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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 後編 7

 雨の音を聞いていると、騒めいた心が落ち着く。

 それは、自分の一番古い記憶だからだろうか?

 八重女は、蒲生野に建てられた仮庵から顔を覗かせ、弾ける雨音を静かに聞いていた。

 天智天皇の治世元(668)年5月初旬、葛城大王(中大兄皇子:天智天皇)は、大海人皇子や中臣鎌子らすべての諸王群臣を率いて、蒲生野に狩猟 ―― いわゆる薬狩りを催した。

 薬狩りとは鹿狩りであり、鹿茸(ろくじょう)という薬となる鹿の角を得るための狩猟を兼ねた催しであった。

 額田部大王(ぬかたべのおおきみ:推古天皇)が、その治世19(611)年5月5日(陰暦)に菟田野(奈良県宇陀市)で催したのが初めで、以後薬狩りはこの時期に行うようになった。

 薬狩りに、薬草採取として女性陣が参加するようになったのは、ここ最近である。

 5月の頭に飛鳥を出発した大伴家一向は、近江大津宮に着くなり、休む間もなく蒲生野に出発、5月5日の催しに間に合わせるべく、4日には蒲生野に到着して、それよりも早くに到着していた大王たちと合流し、その周りに仮庵を建て、明日の狩りの準備のため、体を休めることとした。

 八重女も薬草採取のための準備をしたあと、旅の疲れもあって早めに夜具の中に潜り込んだのだが、逆に疲れすぎているせいか眠れず、何度も寝返りを打った後、ふと耳を澄ませると、さわさわと川が流れるような音が聞こえてきたので、天幕から覗き見ると、なるほど雨であった。

 明日の薬狩りは大丈夫かしら?

 と思いながら眺めていたら、ふとむかしのことが思いだされ、疲れに騒めいていた心が落ち着くままに任せて雨を見入っていた。

 どこか懐かしい記憶……………子守唄のような穏やかな調べ………………それは多分、「ような」ではなく、「だった」からだろう ―― 八重女にとって、雨は子守唄そのものだった。

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