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刻石流水

自分がかけた情けは忘れていい。
しかし、自分が受けた恩は決して忘れてはいけない。

「刻石流水」という言葉の意味だ。

受けた恩は石に刻むように忘れるな、
かけた情けは水に流すように忘れていい。
といった具合だ。

私はこの言葉を非常に気に入っている。

人間、自分一人で何かを全て成し遂げるのは不可能だ。
何かしら他人から恩を受けているはずであり、その恩は決して忘れてはいけない。
当たり前のことだ。

一方、他人を助けた場合、情けや施しをかけた場合、それはさっさと忘れて良い。
いつまでも恩着せがましく「俺が助けてやったんだ」などと言うべきではない。

私がこの言葉を意識したのは、いつだか笑点で桂歌丸が言っていたのがきっかけだった。
細かいことは忘れたが、大喜利の話の流れで「かけた情けは忘れていいんですよ、でも受けた恩は忘れちゃいけない」といったふうに歌丸が言ったのだ。
その場面をきっかけに、私は「刻石流水」という言葉を改めて知ることになる。
(その前からなんとなく「刻石流水」という言葉を見聞きしてはいたが、あまり深く捉えていなかった)


さて、昨今、他人から受けた恩を軽視する人は多い。
そのくせ、他人に恩着せがましく迫る人間もやたら多い。
「本当の意味での礼儀」とは何か、個々人が今一度意識しなくてはならないと感じる。


漠然とした話で申し訳ないのだが、どうも最近の世間情勢やトレンドを見ていると、私は「人の情」のようなものを感じにくいのだ。

人の情。人情。
言い方はなんでも良いが、こういったものを昨今感じにくくなった。

世代間対立、ネット上の罵り合い、アホな戦争、その他諸々。
どいつもこいつも病的なまでに自分が得することばかり考えているというか、悪い意味で余裕がないというか、みみっちいというか、何というか。

恩義もない、情けもない、そのくせ他人には感謝を求める。
「刻石流水」もへったくれもないような世の中に感じる。

良い年こいた大人が、「ありがとう」も「ごめんなさい」も言えない。
自分第一主義のような態度を隠そうともしない著名人も多い。
そして、子供はそれを真似る。
ますますカオスな世の中になる。

こう書くと、話がどんどん脱線していくが、とにかくもう少し「刻石流水」的な人情味のある考えが復活してほしいなどと、漠然と思ったり。


単なる感想なので、漠然とした話になったのはご容赦願いたい。
ただ、そんな私の感想はともかく、「刻石流水」的な考え方は、人が生きていくうえで強く意識すべきことと思う。

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