傷つけたことに変わりはなかった。



無理のない範囲で練習量を調整して、
幸いなことに痛みもそれ以上酷くならず、
大会は無事に終えることができた。


県大会への出場の『ゴールド金賞』も勝ち得た。


それでも、大好きなホルンを一生吹く、仕事にするのは諦めようと思った。
大好きなホルンを、いつかまたこんな事があって
嫌いになってしまう日が来る方が怖かった……。


大好きなままでいたい。


10年以上変わらなかった将来の夢の選択肢から『音楽』を辞めた瞬間だった。




7. 🎭

音楽しかやってこなかった私が、
これまたひょんなことから、役者を目指すことにした。

これも実は高校の吹部が理由だったりして。
定期演奏会でやった舞台からお芝居や舞台の世界に興味を持ったのだ。
(以前もこのnoteのどれかに書いた気がする)


高校できっぱり辞めたはずのホルンは、
結局辞められず、大学に進学しても未練たらたらで、地元の吹奏楽団に3年間所属して吹いてた。


さすがに大学4年になってからは、卒論と養成所に通うことで忙しくなって、続けられなかった。

これで遂に、
ホルンとも、しばしの別れだと腹を括った。


ホルンを吹く時に感じる、守られてる感覚に、
いつまでも甘えてはいけないと思った。



8. 🎧

事務所に所属して、丸2年が経った現在。
あっという間といえばあっという間で、
まだまだといえばそうも感じる。

どこか焦りと不安を抱えつつ、好きなことを仕事にしている覚悟と楽しさみたいなのを少しずつ実感してきた頃だった。

そんな毎日でも、時々、無性にホルンを吹きたくなる。
未練はない。だけど、続けていたら……なんて、
タラレバの未来を考えてしまう。


もう3年はホルンに触れていない。
音楽も家のピアノをたまに弾くくらいで。
こんなにも音楽と関わらなくなってしまうのかとちょっと寂しいというか、悲しいというか。



きっとこの人生では、ホルン奏者になることはもうないだろうから、もしかしたらホルンともかなり長い時間、再開はできないのかもしれない。


そんな時、ある広告の仕事が決まった。

だから、好き。


うれしかった。純粋に。
また音楽と新たな形で関われる事が。

音楽との縁は、切れてないんだなと感じる事ができた。



そう。


だから、好き。


いつまでも。



エピローグ

ピアニストへの憧れから始まった音楽との道。
あの小さなきっかけを、幼い日の私が決断してから、全てが繋がっている。


ちなみに、うちの家族ルールとして、
『習い事は1つだけ』と決まっていたので、
あの瞬間、他の習い事への道はなくなっていた。



今思えば、バレエやダンスを習っていたらどうなっていたかなと思うけど、そうすると、20年先の現在も大きく変わっていたことだろう。




これほどまでに長い付き合いになるなんて、
自分でも想像してなくて、正直、驚きと嬉しさが混ざる笑



音楽はいつも私のすぐ近くにいて、
私の中で大きく育った。


あの日、ピアノを習うって決断して良かった。
吹部に入ることを諦めなくて良かった。
吹部を続けて良かった。
ホルン奏者になるって決めて良かった。

大好きだからこそ、勇気を持って諦めて、

……良かった。

新しい形で、関わる事ができたから。

これからもきっと、まだまだいろんな形で関われる。

そう願って。



これからも、

音楽と共に。

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