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菅原博文
2024年7月22日 05:36
物理的な物に関しては、完全に同じものは無いということが、一つの問題になる。これは、素粒子物理学的に考えた場合、明らかである。素粒子的に全く同じ組成の物体は、二つと無いと考えられるからである。そしてこの点が概念との違いの一つとなる。概念の側から見た場合、言葉の問題で、同じ言葉(の組み合わせ)で表現された概念は同一であると考え得るのである。この点が物理的な物との違いの一つになる。
2024年7月21日 12:41
ジル・ドゥルーズが1968年に出版した著作「差異と反復」は、かれの前半期の営みを集大成する業績である。かれがこの著作の中で展開したのは、西洋の伝統的な哲学思想(それをかれは形而上学と呼んでいる)の解体であり、そのうえで、全く新しいタイプの思想を構築しようというものだった。そうした問題意識は、ほぼ同時代を生きたライバル、ジャック・デリダと共有していたものだ。デリダのほうは、1967年に「声と現象」や
2024年7月19日 18:41
そこで、差異がプラス、同一性がマイナスという価値観があったとしての話だが(それは現に、一部の間にある)、マイナスの価値観というものはないので、それらの価値の、正の領域での上下を問うことになる。そこでの比較は、正の領域、負の領域での比較ではなく、正の領域での上下関係における比較だろう。こうして差異と同一性との数量的(数値的)な比較を試みる準備の一端が整った。あとは、何に関する数量(数値)を問題にする
2024年7月19日 10:55
差異は世界の複雑性を表す。一方で、同一性は宇宙の単純さを示す。
2024年7月19日 01:41
ドゥルーズ「差異と反復」の背表紙に、「差異を同一性から解き放ち」の一言がある。この背表紙の筆者を仮に高く評価して(実際にどうかはまだわからない)、プラス、マイナスの価値評価なしに、こう書き得たとしよう。つまり、差異がプラス、同一性がマイナスと短絡しなかったとする。差異は、言ってみれば数多性や複雑性へとつながる。一方、同一性は、単一性や単純性をイメージさせる。「差異を同一性から解き放ち」は明快な言
2024年7月17日 18:16
同一性とは、主に英語の「identity」を翻訳した語であり、多義語である。日本語に即して説明すれば、ひとくちに同一性といっても二種類の意味があり、「Aは何者なのか」という意味での同一性と、「AとBは同じだ」という意味での同一性がある。ウィキペディア
2024年7月17日 16:04
1 異なる事物が、その性質から見ると区別できないこと。一つ、考えられた説明はこうだ。一つのものはもともと同一的なので、それを使っては同一性は説明できない。もともと違っている「異なるもの」が「似ている」ことで「同一性」を説明する。一方で、定義の2に2 事物が時や場所を越えてそれ自身に同じであること。自己同一性。主体性。とある。こちらは、先ほどから言っていた、通常イメージする「同一性」の定義で
2024年7月17日 15:05
天下り式だが、コトバンク によると、同一性は、同一性1 異なる事物が、その性質から見ると区別できないこと。 2 事物が時や場所を越えてそれ自身に同じであること。自己同一性。主体性。とある。先ず1。「異なる事物」である。それが区別できないこと。(その性質から見ると)。一つの事物、でなく、異なる事物、であるところに、通常の感覚とのギャップを感じる。それが「区別できないこと」。ここで一応納得する
2024年7月17日 11:16
概念の同一性が可能であることを、物理的な同一性が不可能であることとの、比較・対比によって考えてみたい。概念の同一性と、物理的な同一性の想定との違いは、そのまま概念と物理との違いだが、それに加えて、何よりも、概念が、無数の概念が同一的でありうるのに対して、物理的な同一性は、文字通りただ一つのものの同一性・唯一性であるという点にある。
2024年7月17日 04:45
同じであること、同一であること、と、異なること、違くあること。同じであること、同一であることは、厳密には、物理的に不可能である。どんな物同士にも、必ず、違いがある。だから、同一であるとは、物理的にではなく、概念的に可能であると考えることができる。ここでは、物理的な同一性とは、先ず物質の同一性のことである。私たちは最初に、物質の同一性の不可能性について考え、次に、概念的な同一性の可能性について考えな