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掌編小説「墨汁」


高齢者と子どもたちの「ふれあいの場」をつくろうということで、福祉施設で働いていた私は企画を担当することになった。

私が考えた企画は、『墨をってみよう』。固形墨、硯、水差し、この3点を使って墨を磨り字を書くことで、ふれあいの時間を増やし、改めて字を書くことの大切さを高齢者とともに学ぶ、という趣旨のイベントだ。施設長と周りのスタッフの了解を得て書道セットを揃え、すべての準備を整えた。


イベント当日、高齢者と近所の子ども達がワイワイ賑わっている。参加者全員が揃ったところ、とある高齢者が大きな声を挙げる。

『墨汁はどこ?』


企画は説明したはずなのだが…。もう一度丁寧に、今回は硯を使って固形墨を磨るイベントですよ。こう説明したところ、

『墨汁は必要よ。だってお習字なんでしょ?』


困った私は施設長やスタッフを見る。みな静かに首を横に振っていた。急いで近所の100均ショップへ出かけ、騒ぐ高齢者の方になだめながら墨汁を手渡した。

『これよこれ。さあ皆さん字を書きましょうね。』


例えるなら、防災イベントで洗濯板を使っている時に、洗濯機があるからそんなの必要ないわよと騒ぐようなものだ。普通なら迷惑者をつまみ出せば済む話なのだが、今回のイベントは高齢者と子どもとのふれあいを第一としていたため、高齢者と言い争いになってしまうわけにはいかなかった。

便利が当たり前の高度成長期高齢者ではなく、明治生まれの高齢者だったらイベントに趣旨を即座に理解し墨をってくれたのかな。子どもたちは苦笑いしながら、高齢者の指示されるままに字を書かされていた。




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おまけ小噺

小学校のとき、習字の時間というのが設けられていたのだが、硯に水差しで水を入れて固形墨をすり、濃くなったら墨汁を入れるという謎の作業を授業のたびに毎回していた。それが当たり前だと社会人になるまで思っていた。それくらい私の通ってた小中学校の美術系はいい加減だった。論理的に教えられる先生がいなかった。

今思うと学校と業者の癒着だったんだろうなぁ。固形墨と水差しと硯を買わせて墨汁も買わせる。どちらか一方だけ使ったら親からクレームが来るかもしれない。固形墨のみですらせてたら、50分授業でできることがほとんどなくなってしまう。だから「両方使わなきゃ」と教師が苦渋の決断を下したのだろう。

当時はそれが当たり前だった。いや非科学や非合理を信仰するのは今も昔も同じかもしれない。現在の学校で習字の時間があるかどうかは知らないが、タブレットの普及でますます固形墨と墨汁の違いを知らない日本人が増えていくだろうなぁ、と書道未経験者が思ったり。

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ヤマダナガヲ / 創作
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