電気の止まる家で育った私。
最近は、企画参加や、皆様への感謝の記事の投稿をしていて、コメント欄では、優しい言葉をたくさん頂きました。本当にありがたいです🥰しかし、嬉しいけれど、ちょっとだけ心配なのが、私がとっても「良い人」のようなコメントを頂くこと。なぜ心配かと言うと、成育歴や両親のことを書くときの私は、嫉妬深く、ブラックな「ゆず」が全面に出るからです。今日は、そんな「ブラックゆず」の日。そう、虹色通りの更新日です。こんな私でスミマセン、というエッセイですが、私のことを応援して下さっている方にこそ、読んで頂ければ幸いです。
ようこそ!noteの街の小さな商店街・虹色通りへ🌈
『虹色通り』に私が書くエッセイは、今まで私がnoteに書いてきた、クスッと笑って頂けるようなエッセイとは少し違うかもしれません。また、不特定多数の方へ読んで頂けるような内容を書く、というよりも、今まで書くことに踏み切れなかった、自身の虐待体験や、親子関係、指定難病との付き合い方などを書いていくつもりです。
『虹色通り』、メンバーの予想よりたくさんの方に購入頂き、心より感謝致します。定期購読マガジンはお礼メッセージを送れないようで、お礼を一人ひとりに送れなくてゴメンなさい💦
🌈虹色通り🌈は、毎週金曜日更新。
🌈週間虹色通り🌈と覚えておいて下さいね!
時々、号外も発行されますので、お楽しみに♡
他のメンバーも有料記事だからこその、本音のエッセイを収録しています。
ぜひ、お手にとって頂けたら幸いです。
マガジンの特性上、単品はマガジン価格よりお高くなっています。
ご興味のある方はぜひマガジンから、『虹色通り』へ🙌
今日は、「嫉妬」について書いてみようと思います。
私、あなたに嫉妬しています。いや、嫉妬しまくっています!笑
ということで、
ブラックな気持ちをつらつらと書かせて頂きます。
私は、母から殴られて育った。叩く、ではなく、殴る、という表現が合っていると思う。そもそも、私の名前(本名)は、母がつけたかった名前と違う。母は「ゆき」という名前をつけたかったらしく、産まれた病院でも
「ゆきちゃん」と呼んでいたらしい。しかし、役所に出生届を出しに行った父が全く別の名前で戸籍にのせた。私につけられた名前は、母いわく、父の昔の女性(彼女)の名前だとのこと。なので、父が私の名前を呼ぶたびに
腹が立つと言っていた。母にとって嫌な思い出しかない名前なので愛情をこめて呼ぶことなど出来るはずもない。名前は親からもらう、一番初めのプレゼントだと聞くがそのプレゼントがこれだからどうしようもない。そんな始まりだから気に入らないとすぐに殴られる。自分の手で殴ると痛いので、ふとんたたきや、掃除機で殴る。そして、それ(物)が殴った衝撃で壊れると
また、ものすごい剣幕で怒る。殴られると痛いので泣くと、ベランダに出される。そして、夜中に子どもがベランダで泣いている、と、近所の人が通報して警察が家に来る。今考えたら、完全に児童相談所案件のような気がする。
ここまでは、下記の記事に記載しています。
そもそも、幼少期~10代は「お金がない」という印象しかない生活だった。何しろ、毎日、借金取り(当時は、こわーいお兄さんがやってきていた)の人が、「貸した金返せ」と家にやってくる。今では違法だと思うけど、40年以上前のこと。当時は、「金、返せ!」と大きな声で叫び、玄関のドアを蹴る音が響くことは、私にとっての日常だった。当時、小さな2DKの市営団地に住んでいて(5人家族で和室2つだけの狭い団地)、押入れの中で、体操座りをして、息をひそめて、借金取りが帰るのをじっと待つ。
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