タンザニアに来ると元気になるのはなぜだろう?
タンザニアに来ると元気になるらしい。
肌荒れがマシになった。
肌ツヤが良くなった。
喘息がマシになった。などなど
実際に変化を感じるぐらい元気になるらしい。
2・3人ではなく、周りの人がこぞって同じようなことを言っているからおもしろい。
この不思議な感覚が気になって、
”なんでなんだろう?”と
とりとめもなく考えてみたことをnoteに書いてみようと思う。
パーッと雑多に考えると色んな理由が思い浮かぶ。
暖かくて、太陽の日差し浴びられるからかな。
自然が多くて、大地の気配を感じられるからかな。
人が元気だから、周りの人に元気をもらえるからかな。
などなど
多分、どれも正解だと思う。
でも、なんとなくそれだけじゃないような気がする。
タンザニアの街に出ると何かを感じる。また、自分自身も生きているという感覚が強まる。
話がいきなりスピリチュアルな感じになって申し訳ないが、その感覚がどこから来るのかを考えてみることが1つの切り口になりそうな気がしたので、考えてみた。
素の自分で生きている
タンザニア人と一緒に仕事をしていて感じるのだが、何か問題が起きたときに「なんとかする能力が高い」がものすごく高い。
タンザニアのウェブサイトの企画に悩んでいたときの話だ。
タンザニア人メンバーに朝10時頃に、どうしたらええやろうか?と相談した。すると、ランチ後には、広告会社がうちのオフィスに来ていて、提案を始めていた。(そのスピード感に本当に笑いそうになった。)
そんな感じで、適当にお願いしても、なんとか解決してくれるから何度も助けてもらっている。
タンザニア人はなんとかしてきた経験が豊富だ。
日本と違い、タンザニアでは、日々、何かしらの問題が起こるからだ。お金、人、サービス、インフラ、役所対応などなど、日常は問題のオンパレードだ。
なんとかしないといけない場面では、もちろん、スキルが足りないことも多いだろう。
そんなスキルがないときにすぐに頼れるものは何だろうか?
“自身の想い”と”人に頼る”ということ。
それぐらいしかないんじゃないだろうか?
つまり、スキルに頼れないからこそ、素の自分で勝負するしかない。素の自分で勝負するからこそ、良くも悪くも人間っぽい。
私はタンザニアで50人以上の人を採用面談してきたが、どの面談も印象的で面白い。
面談なので、よく見せようとつくろおうとするが、それでも素の部分が見える。だから、その人の言葉や態度が、良いところも悪いところも純度高く、伝わってくる。(おかげで、合否判定も簡単。)
日本やアメリカで面談していたときは、私は”誰”としゃべってるんだろう?という感覚におちいることがあったが、タンザニアでの面談では、そんな感覚はなく、その人自身と話をしている気持ちになる。
また、人間っぽさの溢れる人と話をできるのは心地がいい。(もちろん、悪い面もすぐ伝わってくるので、イラッとするか興味を失って、早く会話を終わらせたくなったりもするが。笑)
人間っぽさから生まれるもの
人間っぽくいられるって、
常に自分が自分らしくいられるということではないだろうか?
自分が自分らしくいられれば、無理をしないし、
社会的な観念に左右されず、純粋な興味に対して、アクションをとれる。
素の自分がアクションをとり、成功したときには、自分自身をより認めてあげることができるのではないだろうか?
つくろった自分が何かを成し遂げても、自分を信じきるということは難しいと思う。
そんな素の自分での積み重ねが、自己肯定感に繋がるんじゃないだろうか?
国籍問わず、自己肯定感がある人は、相手を否定しない。
タンザニア人は環境に対して、不満を述べることはいっぱいあるが、人に対しての否定的な言葉をあまり聞いたことがない。(タンザニアでの経験値がまだまだ少なく、マイナス面を見られていないだけかもしれないが。)
このように、人への否定が少ないからこそ、良くも悪くも、お互いを尊重して、人間っぽさを保ったままいられるのではないだろうか?
逆に、人間らしくいられず、その苦しさで自分を肯定できず、人への否定によって、自分を保っている人もいるのではないだろうか?
自分が周りの人に対する寛容さを保つことができれば、その人もその周りの人々に寛容になれると思う。そんな互いの影響により、良い循環が生まれるのではないだろうか?
そして、そのポジティブな循環が大きくなった結果、人間らしくいられる環境が作られるのではないだろうか?
私も日本から来たメンバーも、寛容なタンザニア人たちに囲まれている。
自分らしく過ごせているし、何かしらの問題に直面しても、なんとかなると自分を信じることができているのは、その周りの環境のおかげが少なからずあると思う。
人間らしくいるデメリットってなんだろう?
人間らしくいるということが難しいと思う人も多いだろう。
また、周りの人の目や、〇〇しないといけないという社会観念により、自分らしくいれていない人も多いと思う。
そんなことを思いながら、人間らしくいることのデメリットはなんだろう?と考えてみた。
人間らしくいると、おそらくビジネスの短期的な効率は下がる。
例えば、〇〇しないといけないという社会観念をベースに行動すれば、周りの人と進めるモノゴトは進みやすいはずだ。
ただ、そのときに、自分の心が動いているかどうかが問題だろう。
心が動かないことを、やり続けることはしんどい。また、その行動に自分の想いをのっけていないので、相手にも素の自分を理解してもらえないし、自分の心がしんどい状況だと、相手の心を思いやることも難しいだろう。
人間らしくいることは、
短期的にはもちろんデメリットはあるが、
長期的な目で見ると、メリットの方が大きいのではないだろうか??
人間っぽく生きてみる
ふらふらと書いてきたが、
タンザニアに来ると元気になるという話に戻ろう。
元気になるには、色んな理由があるが、おそらく、タンザニア人の人間っぽさとそこから生まれるエネルギーや寛容さに良い影響を受けている。
タンザニアで何かしら感じるものがあり、自分自身が生きている感覚が強まるのは、この影響もあるのではないだろうか?
このように、"人間っぽく生きてみる"
というのは元気になる1つのヒントかもしれない。
自分自身の良い面、悪い面ひっくるめて、人間っぽく、目の前のことに向き合い、心から湧いてくるエネルギーをベースに生活したほうが、多分、元気に過ごせるだろう。
それだけではなく、
自身が人間っぽく生きる、
そして、
人間っぽさへの寛容さをもつことは、
周りの人たちにもポジティブな循環を生む。
わたしも、たまに余裕を失うから、
心の余裕をもって、日々を過ごせるように心がけていこうと思う。
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