自己満の沼
人生が憂鬱だ!っていう話し
もやーっとした不安
水の流れない、地面に吸われていずれ消えて無くなる沼のようなただ消費されていくような不安、海を目指すわけでもなく、どこに辿り着くのか?自分でも皆目見当もつかないそんなもやーっとしたものが確かに人間にはある
僕は憂鬱という言葉は使ったことがないなぁ
虚しいと言う
けれど消えた沼の水は消えるわけじゃない
沼の形は地形として刻まれる
水は地球に吸われて行くべきところへ染み渡る
次気付いた時には海にいるかもしれないね
だから思う、どんな人でも必要ない人間はいないという事
誰にも見られる事なく、ただただ消えていく者達も、間違いなく美しい
見られないから美しくないというのは間違いだ
むしろ美しいとされるものの中には美しくないものもある
消える時は消える
自分を生まれた時から死ぬまで見ていてくれるのは自分しかいないのだし
そんな自分を心の中でいじめても自分は自分と別れられないのだし
生きる事に意味があるのか?
意味はないと思う
自分で決める事だろうね
死ぬときに、よくやったよ!と思たらいい
死ぬ時に、こうしておけばよかった!と思うのもまた同じ
自分の人生の意味がそこにあったという事を確認できる
それに後悔する人は何をしても後悔するんだ
何を選んでもこれを選んでよかったと思えるように生きるしかない
僕は断然後者でいたい
けれど、たまには後悔したいとも思う
生きている間に後悔して、じゃー今からこうしてみよう
それが無理なら、これかな?
常に選択の連続だ
後悔や反省は自分を生かす力になる
ただし、後悔にも種類があると思う
自分の中にこれだ!と、いう意思でやった事に関しての後悔なら次がある
人の意見に流された後悔は僕には耐えられない
それもまた勉強なのだけど、僕はもうあんな経験はしたくないと小さい頃に思った記憶がある
どうせ全てはうまくいかない、虚しい、憂鬱かもしれない
だったら自分で決めて自分でやろう
人に相談して安心する人がいる
これは不安を分散させただけだ
結果は自分が受け取る、分散した不安の結果は全部自分に来る
どうせなら、その時にボロボロになりながら笑える人間になりたい
答えは自分の中で決まってる
理論立てて人に筋を通して説明できないからやらないなら
生きている間に出来ることが8割できなくなると俺は思う
どうせ死ぬんだ
思いっきり楽しんで、苦しんで悲しんで喜んで、自分で受け止めて、よくやったよ!と死にたい
あんなこともあった、こんな事もあった、あの時苦しかったな、けど俺はこうしたんだ
まだその道中だ、これからなんだって出来る
幾らでも後悔出来る
自分がやろうかと思うことは自分にしかできない、他の誰かが取って変わったならそれはそいつがやるべき事だっただけ
関係ないんだ何もかも
自分はどうするんだ?
自分がどうするんだ?
俺は自分を喜ばせたい
そんな自分を見て誰か喜んでくれたなら、自分にしかできないことだ
僕にとってそれは芸術だ
僕が自分の芸術に救われている
芸術を通して自分の人生を生きた時、誰も見向きもせずただ地面に吸われていく水だったとしても、自分は確かにやった
自己満だったかも
だけど自己満の何が悪いんだろうか?
どうせ見向きもされない(今の所は)僕の芸術なのに、そういう時だけ横槍を入れてくる
みんなと海へ流れて行けば安心
これも自己満だろう
周り気にせず海に流れて行けばいい
みんなが海に行かなければ行かないなんて自己満の塊だ、むしろ逆、自分を自分で満足もさせられない虚しい人間だ
だからみんな、どこにいたっていい
自分の思う善しと思う事をする
だからたまには後悔も必要だと思う
海から眺めていてそれに心震える人がたくさんいると思う、羨ましいだろ?
それは自己満だと怒鳴る人もいる
知らねーよ
俺はこうしたいんだから!
俺が失敗したらそいつは喜んで
俺もなぜか笑う、それでいい
虚しいのはどっちかな?
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