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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第三章「皇女たちの憂鬱」 後編 1

 ―― 暗い

    真っ暗だ

    何も見えない

 弟成(おとなり)は目を凝らした。

 彼は、格子の隙間から塔内を覗いていた。

 塔の中に何があるのだろう?

 三成(みなり)は偉い人の骨があると言っていたが、本当だろうか?

 ―― もし本当なら、一度見てみたい。

 彼は、必死になって覗き込んだ。

 もちろん、彼の背丈で格子窓に届くはずもない。弟成の足下には、四つん這いになって踏み台の代わりとなる黒万呂(くろまろ)の姿があった。

「おい、弟成、見えたんか?」

 黒万呂は手足を震わせていた。

 そろそろ限界のようだ。

「弟成、俺……、もう駄目やど……、は、早くせい」

「見えへんねん、何も。もう一寸待ってな」

 弟成は、黒万呂の背中の上で背伸びをした。

 下にいる人間には、その行為は応える。

「阿呆! 動くなって!」

「でも……」

 弟成が、さらに背伸びをしようとした時、二人に雷が落ちた。

「こら、何をしておる!」

 その雷に、弟成と黒万呂は崩れ落ちた。

 弟成は、後頭部をしこたま打ちつけた。

「またお前たちか!」

 雷は明師(みょうし)であった。

 彼は、頭と背中を擦る2人の前に仁王立ちとなった。

「お前たち、寺法頭に見つかったら、また酷い目に合わされるぞ」

 寺主の入師(にゅうし)は、弟成たちが寺内の入ることを認めていたが、寺法頭の下氷雑物(しもつひのざつぶつ)は、奴婢(ぬひ)が寺に入ることに反対していた。

 大化元(645)年8月8日に下った勅旨により、寺主と寺法頭の管轄範囲が明確にされ、寺の財産に関する事項に関しては、例え寺主であろうとも寺法頭に口出しができないようになった。

 このため、寺の財産たる奴婢は、全て雑物の管理するところとなったのである。

 雑物は、これまで寺主の管理の下で緩んでいた規律を引き締めようと、より厳しい管理体制を敷くことに躍起になっていた。

 しかし、子供たちがそんなことで興味を削がれるはずもなく、人目を忍んでは寺に入って遊ぶのである。

「その子達は?」

 明師に声を掛けたのは、まだ年若い僧侶であった。

「あっ、これは聞師(もんし)殿。いえ、奴婢の子供たちです。入師様が甘いので、人目を忍んでは入ってくるのですよ」

 聞師と呼ばれた青年僧侶は、八日の勅旨で定められた寺司として斑鳩寺に赴任して来たばかりである。

「ああ、この子達が、入師様の話されていた……」

 聞師は、弟成と黒万呂の顔を交互で見た。

 2人は、明師に怒られて、しょぼくれている。

「良いでしょう、塔の中を見せてあげましょう」

 聞師のその言葉に、2人は顔を輝かせたが、明師は顔を曇らせた。

「聞師殿、それはまずいのでは?」

「道を求める者に手を差し伸べるのも、我々の責務です。彼らは、子供ながらに道を求めようとしているのですから、それを拒否することは仏の道に背きます」

「そうですか? 単に、この中に興味があるだけだと思いますが」

「初めは皆、単なる興味から始まるものです。それが、いつの日か道に通じるのです。大体、戸が開かれねば道に出られないではないですか、さあ」

 明師は、聞師に促されて塔の扉をしぶしぶ開けた。

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