『楽園の烏』(八咫烏シリーズ)感想
『楽園の烏』阿部智里 文藝春秋社 2022/9/28読了
八咫烏シリーズ第二部のスタート。
いきなり人間界からスタートしましたが、玉依姫のときのような衝撃はさすがにないな。ただ驚いたのは、どうやら話の端々から玉依姫よりもずいぶんと時が進み、現在進行形かそれに近い時点に来ているらしいことが読み取れます。
(ここで年表を見たのですが、『玉依姫』は1995年、『楽園の烏』の時点では2016年頃のようですね。)
人間界に住む安原はじめは、失踪宣告を受けた父親から山を相続します。その途端、彼の周囲には山を売ってほしいと頼んでくる男たちが現れます。辟易していたところに次に現れたのは、幽霊と名乗る美しい女性。
はじめは彼女に促されるまま、相続した荒山へとたどり着き、その内部に異界が存在することを知ったのです。
ここで安原はじめの前に出てくるのが出家し雪斎と名を変えた雪哉。(雪哉のままでもせっさいと読めるんだな。)
前作である『弥栄の烏』からは二十年ほど経っているとのことだから、雪斎はだいたい四十くらいでしょうか。
この間に雪斎は黄烏となっています。黄烏とは、東家/南家/西家/北家から認められた摂政……でいいのかな。
けれど黄烏というのは金烏がいないときにその代わりを務める、という記憶があるんですよね。前の黄烏は、先代の真の金烏が神域で亡くなった後、山内が混乱しないようその位に着いたはず。
ということは奈月彦は何がどうなってんのか? でも長束様は金烏の兄って言われてるし???
と、頭の中には?が飛び交っていましたが、疑問は何ら明かされることなくそのままにお話はどんどん進んでいきます。
というか、事件が起きすぎて遡っている暇もない!
途中からは千早も出てきましたが、千早は今は山内衆を辞しているとのこと。
これもまた何がどうして? ていうか明留に何があったの?
と、本当に疑問符ばかりで頭が埋め尽くされましたが、何しろこのお話の語り手は人間界から来た安原はじめと、山内衆ではありますが年若く、かつ、最近まで外界(=人間界)に留学していた頼斗であるため、かつて何があったのかはさっぱりわかっていないのです。
第一部でも散々思ったことですが、本当にこのシリーズは視点によって全く物語が違ってきます。第二部スタート早々に、その視点の違いにどっぷりと埋まってしまい、翻弄されているという感じ。
なのにどんどん事件は起こり、新しい登場人物や山内の現在、その問題点、それぞれの人のそれぞれの立場から見た世界、その世界での生活、この先の展望、そんなものが次から次に襲ってきて、本当に息つく暇もない。
そうして明らかになったのは、この二十年のうちに何事かが起こり、山内は以前とまるで変わってしまったということ。そしてその変化には雪哉が、雪斎が絡んでおり、千早は雪哉とは道を違えてしまったこと。
安原はじめは確かに人間であるけれど、彼は、彼自身がそうとは認識していなかっただけで、かつて山内に暮らしていた男の息のかかった者であること。
最終章ではいろいろと衝撃的な事実が明らかになりましたが、『弥栄の烏』あたりで露わになってきていた雪哉の、目指すべき最短の道を、それが非道であろうとも選ぶという姿勢がより鮮明になっていました。それも、非道という部分がクローズアップされる形で。
こういう提示の仕方では、読者は雪哉は間違っていると言いたくなってしまう。
でもそれすらも計算されたお話なんだろうな、と思います。作者の阿部智里さん、ほんとすごい。
しかしいろいろと衝撃の事実がありましたが、個人的に一番……というか、本当の意味で衝撃を受けたのは、治真どうしちゃったん?てことかな。
『弥栄の烏』の後半だったか、雪哉に憧れる可愛い後輩として出てきた治真ですが、なんというかこう……雪哉のふてぶてしい部分や汚いことにも場合によっては手を染める、そういう部分は治真は似てほしくなかったなぁ。
とはいえ、雪哉の片腕となることを決めた時点でそういう部分を担うことになるのは治真には当然わかっていたわけで、それでも片腕となったのだから、彼自身は納得づくなんでしょうが、それでも。
ともあれ、この巻で明らかになったのは、安原はじめの父親が何を望み、何を考え、こうしたか、ということくらい。
その結果どうするかまでは安原はじめに預けているし、安原はじめがどういう方向に進むかということも正直何もわからない。
安原はじめが、雪斎や治真が何を考えているのか、真意に気づいた訳でもないらしい。かといって、何も気づいていないと言い切るには彼は洞察力がありすぎる。
結局のところ、雪斎が何を望んでいるのか本当のところは全く読み取れない。
千早が雪斎について実際にどう思っているのかもわからない。
長束様がなにをどこまで知っているのかもわからない。
それ以外のこれまでの主要登場人物は全くと言っていいほど出てこないから、彼らが何を思っているのか、何があって雪哉が黄烏となる道を選んだのかもわからない。
そんなふうに結局何が何やらわからない、ということが示されたお話だった気がします。
ただそれは、何が言いたいのかわからなくって面白くないと言うことではないんですよね。
視点が変われば全く違うお話になる、というくらいに登場人物の心のひだを描いているお話だからこそ、今回のお話は単に第二部になったから新しいなにか、というようなものではなくて、安原はじめがこれからも山内に大きな影響力を持っているということを示すお話だったと思います。
『玉依姫』の志帆がそうだったように。
ただ、『玉依姫』とは違うのは、あちらはものすごく大きなターニングポイントとなったにもかかわらず、志帆も山神もその後はまったく出てこなかった(まぁ油断はできないけども)のに対し、安原はじめはきっとまた出てくるだろうな、という建て付けになっていること。
おそらくはまた近いうちに彼の再登場があるんだろうな。
そのとき、今度はどんなふうに違う視点で、違う物語が語られるのか、楽しみです。
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