十牛図風エッセイ(4/10)~得牛
このエッセイは2月に出版した哲学の本について、本出版の経緯や哲学で得られた気づきを十牛図風に綴ったエッセイの第4回目。今回は、自分の心をいかに律していくかについてまとめます。
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四、得牛について
牧人(いまの自分)が牛(ほんとうの自分)と格闘しているます。ほんとうの自分の見方がわかっても、それを得るためのたゆまぬ努力を続けなければならない、その戒めのメタファーが牛と牧人をつなぐ縄だとこの絵は語っています。
ふりかえり(何が自分を律するのか?)
自分が自分らしくあるために律しているもの、自分を戒めている縄とは何か?ということについて考えてみたいと思います。
自分で自分を律する
みなさんそれぞれ自分を律する方法はそれぞれだと思いますが、私は自分がこうしなければならない!こうありたい!と思ったときは、自分がなすべきことを宣言します。
心理学では、パブリックコミットメントといいます。他人に伝えることで、あとにはひけない、という意識(現状維持バイアス)がかかり、その努力をせざるを得ない状況に自分を追い込みます。
といいながらも、よく自分に負けてしまうので、私自身まだまだ精進が必要です。
正しく在りたいと思う気持ちが、自分を戒める縄であり、その気持ちを周囲に共有することで縄を強固にできるといえます。
他人が自分を律する
世界との関係性の中に自分がいると思うと、他者の存在なしには自分は存在しえないのであり、他者の耳のいたい意見というのは、自分が認知した以上、自分の課題なのであり、自分と向き合うチャンスと考えます。
自分と真逆の意見を自分の課題として向き合うのは苦しい作業ですが、自分というものに絶対性はないということに気づき、自分の枠を広げていきたいものです。
私の敬愛する東北のロックバンドAmazarashiの「1.0」という歌の中に、このような歌詞があります。
世界とのつながりは、自分を戒める縄であり、その縄に感謝することで、たおやかな自分を作ることができます。
次回、「五、牧牛」について
次回は自分とどう折り合いをつけていくのか?ということについて語りたいと思います。