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62. 「檸檬」は爆発だ。

文学に詳しい先輩が、「檸檬って知っている?梶井基次郎の檸檬」
「読めば思い出すと思いますが」
「せっかくだから、読んでみてよ」
そう言って、先輩は梶井基次郎著 檸檬(短編集)を貸してくれました。

それが、おそらく「檸檬」を読んだきっかけかもしれません。
その時には、学生時代にこんなセンセーショナルな作品を読んだか定かではありませんでした。

あらすじ

檸檬は、梶井基次郎の代名詞の一つとも言える短編作品。
八百屋で売っていた檸檬の黄色さの珍しさから、それだけを買って帰る主人公。
檸檬に夢中になっていると、気がつけば丸善の前に(現、ジュンク堂だとか)着く。そこで・・・。

檸檬をどう映画かするか、という話で先輩と盛り上がりました。
この作品はおおよそ文庫版で四ページしかありません。
感情描写と比喩表現と、演技だけでは伝わらないその内方した描写を全て、言葉や心の声とするのか。

ただ、感情の起伏を原作通りなぞっただけでは、日本昔ばなしより尺も短く見るに耐えなくなってしまうかもしれません。

文章をなぞりながら、頭の中で再生される映像は、絵コンテのラフに近く、どことなくぼやけています。それらを整理しながら、実際に映画化された作品を見て、比較するのは、今の楽しみの一つになっています。

それは逆もしかり。その時は、映画を見て、原作を読んで、また映画を見て答え合わせをするのは面白いです。
むしろ逆の方が、本は大変読みやすいです。

終始私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。

梶井基次郎著 新潮文庫 「檸檬」より檸檬

檸檬を買った主人公は、この後ずっと檸檬の感想をこれでもかと思うくらい描かれていきます。

読書感想文は昔から、苦手でした。
小論文を書くのに、慣れても苦手でした。

ピースの又吉さんのYouTubeや村上春樹さんのエッセイに書いてあった「関連性を描く」こと、それを大人になってから知り、頭を強くうちました。

この檸檬という作品に含まれるのも、「関連性」があるように感じます。
作者の豊かな表現で、檸檬のおいしさではなく、その重さや色、匂いは人間の感情や記憶まで呼び起こされるのは、まさに「自分」と「檸檬」の「関連性」です。

そして、「関連性」だけでとどめず、そこに「想像で広げる」があります。
この檸檬によって、幸福に満たされて、他のものが手につかなくなっていきます。この嘘か誠か、読者の体験も「檸檬」と置き換えができる余地もあるから、この作品は、今世紀まで語り継がれているのでしょう。

「檸檬」のこのエッセンスをなぞれば、きっと「夏休みの日記」は大作になったに違いない。近くの文化館で表彰されることでしょう。

しかし時はすでに遅し。

先輩に返したあと、お店に行きあの「檸檬」を手に取りました。
今も時折、この「檸檬」を読み返します。

通勤をしている最中に通るおおきな歩道橋。
最近は、そこには、土日や祝日に入ると曲芸師が目立っています。

きっと、「檸檬」をおけば、不思議なことが起きるのかもしれませんね。

#わたしの本棚

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