1対1の2ショット
「日常」という言葉の受け皿は大きい。
決まった時間に起きて仕事へ向かう日常もあれば、毎日戦地へ赴き硝煙の中を駆けずり回る日常もある。
東京の下町であり、最近のカメラマンの夕焼けの聖地でもある葛飾区•四ツ木。
この場所からスカイツリーを眺めながらそんなことをふと思った。
言語というのは実に便利な道具で、考えや想いを第三者に伝える上でなくてはならないものだと僕も思っている。
しかし写真を撮るようになって言語がいかに欠陥だらけの道具かということも思いはじめた。
僕は言葉が好きで、文章が好きで、声が好きだ。
感情が脳を通り思考の上ようやく生まれ、その人から出てきた言葉がどうしようもなく愛おしい。
幼い頃から人より多く文章に触れ、言葉に触れて来たとも思っている。
それでも、何気なく撮った写真1枚が語るストーリーには敵わないなと思う。
写った人がその瞬間にそこにいた証で、撮った人がその瞬間そこにいた証。
何の気なしに撮りはじめた写真というものから僕が感じ取ったのは「時間」と「感情」だった。
僕自身が言葉にしていなかったものやできていなかった感情の渦がそこにはちゃんとあって、時が過ぎて静止画となった今もその想いは息づいているような、そんな気がしてならない。
僕はフリーランスの写真家でもなければ不労所得のある大家でも、はたまたやり手の投資家でもない。
毎朝起きて電車に揺られメールチェックをすることから1日が始まるごくごく普通の会社員だ。
しかしながら、もしも誰かにあなたの日常を教えてと問われたら「ある人と出かけること」と答えるだろう。
僕の写真には彼女がいて、紛れもなくその全てにちゃんと僕も写っているのだ。
僕が写す日常写真はいつも2ショットだと、そう思っている。
All photographs are taken by using RICOH XR1000-S.
FILM: PRO400H, Kodak GOLD
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