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自利と利他について
今日は真面目に
今日は、ちょっといつもとテイストを変えて真面目な感じです。
「自利」と「利他」って言葉、ご存知の方も多いと思います。
特にビジネス書をよく読まれる方は、「利他」については、よく知っているとうなずかれるかと。
僕も「利他」について書かれたビジネス書を読んだことあります。
「自利」と「利他」って元々仏教用語ですね。
でも「利他」ばかりが先走ってしまって「自利」については、いろんな本を読んだりネットを見たりしててもどこか違和感を感じてました。
某経営者の著書、というか著書を元に書いたビジネス書の影響かなと思います。
今回は、僕なりの「自利」と「利他」の考え方について、ちょっと書いてみたいと思います。
決して「自利」と「利他」は相反するものではなくて「自利利他」で一つの考え方じゃないかなと僕は以前から感じています。
僕ごときが書くと偉そうにと思われたり、読む人を選ぶかもしれないので、ここから先は、興味のある方だけ見てもらえたらと思います。
「自利利他」
それでは、改めて「自利」と「利他」について。
「利他」と聞くと、どんなことを思い浮かべますか?
「自分のことは置いておいて、他人の幸せのために働く」なイメージを持つ方が多いのではないでしょうか?
すごく日本人的、滅私奉公みたいな感覚。
とっても腑に落ちます。
「人のために生きる!」
特に起業をされる方なんかにも多いのではないでしょうか。
コンサルタントをされる方も、そんな感覚で使ってみえる方、多いと思います。
一方で「自利」は?
「利他」に対応する言葉として、
「自分の利益のために働く(他人を蹴落としてでも)」なイメージになりませんか。
単語として「利他」が切り取られがち。
「利他」の意味を語るための比較対象として「自利」を使うから、こんな状態になってしまう。
(「自利利他」は、この両面を兼ね備えることが大乗仏教の理想とされるそうです。)
僕が感じる「自利利他」
僕はこう考えています。
「自利」ができない人に「利他」をすることはできない。
「自利」って決して、自分の利益のために働くことではなくて、自分を高めるために努力することです。
そして「利他」は他人が幸せになるように努力すること。
こう書くと「自利利他」で一つの言葉なんだと感じませんか?
自分を高める努力をしていない人に、誰かを幸せにすることなんてできるわけがないです。
「自利」と「利他」は、互いに補完をしあってる。
「自利」は少しも悪くない。「利他」が一人歩きをするせいで、「自利」を悪者にし過ぎです。
「利他」って見たままだし、分かりやすくて、ついつい使ってしまうんでしょうが、それでは片手落ちだと思います。
きちんと自分を高める努力ができる人が、初めて誰かの幸せのために働ける。
一番身近な存在である自分を高める努力もできない人が誰かのために働くことなんてできるわけがない。
多分「利他」を「他人の幸せのために働く」と受け取っている人は、真面目な人なんだと思います。
そして努力を怠らない。
ちゃんとビジネス書を読んで、勉強して世のため人のために働くことができる。素晴らしいと思います。
でも、ちょっとだけ純粋すぎるかも。
余裕のある時は、自分のために時間を使うぐらいの方が、きっとうまくいくことが多いと思います。
偉そうなことを言いましたが、今日はこの辺で!
またお会いしましょう!