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徒然

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観劇の感想、つぶやき、つらつらと思うことなど
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#日記

いまさら、いまなお

サブレーとは、フランス語で「砂」という意味があり、そのサクサクと崩れる食感に由来するとか。 日本語で「砂を噛むような」と言えば、味気なさに情けなさも加味されて、決して良い意味では用いられない。 砂にも美味しい砂とそうでない砂がある。 ちなみにSugar、砂糖の語源も砂であるとかなんとかどこかでちらっと見たような気もする。砂漠の砂がすべて砂糖だったら、吸湿効果でさらに空気が乾燥するんだろうか。そんでさらに気温上昇、やがて溶け始め、シロップになりカラメルになり……その辺でやめとけ

2021年1月1日

年が明けた。 昨日から今日へと、日が変わっただけなのに、「新年」という区切りを付与されて、その日は特別なものになる。昨年があまりにも世界的にあまりにもな状況だったためか、今年はさらに特別感が増しているように感じられる。 今この瞬間にも、コロナで苦しんでいる人とその治療に携わるたくさんの人たちは、新年どころではない時間を過ごしているはずだ。いつも通り何もない新年を迎えられた我が家は、たいへんに幸運なのだと思う。 たぶん、わたしは今鬱っぽい。 冬はだいたい沈むけれど、12月の末

やむやまぬ

たいへんな世の中にどっぷり浸かって、自分もたいへんな気がしてしまっていた。 いやまあ、みんなそれぞれにたいへんなのは間違いない。 ただ、わたしは昔から「わたしなんてたまたま人の姿になっただけの塵芥」と自分を物理的に卑下する癖がなかなか抜けないので、結構な状況になるまで自分がたいへんだということを実感できない。 ほら、たまにネット上に流れてくる、一本の矢で倒れ込んでいる人を何本も矢が刺さった人が介抱している図、あれね。 そういうことで、しばらく何も書けない状態が続いていて、書こ

『ひとよ』をみた

「昨年秋に映画化されたKAKUTAの代表作。新キャストを迎えて5年ぶりの再再演!」←フライヤーより。 コロナの影響で、当初予定されていた日程と劇場を変更しての上演。 下北沢と言えば、の本多劇場である。 …あれ?わたし…ひょっとして本多劇場初めてか?! 東京在住で「趣味は観劇です」なんて言ってて?…いや、そんなはずは…でもここで『○○』を観たぜ!という覚えが……抜け落ちる記憶、作られる思い込み。まあいいや。 その本多劇場、やはりコロナに対しては厳重警戒であった。 初めて見たとき

父を、見殺しにした話

正直、投稿するか悩みました。 こんなことまで書いてしまうのか。 こんなもの誰が読むんだ。 うっかり読んでしまった誰かに不愉快な思いをさせるだけじゃないのか。 でも、こういう現実が、人生が、ほんとうにある。 こんなものを、わたしは書かずにいられない。 知りたくない人は読まない方がいいでしょう。 わたしは、これをおのれに刻み込んで、死ぬまで生き続けます。 2020年夏、ある役所から手紙が届いた。 今わたしが住んでいる自治体からではなかった。 すぐには開封しなかった。 いつも通り

『赤鬼』をみた

ヨガばかりしている間に、すっかり情報社会から遠ざかり、そもそもこのコロナ禍でどうせ(怒)演劇なんて(泣)やってないし(哀)、と油断していたら、そろりそろりと各劇場が再開しており、東京芸術劇場の再始動として芸術監督の野田秀樹氏作・演出で東京演劇道場の道場生による『赤鬼』が上演されることを知ったのは公演直前だった。 …マ・ジ・カ・ヨ……もうチケットなんて、ハハッ無理っすよね…と、やさぐれつつ探りを入れたら、なんと追加公演分がまだ残っていた!またこういうところで運を使ってしまうわた

しん/たい

いい子で自粛していた間に、ヨガにはまった。 わたしの偏ったお楽しみの数々が、すべてコロナによって封じられ、やさぐれながらYouTubeばかり見ていたここ数ヶ月。 世界中の劇場が新旧硬軟とりまぜたさまざまな作品の動画を公開してくれて、それはそれで意外と悪くない、どころか見逃していたものや現地に行かねば見られなかったものなんかもアップされて、むしろ追い付かないくらいだった。まさしく不幸中の幸い。 しかし、動かない生活というのは身体を錆びつかせる。特にスポーツなどもしておらず、ただ

『個について』について

もう言うまでもない、できれば言いたくもない、昨今の状況である。 通り魔事件などの容疑者が動機として「むしゃくしゃして」と言う、今までなんじゃそりゃ?と思っていたが、今はわかる。まさに今多くの人が、いや少なくともわたしは「むしゃくしゃして」いる。だからといって「誰でもよかった」とか言いつつ、自分より弱いものだけを器用に選り出して傷つけようとかは一切思わないが。 「村八分」「自警団」「隣組」「誹謗中傷のビラ」「同調圧力」…… 今って、2020年だよな。ほんとうだろうか。 日本って

『リーマン・トリロジー』をみた

天下のナショナルシアターライブ、今までもいくつか観ていて、ほぼハズレがないのだが、今回は格別にイイ!という評判しか聞こえてこなかった本作。気になりつつも諸々忙しくもう無理かなと思っていたのだが、俳優をやっている友人がお勧めしてくれたので、それならばと終映直前に駆け込んだ。結果、行ってほんっっとーに良かったです。ありがとう友よ。 あのリーマンショックのリーマン家の話。わたしは一族の盛衰記みたいなものがそもそも好きで、我が人生における最高傑作の座はガルシア=マルケス『百年の孤独』

刻むということ

3年前の1月に、乳がんの手術をした。 一般健診のついでに受けたマンモグラフィーで、左右の乳房に石灰化が見られたため要精密検査となり、専門の病院を受診したところ、ごく初期の乳がんであることがわかった。 誤解がないように言っておくと、石灰化があるからといって必ずしもがん、というわけではない。わたしの場合は、左右ともに石灰化があったのだが、左側のみ「凝集性」?正確な用語は忘れたけれど、なんだか寄り集まってる感じよ、という状態で、それがちょっと気になると検査したらがんが見つかった、と

2020年観劇はじめ

<script type="text/javascript" src="http://stage.corich.jp/stage/105423/embed.js"></script> うまく貼れたかしら。 今年はこちらで観劇はじめといたします。ちょっとした繋がりがあって、頼まれたわけじゃないけれど、宣言ついでに宣伝を。 とてもそそられます。年の初めに、人類最初の女性のお話というのも乙なものではないでしょうか。

今年からだった

今日は大晦日。我が家は、特別なことをしなくなって久しい。 2人家族の年越しなんてそんなもんさ。男子高校生と2人きりで今さら何をしろと言うのだ。奴はスマホに目も耳も心も奪われたまま、早々に年越し蕎麦を食べ終えて、夜中には友達と初詣に行くのだ。早々に子離れが完了したわたしはわたしで、いつもよりアルコール度数高めのレモンサワーですっかり出来上がっている。 自分が子どもの頃は、親たちが必死になって掃除をし買い出しをしご馳走を作り紅白を見て初詣に行っていた。年越しとはそういうものだとい

映画『マチネの終わりに』

珍しく試写会に当選。 言わずと知れた平野啓一郎さんによる小説が原作。日頃あまり恋愛ものには手を出さないが、ネットで流れてきた評判と表紙のデザインに惹かれて、実は既に書籍を購入していたのだった。 一読した感想は、まーあハイスペックな男女の恋愛譚、ところどころに昼ドラ的なドキドキ要素や、哲学的詩的な警句も散りばめられて、スーパーで買える高級で美味しいアイスクリームのようね。なんて例によって偉そうに言っているが、「過去は未来によって変えられる」という言葉に「おおお…」と目鱗、マネー

iaku『あつい胸さわぎ』を観た

以前から評判を目や耳にして、いつか行こうと思っていた。 このところ、いわゆる「演劇」の「概念」をアレコレするような、「客だからってぼーっとみてんじゃねぇよ!」と言われているような作品、観客もアレコレ頭を使って「今・わたしは・何を・見せられているのか?」「ここでは・何が・行われているのだろうか?」と考えながらみて、後でアレコレ総括しなければならないような作品が多かった。概してそういう作品にはアレコレ長い感想ツイートがされているからきっと他の人もそうなんだろう。いや決してディスっ