【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第一章「小猿米焼く」 中編 10
話し合いは、蘇我の豊浦の屋敷で執り行われた。
屋敷には、飛鳥の主だった重臣が集って来た。
蝦夷からの一通りの饗応が終わった後、麻呂が口火を切った。
「さて、ご一同、ここにお集まり頂いたのは、豊浦殿(蝦夷)の美味なる酒食の持て成しを受けるがためではない。ご一同が心配なさておられる件についての話し合いの場を持つためである」
会した一同は、麻呂の方を見た。
「ご承知のとおり。大王が亡くなられて、早半年。葬りも一段落付き、次の大王の即位と考えておられようが、なぜか未だに王位は空席のままである。普段ならば、共同執政者たる大后がいるはずだが、先の大王が女であったがために、今回は半年近く執政者がいないという異常事態が続いておる」
夜の帳が降りて、大広間には明かりが入れられた。
「このような状態に、民衆の中からも不安な声が上がってきておる。そんな中、豊浦殿(蝦夷)はお一人で各方面と調整をなさってこられたのは、皆さんもご存知のことであろう。しかし、豊浦殿の努力にも関わらず、調整は難航しておる」
蝦夷は、麻呂の後ろに控え、俯いていた。
「このまま大王が決まらずば、この混乱に乗じて、事を起こさんと考える輩も生じよう。地方の豪族の中にも、飛鳥に牙を向こうとする者が出るやもしれん。そうなれば、この国は大乱になるであろう」
麻呂の言葉は鋭い。
「それだけは絶対に避けなければならない。宜しいかな、ご一同方、これからは心して発言なされ」
蝦夷は固唾を呑んだ。
「では、次の大王は誰がよかろうか?」
どこからともなく風が吹いてくる。
油皿の火が揺れる。
誰も口を開かない。
お互いに牽制しあっているようだ。
「ご意見ござらぬか、ご一同?」
麻呂は強い口調で言う。
誰も口を開かない。
「ならば致し方ない、これは喋るまいと思っていたが、そういう訳にもいかないようじゃ」
大鳥殿(麻呂)には、何か良き考えがあるのだろうかと蝦夷は訝った。
「亡くなられる前日のことじゃ。大王は、田村様と山背様の二人を思し召しになり、以後のことについてのご沙汰があった」
それは誰もが知っていることであった。
この時、大王から二人の皇子に、後継者についての何らかの話があったと聞いているが、その内容については、二人とも口を閉ざしているためにはっきりとしたことは分からなかった。
それが、今日の混乱の根源でもあった。
「その時の大王のお言葉じゃが、田村様には、『神より国政を預かるのは大王の重要な業である。これを軽々しく口にしてはならん。くれぐれも慎重に行動せよ』と仰せられたそうじゃ」
重臣の間からはどよめきが起こった。
蝦夷は驚いた ―― そのどよめきにではなく、麻呂の言葉にである ―― 大王のお言葉を知っているのはご本人たちだけのはず、まさか田村様が大鳥殿に話されたのだろうか?
「対して山背様には、『独断的な意見を言わず、必ず良く群臣の意見を聞き、それに従え』と仰せられた。……さて、大王は誰がよかろうか?」
場が急にざわめき出した。
それまで秘密裏にされていた大王の言葉が明らかにされたのだ。
蝦夷は唖然とした ―― 大鳥殿が、山背様の方のお言葉まで知っていようとは。山背様への大王の言葉を知っているのは、ご本人と私、あとは叔父上だけである。大鳥殿は、どこからこの情報を得たのだろうか?
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