#50. 焼きひも貝
焼き貝ひもがこんなに、美味しいとは思わなかった。
晩飯を食べた後にもかかわらず空腹だったせいか、それとも歳を重ねて舌がバカになったせいか。いや、本来の貝ひも自体が美味しいのでしょう。
元来、さきいかや、さけるチーズなど細いつまみにもなる料理、加工食品は美味しいです。
中学校で、一時期避けるチーズがブームになった。
あのお菓子でありそうで、お菓子ではない。チーズを昼に食べるというのはどこか中学生にとっては贅沢に感じる。絶妙なお昼ご飯のプラスアルファは、コンビニで簡単に購入することができた。
だが、それと同時に、『だれがさけるチーズを買ってくるか』の牽制が始まった。
一人が買ってきたら、「ちょっとちょうだいや」という圧力が必ず襲ってきた。最低でもチーズをねだる生徒10人は来る。心置きなく、寄付をしていると、一人で食べる量はあっという間になくなってしまう。
かといってかぶりつこう物なら、「さける」を選んだ意味がない。
さけるチーズはさいて食べる方が、チーズの風味が口の中に広がっていく気がする。
では、こっそり割いて食べるのではどうだろうか。
それは本来のさけるチーズの良さを失うような気がしてならなっかた。
そうして私たちはどうどうと食べ続けてきた。
あまりにも、一人で買って学校で食べるにはコスパの悪い、さけるチーズの分配戦争は、いつしか誰も買わなくなり、そのブームは影を潜めました。
歳をとったで思うこととしては、最近Mリーグを見ている。
その前は、将棋のABEMAトーナメントを楽しみに見ていました。
子供の頃から麻雀や将棋自体は日常的に目にしていたが、手をつけることはありませんでした。
これも私は麻雀や将棋の奥深さを知ったのでしょう。
昔は液晶ゲームに熱中していました。
仕事を始めて、液晶ゲーム自体がゆっくり楽しめない心持ちになっていきました。
「こんなことしてていいのかな」と、ゲーム最中に我に帰ります。
それは一人暮らしをして、家事をしないといけないなどと、より心中掻き乱れていく思い出した。
しかし、チェスや将棋、麻雀もポーカーもそうだが、短ければ1ゲームは短く、どれも運の要素(対戦相手という運も含めた)もあるが、1手1手の重みみたいな思考戦略要素に強く惹かれる時期がありました。
そうじゃないだろと心の中で自分が返答してきます。
つまりは、貧乏社会人にとってはガチャや課金に左右されない、シンプルなゲームが入り込みやすかったということだろうと。
否定するわけではないのだけれども、ファンやその実況者を知っていなければ、好きなゲーム配信のガヤでしかないと思っていたことがあります。
ゲームの実況も嫌いではないのだけれども、このMリーグの実況の熱の入り方がすごい好きになりました。もしかしたら始めてゲーム実況ってうるさいだけじゃないんだって思った瞬間かもしれません。
どのチームが推しかは決められず、「みんながんばれ!」なんて思ったりして、運動会にきた温かい保護者じゃないんだから。
村上春樹さんの、あの文章の空気、仮説の立てて組み立てていく様は本当に恐れ多いです。
しばらく貝ひもの歯応えに酔いながら歩いていると、そう思えてきました。
今度は村上春樹さんについて考えはじめようとすると、貝ひもがなくなってしまい、私は考えることもやめてしまいまた。