岩や草木と話す日々
家のそばにある草木や岩に話しかけるという日課がわりと気に入ってる。子供のころ、ぬいぐるみとぬいぐるみとか、石と石とかで一人二役の会話をしていたあの懐かしさもちょっと思い出す感じ。
でも草木や岩からはちゃんと返事がくる(ように感じる)。しかも「おはよう」とか「いいよ」とか「ありがとう」とか「がんばって」とか、ポジティブな反応しか返ってこない。人間らしきものは誰もいないところに向かって話しかけたり笑ったりしている私はだいぶ怪しいかも。
いつも守られていた、と思う。生まれてからどんな状態の時も、私がすっかり忘れて気に留めなくなった時期も、離れていってしまうことなく今現在まで側にあるたくさんのもの。そういうものに、守られてきたんだと思う。家の草木や岩もそう。岩が変わらずずっとそこに在って、草木が黙ってそこで揺れているのを見ると、愛だなーと思う。ずっと「おかえりー」とか「おめでとうー」と言ってくれてたことに私が気づいていなかっただけなんだと思う。この感覚は気に入っていて、これからも持っていたい。
「おはよう、今日は雨の神様が絶好調」
「やっぱりこういうの通じる人とパートナーになりたいよ」
「いつもありがとう、今日もよろしくお願いします」
「せっかくいただいた命、楽しんで生きていきますね」
植物の世界はけっこう情報量が多い。あっちの蕾が咲き、こっちの芽が出、ミントが繁ったかと思ったらヨモギが優勢になり、雨が降った後は動物のように勢いよく伸びる。葉や花の配色は非の打ち所がない美しさ。よく見るとアブラムシやイモムシやアリなどいろんな虫が出入りしており、日々命をめぐるドラマの舞台になっている。むしゃむしゃ食べられていても黙って自分を差し出す。常に風を受けて揺さぶられているし、土砂降りになったかと思えばカンカンに照らされる。
正直過酷すぎ。毎日大変だよね。でも草木も岩もめっちゃ和やかなムードでそこに佇んでるので、奇跡かよと思う。
いずれにしろ草木や岩との会話はとても気持ち良い。
ちょっとした瞑想のようでもある。