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「相互理解」のためのコミュニケーション論

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インターネット時代の、民主主義に必要な、「相互理解」のための、コミュニケーション論、を求めていく一連の論考です。
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2020年5月の記事一覧

で、「世間」の中でこの話を「みんな」に聞いてもらうには、誰がどうすればいい?

これまでで、今のコミュニケーションの分断の原因は、「世間」のルールによる自然現象である「…

「世間」の島宇宙としての日本の「コミュニケーション」と「自己責任論」

本noteの論旨要約と参考文献は下のnoteに書いてあります。 上記のnoteで言ったように、まずは…

このnoteの具体的手法と危険性

ヒラヤマです。 このnoteの目的について読んでいただいた方向けに書いてあります。先にそっち…

「世間」の島宇宙としての日本:客観的に「ゆるす」福祉システムを導入できるか?

以下の内容は、素人である私が最近勉強した内容に基づいています。いつもより更に多くの間違い…

テラスハウス事件:悪いのは山里亮太でも「匿名インターネット」でもなくリアリティー…

一応、立場を明らかにしておく。私は所謂「リアリティー・ショー」と呼ばれるものが個人的に大…

「相互理解」のアンチパターンとしての民主主義教育

以下を読んで、理想的にはみなさんに、自分自身の考えをnoteなどで書いてみるとか、それぞれで…

「相互理解」のアンチパターンとしてのメンヘラ.jp

本論考の前提 「相互理解」=「決定的に対立する人々の間での、最低限の理解」 前回要約:「相互理解」のための「発話の場」を無前提に追求する勢力を広げていけばいいんじゃないか、というアイディア。詳しくは以下のnote参照。読まなくてもいいです。 とりあえず、「相互理解」のための勢力を徐々に広げていきたい、と誰かが考えたとしよう。 ただし、今、「成功例」はどこにもない。全くの理論的要請からまともなシステムにたどり着くのは流石に無理だろう。そこで、しばらくはアンチパターン、つ

真の「表現の自由の擁護」勢力

「アイディア」では、「自己責任論」の完全解体のため、どういう具体的な方法があるのか、を提…

なぜ、藤田孝典氏は「絶対に謝れない」のか

今、対立する価値観の間で、そもそも相互コミュニケーションが原理的に不可能だ、ということを…

平田オリザ氏、または演劇業界へのアドバイス:「敵」との和解、「敵」への寛容こそが…

前回、平田オリザ氏炎上が、今、対立する人間同士のコミュニケーションが実質不可能であること…