ヤドカリ放浪記2014〜臼杵編〜
12月16日
AM4:39
ひろきん邸
温泉朝粥出店の為に起きる夜明け前
しかし雨だったから独断で温泉朝粥は休みに決定
ヤル気満々だった為に眠気がブッ飛んだ朝
テレビを点けて、ボ〜ッと過ごす
テレビに釘付けのまま四時間が経つ
眠気が再び襲って来た頃、何気に外を見たら晴れてた
出掛けなきゃ∑m(`・ω・´ )
AM9:48
ヤドカリ駐車場
愛車起動
ナビに行き先を設定
しかしナビの案内を無視して自分の行きたい道で大分を一気に南下します
AM11:22
臼杵
近年は城址や城下町の町並み・国宝の臼杵石仏・醤油の製造等で有名かつ人気
前回、臼杵城を観ただけなので、今回は城下町がお目当てです
城下町は城の真下に辻と呼ばれる広場が残り,街路が放射状に延びているのが他の城下町にない臼杵の特徴
AM11:26
辻井戸
古くよりこの井戸を中心に発達してきた程重要な位置を示す臼杵三大井戸の一つ
大友氏の家臣がこの辺りにいて辻井殿と呼ばれていたのが訛って辻井戸となったらしい
ちなみに井戸は塩分を含まない上質の水が湧出する為、上水道が普及するまでは住民の生活用水や醸造用の仕込み水にも使われていた
しかしシーズンだからと言って井戸にイルミネーションは無いよな…
AM11:33
臼杵市観光交流プラザ
前回は臼杵を去る最後に訪れたスポット
キャッチフレーズが臼杵を訪れる観光客が最初に立ち寄る場
今回は訪れる予定は無かったが辻井戸からレンタサイクル無料の文字が見えたので立ち寄る
受付し、早速乗るとうちのチャリより漕ぎ易い
こりゃ〜スムーズに観光出来るな
AM11:40
さかいや
慶応元年創業の饅頭屋
宝永三年に堺から臼杵に移り、回船問屋を営んでいた堺屋の屋号をそのまま受け継いだのが始まり
現在六代目の人気な老舗である
季節に応じて作る5〜7種類の饅頭が並ぶが早い時は昼過ぎには全ての商品が売り切れてしまう事もあるらしい
俺は買わなかった
AM11:42
海鮮かわ村
臼杵の海鮮丼で有名な店
でも先週、佐伯の塩湯で食べた海鮮丼の方が絶対良いと秘かに思っているのは此処だけの話w
しかし海鮮丼だけではない
鰤しゃぶ御膳をはじめ、様々な膳が揃う
そして武将が喜びそうな武者御膳と品数は豊富
でも俺が昼飯で手の出せる様な金額じゃないんだよな(^ω^;
AM11:46
稲葉家下屋敷・旧平井家住宅
約千坪の敷地を持つ旧臼杵藩主の別邸
国登録有形文化財の旧稲葉家別邸と県指定有形文化財の旧平井家住宅が公開されて茶房もある有料施設
稲葉家別邸は廃藩置県に伴って東京へ移住した旧臼杵藩主の臼杵滞在所として1902年に建築
武家屋敷の様式を色濃く留めた立派な屋敷だ
一方、旧平井家住宅は稲葉家別邸に隣接している江戸時代の建築様式を残す上級武士住宅
庭園も美しく観ものである
これらを入場料を払わず外から眺める
AM11:48
土蔵ギャラリー
二階には荘田平五郎関係資料展が開催されている
同じ敷地内には国登録有形文化財である荘田平五郎記念子ども図書館が建っている
だけど改装中で中には入れなかった
AM11:56
八坂神社
建速須佐之男神・大名牟遅神・櫛名田比売神を祭神に祀る神社
境内には粟島社と本護稲荷社が建てられ八幡社・稲荷社・蛭子社・愛宕社・金毘羅社など摂社が水社に合祀されている
なんか心鎮め癒されるスポットです
PM12:00
町八町地区
八つの町で構成された石畳エリア
幕末まで藩の経済中心地として繁栄していた地区だ
惹かれる飲食店が犇めき合っている
こんなに飲み屋が軒を連ねているのに何処と無く風情がある通り
しまったなぁ〜自転車借りずに歩いて散策すれば良かった(^ω^;
PM12:03
陳元明屋敷跡
十六世紀終わり頃、大陸殻渡来した陳元明という人物が住んでいた屋敷跡
彼は1586年から豊臣秀吉によって始められた京都の方広寺大仏及び大仏殿の造営に漆喰技術者として深く関わった人物らしい
白壁海鼠壁の佇まいだが壁の向こう側は近代的な建物が建てられており、普通に住居として使われている
PM12:05
野上弥生子文学記念館
臼杵出身の作家は1885年,小手川酒造の三代目角三郎とマサの長女として誕生
夏目漱石門下の野上豊一郎と結婚後、ホトトギス・縁を掲載して作家デビュー
以後99歳まで現役作家として多数の作品を発表
此処はそんな彼女の生家を改修して造られた記念館
文筆活動で愛用した文房具や書簡・写真・原稿など生涯の遺品を約二百点を展示しているらしい
有料なので入らない
PM12:07
小手川酒造
そんな野上弥生子の実家である蔵元
創業は1855年、現在でも江戸時代の趣きをそのままに酒を作っている
主に焼酎を作っているが宗麟という日本酒も作っている
車で来るんじゃなかった…orz
PM12:12
久家の大蔵
江戸末期1868年に棟上げされた古い酒蔵
造り酒屋の久家本店がかつて貯蔵庫として使用
現在はギャラリーとして開放
蔵の外壁や内部にはロジェリオ・リベイロ氏により制作されたポルトガル独自のアズレージョの壁画が装飾されている
天使や聖職者等が描かれたパネルの中には大友宗麟も描かれたパネルもあり往時のキリシタン文化を彷佛とさせる絵柄ばかり
PM12:20
満寿屋
臼杵のアンテナショップ
商品の種類や味を知ってもらう為に久家本店製造の日本酒・焼酎・リキュールを多数展示
試飲も出来る
車で来るんじゃなかった( ;∀;)
PM12:21
居食屋もんく
畳屋町の路地裏にあった外観イカす居酒屋
鮫の唐揚げが名物らしい…
どうやら臼杵は夜に来た方が楽しいみたいだなw
飲み歩きたい
臼杵もバルやっているらしいから来ねば
PM12:25
龍原寺
1600年創建
寺の境内には臼杵が誇る三重塔が建つ
臼杵が生んだ名匠高橋団内が奈良や京都の古寺を巡り古い塔の長所をとり入れた理想的な三重塔の図面を引き、それを基に弟子の坂本荘右衛門が監督し、塔を1858年に完成
九州でも数少ない江戸時代の三重塔の完成である
内部には聖徳太子の像が安置されているらしい
前回、時間が遅くて門が閉まっていたので薄暗闇の中、外観だけちょっと観ただけのでジックリと鑑賞させてもらう
しかし横の墓地が掘り返されていたのが気になる〜💦
PM12:30
大橋寺
1548年創建
開山日入祐範上人は南都東大寺子院の僧にて本尊・阿弥陀如来の尊像を奉載して西国を遍歴し産ケ島に至り、西方寺を開創し、衆生を教化する
大友宗麟はその徳に感じ永禄年中精舎を建立し参詣に便ならしむ為、大長橋を架せしにより時人大橋寺と呼び遂に寺となる
そんな歴史のある寺の山門である高麗門は指定文化財
また本堂に繋がる階段の上にある観音堂は宗麟の奥方を祀っている御堂らしい
PM12:37
二王座歴史の道
約九万年前の阿蘇噴火で形成された阿蘇溶結凝灰岩の丘を切り割って造られた切通の道
宗麟時代から街道筋として役割を果たした道
江戸時代には武家住宅と寺院とが混在する街並みは臼杵を代表する景観
また臼杵の歴史と文化を伝える歩く歴史博物館とも言われている
下手な店や近代的建物も無くてホント城下町風情が残っているスポットだ!!
やっぱ自転車なんか借りずに歩いて散策すれば良かった
PM12:38
金比羅水
金毘羅社の土地の岩盤をくり抜いて掘られている所から金毘羅井戸と呼ばれている名水
現在は殆ど使用されておらず、この金毘羅水は海添の山下水・市浜の近衛水とともに臼杵三名水の一つに数えられていたらしい
もう渇れている感じだったもんね
でも良い感じの井戸だ
PM12:39
加納家屋敷
戦国時代以来、稲葉家に仕えた臼杵藩の有力な家臣・加納家の下屋敷
子孫に豊後南画家の加納雨蓬を持つ名門
現在は古川歯科の看板が掲げられている
PM12:42
直良信夫顕彰記念館
元々は長屋だった建物の最も切通し側の長屋が明石原人発見者・直良信夫の生家
直良信夫は戦前、長らく独学で考古学・人類学の研究を行い日本での旧石器時代研究のきっかけを作った人物
明石人骨を発見し、松本清張の小説・石の骨のモデルになったとの事
生家入口には生誕の地の碑が建っている
館内は小規模ながら直良信夫関連の資料が展示されている
隣の赤猫堂はお休み
PM12:47
切通・甚吉坂
山等の地形を切り開いて通した道を一般的に切通しと呼ぶが臼杵で切通しと言えば城に続く主要道の事を指したこの道の事だそうだ
また甚吉坂は切通しからの三差路と田町方面とを結ぶ坂道を指す
甚吉とは大友宗麟の家臣で槍の名人として名を馳せた吉岡甚吉の事
1586年、島津軍が臼杵を侵攻した時に吉岡甚吉がこの坂に立ちはだかり島津軍を迎え撃ち
見事な働きを見せたと伝わる
それからいつしかこの坂を甚吉坂と呼ぶようになったとか…
俺もどっか名前を残せないかな〜
ひろきん温泉とかw
PM12:49
旧真光寺
1716年に旧臼杵藩士・稲川小右衛門の長男・宗通により開基された寺
この寺を核とし、この界隈は切通しと呼ばれる臼杵の街並みを代表する景観として人々に親しまれている
真光寺の移転に伴い町並み散策の休憩拠点として整備されている
落ち着く広い休憩スポットだ♪
PM12:53
旧片切家屋敷
旧真光寺のすぐ前の石段を登った所に建つ幕末の臼杵藩随一の剣豪・片切八三郎の屋敷
立派に佇む門構えに魅了される
また八三郎の息子・仲根貞彦は経済人
そして歌人としても有名な方らしい
石段と門だけが見学ポイント
現在は縁もゆかりも無い方が住んでいる模様w
PM12:54
竹林山法音寺
臼杵城より鬼門の方角にあたる為、山門には魔除けの持国天・毘沙門天の仁王像がニラミをきかせている伝統と格式ある寺
神仏守護の聖地らしい
境内からは寺には似つかわしくない美しい曲が流れている
な…なんか癒やされる〜
本堂の裏には非常にパワーの強い豊上稲荷大明神が祀られている
ビンビン素晴らしい気を感じましたぞ
PM1:02
旧斎藤家屋敷
元臼杵藩士であった斉藤氏の住宅だったらしい
斎藤氏は美濃国出身ではじめは筑後の有馬氏に仕えていたが、斉藤利長が臼杵藩主第五代景通に150石で召抱えられ臼杵に住むことになったとか
PM1:04
善法寺
1334年創建
開基の廊玄上人は佐々木五郎義清の曽孫と伝えられ臼杵末広に来て善法寺を創立
1624年、十一世の時、藩主・稲葉一通の命により現在地に移る
真宗の寺院としては九州最古寺の一つである
観た感じ、特に…(´・ω・`)
PM1:05
稲葉家土蔵
稲葉家の土蔵だった蔵を休憩所に改築
稲葉家の歴史も知る事の出来る無料スポット
二階には古い町並みの写真が展示されている
旧真光寺の休憩処とそんなに離れてないのに良い休憩所を幾つもお持ちで臼杵は…
ついでに旅人用に無料寝床を作って欲しいものだ
PM1:08
釘宮邸
稲葉家土蔵から坂を登った所にある一軒家
屋敷の北側には高さ四mほどの高石垣と低い土塀の内側に際立った白い窓枠の洋館風の建物が建っている
日本家屋とドッキングした洋館風建物は2002年に公開された映画なごり雪の中で登場した雪子の家のモデルになったとか…
臼杵のこの町並みには似合わないけどなんか良い?
PM1:10
旧伊吹家住宅
母屋が江戸時代後期1790年に建てられたもの
臼杵に現存する侍屋敷の中では最も古い建物だとか…
屋敷の周りに石垣を巡らす事がほとんどなかった臼杵城下町の中で当時唯一見事な石垣を持っていたと特筆される存在
内部の二間続きの座敷脇に表玄関の痕跡を留める等、当時の一般的な藩士達が格式を大切にして生活していた様子を今なお偲ばせているらしい
此処も外観のみの公開なんだから内部情報を公開すると見たくなるじゃん
PM1:12
伝春日局屋敷跡
初代臼杵藩主の兄・重通の養女であった斉藤福
1603年、夫の稲葉正成と離別後、この地に帰ってきた
その後、子息の正勝・正定・正利と一緒に江戸城に上り、将軍秀忠夫人の侍女となった
容色美麗だった福は将軍の目に止まり1604年、後の家光となる竹千代を出産
併し父の斉藤利三が明智光秀と共に織田信長を討った理由で竹千代は秀忠夫人の子と披露される
そんな数奇な人生を歩んだ斉藤福こと春日局の屋敷跡
PM1:16
香林寺
創建は1649年
釈迦木像坐像を御本尊に祀る寺
以前は坂の上にあったが1886年に現在地に移る
境内には江戸中期作庭になる池泉式庭園があるという…
それらしきものはあるけど汚いよ
そんな由緒あるものなら手入れして観光客に見てもらおうよ…
PM1:18
旧稲葉家長屋門
江戸時代の臼杵藩主・稲葉家の分家の門
両側に家臣等の住む部屋を持つ門の様式を長屋門と呼ぶ
此処に住むのは臼杵藩では家老に続く重職の家来にしか許されなかった
現在は茶房長屋門として営業
庭園も立派
グルっと回って此処に着いたが本当は稲葉家土蔵のすぐ隣
PM1:20
サーラ・デ・うすき
臼杵市の中心部にある多目的交流施設
南蛮文化展示コーナーや大友宗麟が日本で初めて使った大砲「国崩し」のレプリカ・ポルトガルとの関係を示す資料等が展示
中に入るといきなり生演奏
急に異文化の世界に飛び込んだ感じになりました
また中庭は村瀬庄兵衛屋敷跡・可児醤油醸造蔵跡である
さっきの長屋門にも抜けられる
PM1:24
旧後藤家長屋門
詳しい説明が書いているものが見当たらない
おそらく臼杵藩士の後藤さんら重職系の家臣達が住んでいた所なんだろう
門がかなり立派なのでカメラに収めただけで満足ですw
PM1:26
八町大路
お八栄ちゃんがマスコットの中央通り商店街
慶応創業の店が多い
外観からなんやら江戸時代きもの赤穂屋・うなぎ茶屋・玉香園茶舗・石田屋・染と織ふじわら・ハシモト屋・しがや・茶処若竹園・加藤椎茸店・冨士屋甚兵衛等と味のある店ばかり
別府にもこのくらいの活気が欲しいな
PM1:30
鑰屋
慶応五年創業の臼杵で一番古く大分で一番古く九州で一番古くから続く味噌醤油屋
八町大路の中で一番惹かれた店
美濃の藩主・稲葉貞通が臼杵に移封される一年前に臼杵を偵察に来た七人の侍の一人・可児孫右衛門が次男坊と共に始めた味噌醤油屋
その名も鑰屋可児傳右衛門店
豊後国、大分醸造業の始祖でもあるらしい
以来400年四度の大火、西郷隆盛の焼き討ちにもビクともせず当時の姿で商いを今もなお営んでいる
通りで惹かれるわけだ♪
PM1:38
石敢當
古代中国の武将にあやかった魔除けであり、沖縄でよく見られる石塔
臼杵ではせっかんとうと呼ばれている
八町大路に建つ石敢當は四百有余年前の戦国時代に明国の商船が入港して南蛮貿易の市場が開かれ取引上の喧嘩を鎮める為に建てられたと伝わる
大きく上品で整っている文字は中国人の書であると言われ、筆跡に大陸的な風格があります…
そうかな〜沖縄で観たのと違いが分からないけど…
PM1:42
臼杵市観光交流プラザ
市民も集い交流できる中心市街地のにぎわいの場をコンセプトに中心市街地整備の集大成として整備を進めてきた施設再び
さて臼杵城下町散策も終えて自転車を返しに来た
もうちょっと時間を掛けて見たかった位だ
また近いうちに来るかも♪
PM2:17
臼杵磨崖仏
国宝臼杵石仏ではなく特別史跡大日石仏
白馬渓の少し下流の崖に彫られた七体の磨崖仏
これらは平安時代の終わり頃から鎌倉時代に掛けられて造られたものと推測されている
ほっほ〜いいね
でもナビ通りに此処を目指したら山に引きずり込まれて道に迷ったのはココだけの話w
多分臼杵に来る時にナビの指示を無視したから腹いせに嘘の案内をしたと思われるw
PM2:27
臼杵大佛殿
敷地内に温泉を持つ海鮮旅館が建つ日本最大級の大仏殿
黄金の仏像を70体安置している仏閣マニアには堪らないスポット
2001年、オーナーの枕元に黄金に輝く仏像が現れた
数日に渡って同じ時刻に枕元に立ち神託を残す仏様を信じ大仏殿を完成させる
小講堂には不動明王をはじめとする八大童子や干支の守護仏らが祀られている
三宝荒神・三面大黒天・蔵王権現の大金運三神も祀られている
此処は小さめな仏様を祀っている
だから小講堂なのね
薬師堂には薬師如来
薬師撫で仏で直接仏様に触れられる♪
龍神堂では葵稲葉白龍大神
大講堂は8mの大日如来を中心とした21体の立体曼荼羅ゾーン
如来・菩薩・明王・天部からなる金剛界曼荼羅
煩悩を絶って悟りを得た無上の境地の世界
う〜ん心洗われます
金堂は病気を治し寿命を延ばしてくれる現世利益の仏で日光菩薩・月光菩薩や十二神将を従え8.2mの薬師如来を中心に六観音達が参拝者を出迎えてくれる
圧巻というか荘厳というか心奪われます♪
いや〜ここは良いスポットだ
PM2:56
国宝臼杵石仏
山肌の凝灰岩の岩壁に刻まれた磨崖仏・臼杵石仏は石仏造営の時期や事情を証する史料は一切残っていない
地元に伝わる真名野長者伝説によれば長者が亡くなった娘の菩提を弔うために彫らせたとの事
仏像の様式などから平安時代後期から鎌倉時代の作と推定
その磨崖仏の規模と数量,彫刻の質の高さにおいて日本を代表する石仏群であり、1995年には磨崖仏では全国初,彫刻としても九州初の国宝に指定
石仏の数は60余体にもおよび、このうち59体が国宝に指定
そんな国宝を観る為まずチケットを購入
臼杵石仏ゾーンだけなら540円
美術博物館と共通入場券なら710円美術博物館は単体だけなら400円だから興味ないけど、お得な感じするから共通券購入
すると臼杵石仏と稲葉家下屋敷・野上弥生子文学記念館・吉丸一昌記念館の四施設共通入場券だと1100円と知る…
今更戻る時間も無いので仕方なく二施設共通入場券を購入
時間からして美術博物館に行った方が良さそうなので国宝は後回し
楽しみは取っとくタイプなんです
PM3:00
ヤマコ臼杵美術博物館
国宝臼杵石仏発掘資料と県有形文化財臼杵藩稲葉家資料の二本立て博物館
美術館って感じではない
ものの二十分で見終える
PM3:25
願い不動明王
高さ2.2mの磨崖仏
ちょっと窪んだ窟の中に彫られた不動明王の坐像
見事です
此処まで登るのにチョイと滑って転んだのは明王様のいたずらか?
PM3:30
石仏参道
此処で入場券を見せていざ国宝拝観へ♪
前方の観光客が頼んでいたらしいガイドを傍から盗み聞きするw
PM3:33
ホキ石仏第二群
二龕に分かれていて、第1龕は中尊に阿弥陀如来坐像を配した三尊像
第2龕は比較的小さな九体の阿弥陀如来像が刻まれている
中央に裳懸座に座す阿弥陀如来坐像
その左右に4躯ずつの阿弥陀如来立像
PM3:36
観音の水
ホキ石仏第二群のすぐ前にある湧き水
水中にも石仏
一口飲んでみる…
温泉成分含んでるんじゃね?って思う程なんとも言えない味
浸かりてぇ〜(≧ω≦)w
PM3:45
ホキ石仏第一群
平安時代から鎌倉期に至るまでの磨崖仏が20数体並ぶ
4つの龕からなり、第1龕は如来坐像3体と菩薩立像2体
第2龕は阿弥陀如来坐像・薬師如来坐像・如来坐像の3体
第3龕は大日如来像ほか4体
第4龕は地蔵菩薩半跏像並びに十王像の11体
壮観極まりないです
ちなみに石仏の下の穴は御経などを収める為に掘られたものらしい
PM3:52
五輪塔
ホキ石仏第一群から少し離れ、足元も悪い場所に建つ塔全体が一つの石で刻み造られた珍しい石塔
大きいな五輪塔と小さな五輪塔が建ってます
大きな五輪塔は1170年と銘が刻まれており、小さい五輪塔は1172年と刻まれている
日本で最も古い五輪塔らしく国指定重要文化財・特別史跡の附指定とも事…
附?
ちなみにこの五輪塔は所有者がいる為、ネット等でも掲載は著作権だの何だのと煩いらしい
なので撮らなかった
PM3:59
山王山石仏
中央の如来像と脇に1体ずつ如来を刻む三体の如来像
仏像の顔は輪郭が丸く何処と無く親しみのある顔の石仏
竹やぶに隠れていたので隠し地蔵とも呼ばれていたらしい
この時は苔などから石仏を守るため青いライトで囲まれていた中央の石仏
おかげでよく見えない
でもこの状況…
日焼けサロンで焼いている姿に見えたのは俺だけ?
PM4:10
古園石仏
大日如来像を中心とする曼荼羅を構成し、整然とした陣容を備える石仏群
臼杵石仏の中心的存在で古園十三仏とも大日山石仏とも言われていまる
メディアによく出る顔だけの石仏はこの中尊大日如来である
1993年に修復を終え、実に数十年ぶりに頭と胴体が繋がり翌年国宝に指定された
石仏としては初めての国宝指定であり九州で指定された国宝第一号だと
いや〜良い表情してるわ〜♪
実に美しい石仏だ で見飽きない
見飽きないけどちょっと先に進む
石仏は此処迄で後は周辺の史跡を観て回る
PM4:22
化粧の井戸
炭焼き小五郎の妻である玉津姫の顔に酷く醜いアザがあった
しかしこの井戸で顔を洗ったところ玉津姫の顔のアザは綺麗に落ちて絶世の美女となったらしい
この噂がたちまち奈良の都まで伝わったという伝説が残る井戸
井戸というか観音の水の様に湧き水を汲む感じのスポット
一口飲んでやろうと思ったら白濁していた
温泉成分含んでるんじゃね?って思うほど濁ってた
浸かりてぇ〜(*´ω`*)
PM4:31
満月寺
伝説によれば、臼杵石仏の縁起に欠かせない真名長者の発願により三重町内山蓮城寺を開いた蓮城法師によって創建された寺
境内入口には木原石仏と呼ばれる石の仁王像が二体安置されている
なんか指宿の野原に佇んでいた石仁王像を思い出した
PM4:34
連城法師像
真名長者のもとで臼杵磨崖仏群を彫ったとされる人物
この人が居なかったら今の臼杵石仏は存在しなかった伝説の人
自分も石で彫られるとは思ってもなかっただろうな
またその隣には真名長者夫妻の石像も彫られている
この三体は深田観音石仏と称されている
ちなみに真名長者夫妻とは炭焼き小五郎と豊津姫の事
又のまた深田観音石仏の脇には石造五重塔が建っている
こちらは市指定文化財に指定されている
PM4:38
満月寺本堂
国宝臼杵石仏守護寺
かつては古園石仏群を覆うように本堂は建てられていたが現在地に移されている
こじんまりと小さな本堂である
PM4:41
石仏梵鐘
千古の謎を秘めた石仏のおわす深田の郷に市民諸々の願いと世界平和を祈願して1988年に造られた鐘
鐘の日々気に森羅万象の幸せをこい願うものらしい
なかなか風流である
PM4:43
宝篋印塔
満月寺境内にある石塔
宝篋印塔とは墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種
国指定重要文化財であり、これも特別史跡の附指定…
附って何?
そんなこんな臼杵石仏観光
そんなこんな臼杵石仏散策
いや〜ホンマ癒やされました
PM4:52
うすき温泉
臼杵湯の里天然温泉薬師の湯
同敷地内に黄金の仏像を70体安置している日本最大級の大仏殿が建つ海鮮旅館
受付を済まし脱衣所へ
浴室入口に苦労しましたと書かれた張り紙が…
何やら自慢話の様です
臼杵に!待望の天然温泉
◎温泉宿を中心に泊まった宿は実に300件を越す◎
数々の温泉ライターも絶賛
二段目の表現が意味不明に思えるのは俺だけ?
溶存物質は実に3500mgを超す
実にって表現が好きですね…
何はともあれ入浴
露天風呂に入浴
臭っさ〜💦
塩素バリバリじゃん!(^ω^;
スマホで調べたら完全源泉掛け流しって書いてたのに騙された
でも内湯は自慢するだけあって悪くない湯です
少し黄緑色がかった滑らかな温泉です
一時間程温泉に浸かって臼杵観光を〆ました
バイバイ臼杵
PM6:45
太一商店乙津店
腹がとてつもなく空いたので噂のラーメン屋に入る
しかし注文の仕方が分かりません
スマホで注文の仕方を検索したが解らず
店員が注文を取りに来たので恐る恐るメニュー表の裏に書いている通り注文
「タレの濃さ多め、背脂普通、ニンニク多め、野菜多め」と恐る恐る注文
通りました♪
もやしをメインに野菜大盛りですが皆がFbでアップしてるのと比べると少ないような気がします
そんな中、他の客が「マシマシ」と注文
なるほど、その呪文を唱えると野菜が増えるんですね
しかし少食な俺にはザキ的に危険な呪文です
この野菜多めだけでも完食出来るか不安なのに…
なんとか完食しましたw
PM7:51
駐車場帰還
満腹です
ヤドカリは腹ペコの様です
メーター1というギリギリ状態
給油は次回にして帰ります
PM8:03
帰宅
朝が早かったので眠いです
早々に寝ます
そんな突発的臼杵観光な一日
そんなお腹一杯な夜