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書店のカバーを外して裸の本を持ち歩く
「カバーをおかけしますか?」
書店で本を購入すると、書店員さんがかけくれるアレについて話させてほしい。
まずはじめに、わたしはカバーをかけてもらう派だ。
(余談だが)最近は書店でもセルフレジが置かれるようになり、カバーもセルフでかける機会が増えた。
手先が器用ではないわたしは、セルフでカバーをかける度に、書店員さんの手際の良さを思い知るのだ(余談おわり)。
なぜカバーをかけてもらうのか?
それは、通勤中やランチのときに読書をすることが多いので、どんな本を読んでいるのかを世の中に対して大っぴらに公開するのが恥ずかしいからだ。
もちろん、誰もそんなことを気にしていないのは分かっている。分かっていても、だ。
あと、手汗だったり、いつの間にか付いてしまう汚れ(特にコーヒーのシミは神出鬼没)から本を守りたいという気持ちもある。
でも、ふとカバーを外してみたくなった。
なぜか?
端的に言うと、本のポテンシャルが十分に発揮されていないように感じたからだ。
せっかく装丁(表紙、背表紙、裏表紙、ブックカバーや帯など、本の外側のデザインのこと)が素敵な本なのに、読まれている最中はカバーをつけられて、読み終わってやっとカバーが外されたと思ったら、本棚にしまわれて背表紙しか披露できないというのは、なんだか不憫なようにも感じる。
本の装丁は、おそらく多くの人たちのシゴトで出来ていると思われるが、その人たちはカバーがかけられることを本当に望んでいるのだろうか?
あと、これは共感を得にくい行動かもしれないが、装丁が素敵な本に出会うと、定期的にカバーを外して表紙やら帯やらを眺めてニマニマするクセが、わたしにはある。
そんなに装丁のことが好きなら、いっそのことカバーを外して、もっと堪能したほうが良いのではないか?
という考えに至ったのだ。
だがしかし。
外で読書をするとき、裸の本(=書店のカバーを外した、ありのままの状態を指す。以後、この言葉を当たり前のように使っていく)だと「わたしは今この本読んでますよーー!!」と周りに主張していることになるのではないか?
もちろん、誰も気にしてないことは分かっているのだ。
分かってはいるが、やはり気になる…
それでも、物は試しだ。やってみることにした。
📚 📚 📚
まずは朝の通勤電車(せっかくなので混んでいる山手線)で"裸の本"を読んでみることにした。
この記念すべき(?)初体験を共にしてくれたのは、先日、タイトルと装丁に一目惚れして購入した『ロイヤルホストで夜まで語りたい』という本だ。
(ロイホ/ロイヤルファンにはたまらない内容なのでぜひ読んでみてほしい)
さて、実際にやってみてどうだったか?
(薄々そんな気はしていたのだが)これが全く恥ずかしくなかった。
やはり、山手線で通勤している皆さんは、わたしが本を読んでいること自体にもちろん興味がなく、それが”裸の本”であっても、そもそも気が付かない。
手元のスマホに夢中だ。
ありがとうスマホ。
あなたの魅力のおかげで、”裸の本”を持ち歩いても、全然恥ずかしくなかったよ。
その後、スタバでも読書してみた。
”ロイヤルホストの本をスタバで読むこと”が倫理的にどうなのか?は少し気になったが、山手線と同様、誰ひとりとして”裸の本”をチラ見してくる人はいない。
みんな、パソコンやスマホ、友人との会話に夢中だ。
やはり、誰もわたしのことなど気にしていない。
なんてことはない、”裸の本”はぜんぜん恥ずかしくないぞ!と気付いた。
恥ずかしくないのであれば、お気に入りの装丁をいつでも眺められるというメリットも享受できるわけで、やはりカバーは外したほうが良さそうだ。
📚 📚 📚
さて、これはエッセイなので、何か面白いエピソードがあったほうが正直よいのだが(例えば、向かいの人から「その本は何ですか?」と話しかけられる等)もちろんそんなに都合よくハプニングは起こらない。
ちなみに『ロイヤルホストで夜まで語りたい』が面白すぎて一気読みしてしまったので、次は伊坂幸太郎さんの新作『楽園の楽園』を書店で購入した。
その際、レジで書店員さんの「カバーをおかけしますか?」に対して、人生で初めて「かけなくて大丈夫です」と答えてみた。
わたしにとっては初めての返答で、緊張と興奮でちょっと声が震えてしまったが、書店員さんにとっては通常の受け答えなのだろう。
何事もなく本をそのまま渡してくれた。
晴れて(?)わたしはカバーをかけない派の人間になり、”裸の本”を外に持ち歩くようになった。
この変化は、おそらく自分以外の誰にも影響を及ぼさない小さな変化で、でも自分にとっては日常におけるささやかなスパイスのような出来事で、そんな遊び心みたいなものをこれからも大切にしていきいたいと思っている。
ささやかな企みとして、これから先、何かの拍子でわたしの読んでいる”裸の本”を見た人が、「表紙のデザインがかわいいけど何の本だろう?」と思ったり「え!○○の新作出たんだ!」となって、書店に足を運んでくれたらうれしいなと妄想している。
もしそうなったとしても、わたしは知る由もないのだが。
そんな企みを忍ばせながら、今日もわたしは本を読む。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
勢いで書いて、勢いで公開した「人生初エッセイ」でした……ドキドキ
スキを押していただけると、この文章を公開するか最後まで悩んでいた自分が救われます。なにとぞ。
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