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【読んだ本】安房直子作 猫の結婚式

新刊が入ると必ず読んでいる「安房直子 絵ぶんこ」シリーズ。図書館で働いていて、この名前にピンと来たのはごく最近なのですが、小学校の教科書にも載っていた「きつねの窓」の作者さんです。
藍の色が出てくるとなんとなく寂しい感じの童話だったな印象は持ってましたが、中学・高校ともっと衝撃的な作品や有名登場人物に会ったりもするので(芥川龍之介『羅生門』の老婆、夏目漱石『こころ』のK!! 森鴎外『舞姫』のエリス!などなど)童話の楽しみ方も忘れてしまっていました。
宮沢賢治好きで意気投合した先輩がおり(これも同じ館に勤めるまで知らず…)、その方との雑談の中で『きつねの窓』の方ということ、そして若くしてお亡くなりになっていることを知りました。私が教科書で勉強していたころさえ、すでにお亡くなりになって数年たっています。

改めていろんなお話を読んで、現代にこんな美しい童話を書ける方がいるのかというのが一番感じました。童話読まねばとなったのも、声優の養成所行っていた時始まったぐらいです。各方面から未熟だなと思いながらも目の前の課題として取り組んでました。養成所の課題の時は、朗読形式の時も主人公として原作を読むときもあったり、台本になったものの時もありましたが、精読というかその物語に自分を落とし込もうとしたときに、私の場合は作者もすごく影響してきます。ちらつくって言葉が一番近いのだけど、ちらつくだけじゃ重視していないようにも感じてしまうので、言葉が難しい。
どうして作者はその話や言い回しや言葉を選んだのか、最終的に伝えたいことは何なのか、むしろ、「伝えたいことは何なのか」を考えること自体が野暮すぎるのではないか…等。「Don't think, feel」!! そして迷宮入り…
浜田広助や小川未明の作品をいくつか読んだのもこのころでした。名前は知識としてはありましたが、読むことはほとんどなかったという…
童話は本当に勉強になります。宮沢賢治が『注文の多い料理店』で書いていた「透き通った食べ物」がじゃんじゃん出てくる。
安房直子さんの童話の数々は、そんな少し昔の童話作家さんが作ってきたものを受け継いできていると感じられます。
そしてできるなら、私は安房直子さんの童話を朗読したい!!しかし、著作権という大きな壁が…許可取すれば大丈夫なのでしょうが、個人的に始めたばかりの朗読youtube公開なので。朗読で読みたいと思わせてくれる作品たちでもあります。役を分けて台本化して、ラジオドラマ(子ども向けってあるかな)もいいと思ってます!!!

前置きが長くなってしまいましたが、その絵ぶんこシリーズ2巻に当たる『猫の結婚式』。このシリーズは、絵ぶんこなだけあってストーリーを豊かに広げてくれる絵がまた素敵です。
童話はちょっと不思議な力が働いて、動物と話ができたり魔法が当たり前のように出てきたりすることがありますが、そのまだ無意識との境界があいまいな子どもだから(子どもほど)その世界にすんなり入っていけるのかなとも思います。もちろん大人になっても童話は楽しめますが、子どもの方が童話の世界を歩けるんじゃないかな…と個人的には思います。不思議の国のアリスなんかもそういう感じじゃないかな。
ここでも、とてもリアルな暮らしをしている主人公が野良猫と話し始めます。開口一番、結婚式やるから招待状持ってきた。と猫が言い、主人公(人間)も、少々うざったがりながらも難なく会話を続けます。リアルなら「は?」な展開ですが、もうこのお話はこれが大前提になっています。日曜日縁側で新聞を読んでいて、膝の上にはブラッシングもされた綺麗な白猫。そこに野良猫が結婚式するから来てくれと。
猫好きなら猫の結婚式行ってみたい! 相手は誰? どこでやるの?と楽しみにもなります。私もそうです。ただちょっとぞわぞわするのは…話をする中で、なんだか野良猫の態度が大きい。主人公(人間)と対等とでも言うように…
大人ならば状況や流れから少しは予想がつく展開が待っているのですが、わかっていたけれども、しっかりとした寂しさが残されるんです。
考察しようと思えばいろいろできるのですが、これは、読後にのこった『寂しさ』を感じるための物語なのかな…と思います。最終的に、主人公の飼っていた白猫が家からいなくなってしまうのですが、子どもなら、猫という存在がいなくなったことの寂しさが十分感じられると思います。そして、なにか他のことをしてつなぎとめることはできなかったのかと思わせるんです。この話が!!!!でも、違う、そうじゃないっていうのも分かります。主人公が受け入れなければいけない試練なのかなとも思います。そして、遠くで見守っているという、離れていても存在している絆に思いをはせられるのが大人なのかなとも思います。
家から猫がいなくなったという現実を、「本当に結婚して家を出た」ともとらえられるし「死んでしまった寂しさをこの話で癒した」ともとれるかな。
童話は大人になっても、「よめます」。
そしてここで理解し感じたこと、あるいは監督や演出が考えた解釈を伝えるのが、役者など表現者となると私は考えています。しかし、家から猫がいなくなったという現実を~以降を考え始めると、本当に結論が出なくなるんですよね。

安房直子さんの本は、すでに多くの既刊がありますが、このように出版社が一遍選んで絵をつけて書籍化してくれたりすると、またほかの層の人が読む機会にもなって、出版社さんの仕事も面白いなと思います。きっかけを作れるという強みがあるなと思っています。それぞれの話は大人からすれば短いですが、どれも「透き通った食べ物」です。読後にある「寂しさ」という食べ物が、どれだけ純粋なものなのかは読んだ人にだけわかります。また、寂しさだけじゃなくて、何となくあったかい、すこし面白いみたいな、あいまいで言葉にできないこともあります。感情の分化、言語化はどんどんできるようになったほうが(通常は成長と共にいい感じにできるようになる)いいのですが、学生時代勉強した心理学でメタ的にそのことを知った自分としては、この曖昧な部分も、子どもにとって、名前が付けられないあるいは判断がつかないものとして、心に残るのもいいんじゃないかと思います。
(心理学用語的なのも出てきてるすみません。まとまりが)

お子さんがいる方は、どこかのタイミングで安房直子さんの童話を読んであげてください。そして大人の方も、童話の世界を旅してみて下さい。

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