報復も赦しも超えて|『I MAY DESTROY YOU』
※ネタバレあり
※性暴力シーンがあります
2020年に、イギリスのBBCとアメリカのHBOによって制作されたイギリスのドラマ『I MAY DESTROY YOU』が、もうめちゃくちゃに凄い作品で、夢中になって一気見した。
今作は、製作総指揮・脚本・共同監督・主演までも務めたミカエラ・コール自身の体験に基づいているらしい。このミカエラ・コールがほんとにパワフルで、強烈な魅力がある。
あらすじ↓
音楽、ファッション、演出、どれをとっても洗練されていて見飽きることがない作品だけど、やっぱり描かれている内容が凄くて、これがイギリスでは3年も前につくられていたんだという事にびっくりしてしまう。
主人公・アラベラは、夜遊び大好きお酒も大好き。もちろんクスリも楽しむ。勤勉とはとても言えず、経費で落とした取材旅行でも執筆そっちのけで遊び呆けてしまう人だ。帰国していよいよ締め切りに追い詰められても(あまりにも書けなくて「早く書く方法」とか検索しちゃうの笑った。わかるよ)、結局誘惑に負けて遊びに行ってしまう。
第1話では、そんな彼女がバーに遊びに行った翌朝の錯乱状態から、フラッシュバックに苦しみながら「もしかして自分は、昨夜だれかにクスリを盛られて暴行を受けたのではないか」という疑念が確信に変わっていく様子が描かれている。
この第1話を見た時点では、アラベラが周囲から「被害者は弱々しくあるべき」「被害者が事件後に笑うはずがない」というような、いわゆる”理想の性被害者像”を押し付けられ、「夜遊びしていたのが悪い」「不注意だった」などと自己責任論で責められる、という二次加害を中心に描いていく作品なのかと予想していた。
ところが見進めると、そのようなひとつの問題にとどまることなく、物語はどんどん広く、深いところまで連れていってくれた。
この作品では、誰もが直面するかもしれないあらゆる暴力と、性的同意についての問題が取り扱われている。と言ってしまえば簡単なのだけど、性暴力、人種差別、性差別、虐待、家族……などの様々な問題が毎話鮮明に描かれていて、そしてそれらの問題がすべて複雑に絡まっている。
さらに見進めていくうちに『I MAY DESTROY YOU(私はあなたを壊すかもしれない)』というタイトルの意味がわかってくる。今作は「誰もが誰かにとっての加害者になりうる、被害者までもが」ということをとてもフラットな姿勢で描き切っているのだ。万華鏡のように「被害側」と「加害側」がくるくるとひっくり返りながら、被害者/加害者という二元論を曖昧にしていく。ふと気を抜くと「こっちが正しい」「あっちが悪い」と一面的に判断しかけてしまうわたしたち視聴者の凝り固まった観念が鮮やかに打ち砕かれる。
そして今作がほんとに凄いのは、ラストだと思う。
報復でも赦しでもない。じっくり考え、迷いながら
前に進むための新たな道を提示する、これ以上ないと思える綴じ方だった。
(ここからラストのネタバレ)
事件以来、書くことができなくなっていたアラベラは、ドラマ終盤でついに自身の体験をもとに本を書くことを決心する。
一心不乱に書きだした彼女だが、あと一息で書き切るというところで、自分に起きたこの物語をどう終わらせるのか悩むことになる。彼女は、物語のラストとなる、ある1日を空想する。
まず第1の案は、犯人を痛めつけ報復すること。
事件が起こった例のバーに通い続けていたアラベラは、ついに自分を暴行した犯人を見つけ出し、友人2人と共に復讐を決める。別人になりすまし、クスリを盛られたフリをして、逆に犯人にクスリを打ち込んでやることに成功。フラフラになった犯人を押さえつけ、首を絞め、激しく殴り続ける。大量に血が流れるなか、ひたすら殴り続ける。犯人は、死んだように見える。死体を自宅のベットの下に押し込む。
これで爽快なラスト……………なのか?
彼女がどうして犯人を殴り殺せたのかといえば、それは”力の差”があったからだ。3対1という人数の差に加えて、クスリの作用で相手がもはや戦闘不能になっていて、例外的に力の差が逆転していた。しかし、そこで自分の暴力を認めたら、自分が今まで苦しめられてきたはずの暴力、レイプカルチャーを温存してきた「力の強いものが勝つ」というマチズモそのものを肯定することになってしまうのではないか。
……というのは理屈で、ただなにより、アラベラ自身の後味が悪いのだ。
アラベラはこの案をボツにする。
第2の案は、犯人の話を聞くこと。
自分を襲った犯人を家に上げて彼の話を聞こうとするアラベラ。
彼は「人にこんな風に優しくされたことはない」と泣きながら身の上を話しはじめる。
アラベラはここに至るまでに、「加害者」「被害者」と単純に区分けして一人の人間を語ることの難しさや、自分の愛する友人が、誰かにとっては一生癒えない傷を負わせた敵になりうる、ということを痛感してきた。
彼の話を聞く。同情する。もちろん、同情することと犯罪を見過ごすことは違う。アラベラは彼を抱きしめ、警察に明け渡す。
第1案のように瞬間の感情での判断ではなく、理性で解決しようとした道だ。……だけどこれも、アラベラは気持ちよく終われない。
この案も、ボツにする。
第3の案は、犯人を愛し克服すること。
バーで飲んでいる彼のもとへまっすぐ向かうアラベラ。
クスリを盛られるフリをするでもなく、彼の耳元で何かをささやく。
2人はそのままアラベラの部屋で夜を過ごす。
満たされたような顔で朝を迎える2人。愛し合っているようにさえ見える。しかし、「きみが帰れと言うまでここにいるよ」という彼に対し、アラベラは冷酷に「帰れ」と告げる。
彼は切ない表情をするが静かに受け入れ、裸のまま部屋を出ていく。そのとき、ベッドの下から第1案で殺したまま押し込んでいた彼の死体も起き上がってきて、裸の彼について部屋を出ていく。手には、アラベラが昔に堕胎した赤ちゃんのエコー写真。アラベラがずっとベッドの下に押し込んでいた向き合い難い記憶だ。
今度こそ、アラベラのベッドの下には何もない。
第1案、2案、3案を通して彼女は、常識や法律を超えて最善のラストを模索してきた。ここまできて、やっとベッドの下を空っぽにすることができた。
彼女は最後の案を考える。
第4案。早朝の庭。考え込んでいるアラベラに、ルームシェアをしているベン(彼はとてもクィアな人物のように描かれている気がする)は、「今日もバーに行くの?」と聞く。そこに諫めたり哀れんだりするような響きはなく、心地いい距離間で見守ってくれている。
アラベラは「行かない」と答える。
家でベンとアニメを見ながら、だらだらと過ごすことを選ぶのだ。
これは決して、犯人を赦したわけでも放免したわけでもない。
「赦さない」ということと、「自分が前向きに生き直す」ということは両立できるはず。これは、第1案、2案、3案のラストを経てやっと選択することのできる道だった。
アラベラはこの物語を書き切り、出版し、人生を進めていく。
世界を一歩前進させるような力強さがある作品だと思った。
3年越しになってしまったけど、日本でも配信されてほんとによかった。
凄すぎるミカエラ・コール。
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