モヤモヤの原因はこれだった。ライフコーディネーターというお仕事
昨日のことだ。
友人の由香が相談してきた。
「ピアノを習いたくて無料体験レッスンに行ったんだけど、どうしようかと思っちゃって」
「何があったんだい?」と尋ねると、
「先生はいい人だしピアノの腕前は一流だし、教え方は上手なんだけど・・・・・・」
「それで」
「週1回の練習で月1万円の会費なんだ」
「ならふつうじゃない。それの何が問題なの?」
「お金の問題なんじゃないの。週1回というのがね。なんか決められちゃうと、やる気がそがれる感じがしちゃって」
「なるほど。そうなんだ」
「先生が悪いんじゃないの。私の問題。
先生に悪いなって思っちゃって。一緒に連れてったマミは体験レッスンが終わるやいなや『ワタシ受けなーい』って早々と決めちゃって。
それでますます言いにくくなっちゃんたんだ。
連れて行った手前、私も受けないとなると、まじめな先生のことだから『どこがいけなかったのかな』って思うんじゃないかって。
何のため2人のレッスンの時間を取ってもらったのかって申し訳ない気がしてね、それでスンナリとは言えないの。私もですっていうのは――」
「でもしかたないじゃない。由香は受けるかもしれないと思ってレッスンを受けたわけだから」
「でも受ける前に週1回のレッスンということはわかっていたわけだし、そこを押さえておいてもうちょっと考えてから体験レッスンを受ければよかったわけだし・・・・・・」
由香は明らかに自分を責めていた。
周りから観たら、なんてバカバカしいことで悩むんだと思うだろう。しかしそう事はカンタンなことじゃないのだ。
先生がヘタで対応の悪い人だったら、断るのも苦にはならなかっただろう。だが逆に良すぎる先生だったからこそ、安易に断れないのだ。
上司、好きな人の誘い、取引先、先生・・・・・・言いにくい相手は誰にでもいる筈だ。その相手が善意で言ってきてくれているときに、問題は生じる。
電話を切った後、気になって由香の家を訪ねた。すると彼女は、自宅の工房でたたずみ、こちらに背中を向けている。落ち込んでいるせいか、背中は丸まっておりうなだれている。
首あたりにはじんわりと汗がにじんでいる。声をかけるのもはばかるくらいだ。そこで僕は後ろから声をかけた。
「ここにいたんだね、由香。ピアノの先生に断りを言えずにまだ悩んでいるんだ。
しかたないんじゃない? 言えば先生はわかってくれるさ。それにね、場合によっちゃ由香だけ特別レッスンを組んでもらえるかもよ」
そう言うと妙に反応した。
「そんなのムリだよ! 先生は人気でスケジュールいっぱいなんだから。そんな、私のためになんか、割く時間なんてないよ」
はなから無理だと決めつけているようだった。体験レッスンの間、先生からは『スケジュールはどんどん埋まってくるから、よかったら早めに押さえてね』と言われていたという。
しかしその後に聞いてはいないのだ。それは一般的な話であって個別の話ではない。特別にお願いしてみたら違うかもしれない。
じっさい本人の先入観や思い込みで早々と諦めてしまい、チャンスを逃してしまうことはよくある。少し踏み込んで聞いてみて特別待遇になった例もある。ほとんどの人は思い込みにとらわれてしまっている。単に想い願っているだけじゃ何も変わらないのだ。
好きな人への告白。
提案して受け入れてもらう。
金額を提示し、お金を払ってもらう。
エントリーし、合格をもらう。
すべて同じなのだ。
由香もはなから諦めていた。ていよく断る理由を考えていた。
単に「ちゃんと言ったほうがいいよ」と言ったところで彼女は動かない。むしろ先生を傷つけまいと「急に仕事が忙しくなっちゃって」とSNSで送ろうかと考えあぐねている。
もちろんそういう断り方もあるにはある。相手を傷つけない配慮からだ。
仮に自分の意志がはっきりしていないときに、ヘタに「回数が原因です」と先走って正直に言ってしまうと、墓穴を掘りかねない。
先生から『じゃあ月4でもいいよ』と逆提案され、ますます悩んでしまうことになるからだ。
実はこの問題は回数の問題ではない。
由香自身の問題なのだ。
【自分の人生を決めていくことへの抵抗】だ。「人生という船の舵」を自分で握る――自分次第で人生が決まって行く――そこへの抵抗がある。
【一度決めてしまうと変えられない】と思い込んでいる。まるでそれは結婚の約束みたいなものだ。「結婚しよう」そう言うと後には戻れない。だから男性は女性に言えない。
外野は「結婚とレッスンは違うよ。嫌なら辞めればいいじゃん」とか、「なんでこっちが金払ってるのに先生に遠慮すんの」なんて言うかもしれない。
だが違うのだ。誰にでも言いにくい相手というのがいる。先生や上司、社長や取引先、強気の客やワガママな彼女もこれに当たる。内容は違っていても、同じ問題なのだ。
そこで僕は由香の肩をポンと叩き、気分を変えた。
「由香、いいアイディアがあるよ。きみのそのモヤモヤって誰にもあるものなんだ。だったら由香がそのモヤモヤを晴らすお手伝いをしたらどうだい」
「えっ?」
ビックリするような声だった。小さく、しかし力強く反応する声。これまでとは違う雰囲気を感じたのだろう。はじめて反応する声だった。
「なりたい自分になるためのお手伝い――ライフ・コーディネーターという仕事があるんだ。まだ日本では認知されていない分野だ。世間ではコーチとかセラピストとか言われている。
コーチとかカウンセリング、セラピストというのは本人の気づきをベースにしている。
だからあくまでその人の中にあるものから考える。逆に言えばその人の中から出てくるもの以上のものは出てこないんだ。
だがライフ・コーディネーターは違う。洋服を着せるように外側からその人に合うものをチョイスし、提案するんだ。
だから外側から持ってくるものによってその人の内側に響き、内面から変わるんだ。外側からもね。さなぎから蝶になるようにね」
「具体的にどうするの」
「いろいろさ。ヘアメイクを提唱することもあれば、住まいを変える提案をすることもある。異性との出逢いを考える場合もあれば、仕事や収入の得方を教えることもある」
「でもそんな知識も経験もないわ。私にはできない・・・・・・」
「大丈夫。自分がいい! って想ったものを紹介するだけだから。
たとえば好きなブレッド&ケーキの【ブランパン】って店があるって言っていただろ」
「えぇ」
「あぁいう店を紹介してあげるのもひとつのコーディネートになる」
「でもそれってインスタとかでも紹介されてるじゃない」
「もちろんさ。だけどSNSで上がっているのは単におしゃれな店、美味しい店、見栄えがよく雰囲気のいい店、っていうことだ。それを乗せて自撮りして毎日楽しんでますってのを見せてスキ! とかいいね! をもらってファンを増やすのが狙いでもある」
「なるほど」
「だがライフコーディネートの狙いはまったく違うところにある。自分のスキ! をシェアするのではなく、あくまで目の前の人に合いそうなものを、こちら側が選び、引っ張ってくることに意義があるんだ」
「うん」
「わかりやすく言えば、シンデレラ物語。シンデレラはお父さんが再婚した家に住み、継母と義姉に毎日いじめられるだろ。
で、そこから出られないって思ってる。それって先入観・思い込みだよね」
「そうね」
「でも出て行けたじゃない、舞踏会に。招待の案内チラシが貼られていて、誰でも参加できるってなってたから」
「うん」
「けど、ドレスは持っていなかった。そこで動物たちがカーテンをドレスにしてくれ、魔法使いが現れてくれた。日ごろの行いが功を奏して恩返ししてくれたわけだ。そして魔法使いまで現れてくれた。
ある意味僕たちはネズミにもなるし、魔法使いにもなる。シンデレラが変わるためにね、いろんな役になるんだ」
「なるほど」
「要はそういう自分になるっていうことだよ。ライフコーディネーター側はクライアントに対して何かの役になって導く。一方クライアントは提案されたものを選ぶことで成長していく。
その人に合うものを見つける――それが才能さ。
由香、最初にピアノの練習に行くかどうかで悩んだって言ったじゃない」
「うん」
「ふつうはそんなささいなことで悩んでどうすんの。しっかりしなさいよってなる」
「そうね」
「もしくはわかるわかる~って話で終わる。
だけど本質はそこじゃない。ヘタに答えを出さずにスッキリできない、そのモヤモヤ部分に答えがある。由香の才能があるんだよ」
「・・・・・・」
「そのモヤモヤを使って、相手のモヤモヤを晴らしていったらどうだい? ――その才能がね、由香にはあるんだよ。
どうだい。一緒にやってみるかい?」
「そうね、おもしろそうね。やってみようかな」
何かが響いたのだろう。由香は、目の前に漂っていた薄雲が晴れてきたのか、力強く、はっきりとした声で応えた。
・・・・・・つづく
【解説】
この話は、これまで私が関わったさまざまな人とのやり取りをもとに再構築したものです。実際にクライアントにアドバイスし、人生が変わっていく瞬間に何度も立ち会いました。その経験から何か心に響くものがあれば幸いです。