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じぶんを映す日記の魅力

社会派ブロガーちきりんさんの「人生を変えた一冊」というブログがあります。そこで紹介されていた高野悦子さんの『二十歳の原点』という本がとてもよかったので、本の一部を引用しつつ日記の魅力について再考したくなりました。

「生命の発露」を感じる

『二十歳の原点』は、二十歳で自死した高野悦子さんの日記を、お父様が整理して出版された本です。彼女が大学生として生活しながら感じていたこと、考えていたことが鮮烈な言葉で記されています。Amazonの紹介文によると、「200万人が読んだ青春のバイブル」だそうです。

 人間は完全なる存在ではないのだ。不完全さをいつも背負っている。人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。人間は未熟なのである。個々の人間のもつ不完全さはいろいろあるにしても、人間がその不完全さを克服しようとする時点では、それぞれの人間は同じ価値をもつ。そこには生命の発露があるのだ。

高野悦子『二十歳の原点』(新潮文庫)

高野悦子さんの言葉には思考の深さを感じさせる重みがあり、加えて、日記という、誰のために書かれたのでもない剥き出しの文章だからこその生々しさがあります。

特に心を惹きつけられるのが、二十歳に満たない若さながら国家権力や世間体、みずからの感情にすらも抗おうとする毅然とした態度と、だれかに自分の存在をすべてさらけ出して、まるごと受け止めてほしいという切実な欲望がないまぜになって溢れ出ているところです。

国家権力や資本主義社会に対する批判的精神と、揺れ動く恋心が一緒くたになっているところに、なんとも言えない人間味を感じます。

自分を荒唐無稽だと笑いながらも精一杯生きている日々が瑞々しく伝わってきて、わたしは生命力を分け与えてもらったような気がしました。

日記はじぶんを映し出す鏡

ちきりんさんは、小学5年生のときにこの本に出会い、それ以来日記をつけているそうです。冒頭のブログの中では、日記の持つ力についてこう表現しています。

 他者の目を一切意識することなく書かれた文章がもつ余りのインパクトに、張り倒されるような衝撃を受けました。

 自分も日記をつけていれば、いつか命が絶えた時に、こんなレベルで自分の存在が残せるんだと。

わたしもときどき、日記をつけていますが、日記を書いていると、ちっぽけな存在なりに、いろいろ感じて考えて、「生きている」という感じがします。日記をつけることは、自分の思考や感情を映し出してくれるこころの鏡をみるようでもあります。

そんなわけで日記というものが持つ力を、高野さんの日記を引用しつつ、言葉にしてみたいと思います。

①自分を客観視する、ふり返る

文字にすると、自分の情けなさや怒りや悲しみを、自分と切り離したものとして、手にとって眺めることができます。そうすると、感情に支配されずに一歩ひいて物事を考える支えになります。

 矛盾は常に内側にあって、内に貫流するものと同質のものが外に発見できたとき、人は外に向けて怒るものなのだから。
 個我の意識が他者を物化する、もう一つの恐ろしい支配形態。

高野悦子『二十歳の原点』(新潮文庫)

②幸福感を保存する

喜びや楽しかった記憶は、記録することで未来の自分にエネルギーを与えてくれることも。

 母は渡辺さんにいったという。「悦子が自分で幸せだと思うことをやりなさい。お母さんは、立派なお嬢さんになりいい所へお嫁にいくという、母の考えをおまえにはもう押しつけない。それでは押えつけ、しばられたものと、うけとるだろうから。悦子は、悦子の好きなようにやりなさい」
 うれしかった。そして、この喜びを真先に伝えたかった。(誰に?)独りでしか喜びを味わえないのは寂しいから。

高野悦子『二十歳の原点』(新潮文庫)

③自分らしさを保つ、自分に発破をかける

他者の目を意識しないというのも日記の大事なポイントで、自分にとって好いことや嫌なことを思いのままに書き表すことができます。自分の気持ちに素直になれる場ともいえます。

 私は慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい。「高野悦子」自身になりたい。テレビ、新聞、週刊誌、雑誌、あらゆるものが慣らされる人間にしようとする。私は、自分の意志で決定したことをやり、あらゆるものにぶつかって必死にもがき、歌をうたい、下手でも絵をかき、泣いたり笑ったり、悲しんだりすることの出来る人間になりたい。

高野悦子『二十歳の原点』(新潮文庫)

④生きた証を残す

こうして日記を書いていると、人生が唐突に途切れてしまったときにも自分の思考の跡が残っていて、誰かがそこに自分の存在を感じてくれるかもしれません。高野悦子さんの日記がまさにそうであるように。

わたしの日記

ちなみにわたしは、Facebookで日記をつけています。
この方法を気に入っていて、ふり返ると5年くらい前からFacebookにつぶやきのようなものが残っています。(昔は紙の日記帳でしたが。)

Facebookのいいところは、下記の通り。とくに読み返す機会をつくってくれるところが、いちばんのお気に入りポイントです。

  • 読み返す機会をくれる(思い出機能が過去のその日の投稿を表示してくれる)。

  • 自分だけしか見れないように投稿設定ができる。

  • 文字と写真をセットで投稿できる(複数枚アップロード可能)。

  • 文字数制限がない。

  • 1日のうちでも内容によって投稿分けることも可能。

加えて、日付で過去の投稿を検索できたら最高なのですが、その機能は無くなってしまったみたいで残念……。復活を祈っています。

ここ最近は、ほぼ毎日のように日記をつけています。今年は『二十歳の原点』のような生々しく人間性を感じられるような文章をもっと読んでみたい。そして、自分の感情や思考を表現するための引き出しを増やしていきたいです。

 このノートも終りである。いつまで続くか私はまだまだ果てしなく続いていく。私の生活が混沌としたものである以上、整理する必要はない。それどころか、私には混沌さが、まだ足りないのではないか。

高野悦子『二十歳の原点』(新潮文庫)

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