【note川柳】#51:お題は「私のスポーツヒーロー(ヒロイン)」(251~255)
心はZ世代! 身体は還暦過ぎた昭和人! Z世代応援団のじーじです⁉️
さて、今回のお題は「私のスポーツヒーロー(ヒロイン)」です。
先日、じーじはスポーツ3大ヒーローと題してこんな投稿をしました。
ジェンダー平等時代ですからヒロイン二人を加えて川柳5句にチャレンジです。
五試合で被安打2本これ誰だ
江川卓です。
1973年(昭和48年)の春・夏の甲子園大会は、江川投手率いる栃木代表の作新学院が話題を独占しました。
それもそのはずで夏の甲子園栃木県予選を5試合戦って、何と被安打2本、ノーヒット・ノーラン3試合、準々決勝が1安打、準決勝が1安打、凄いの一言でしょ。
アラカン世代のじーじが生きてきた中でこんな選手は後にも先にも「江川」だけでした。
時代が違って、ダルビッショや大谷翔平選手を育てた日本ハムに高校を卒業した江川が入団して、ダルビッシュや大谷のように大切に育てられていればどんな選手になっていたのでしょうか?
古館の猪木イノキの声がする
「猪木ボンバイエ、猪木ボンバイエ、ターンタターン・・・」猪木のテーマ曲に乗ってアントニオ猪木がリングに上がる!
さあ、古舘伊知郎アナウンサーの名実況の始まりです。
古館さんが新日本プロレスの実況を始めたのは1977年(昭和52年)のことでした。
興奮したなあ。毎週金曜日の夜8時は、我がヒーロー、アントニオ猪木の登場でした。
新日本プロレス全盛期を古館アナウンサーの名調子が支えていたのは間違いありません。
「人間山脈(アンドレザジャイアント)」「一人民族大移動(アンドレザジャイアント)」この表現どうですか?そして「燃える闘魂アントニオ猪木」といった表現のプロレス実況は今でも耳に残っています。
ヒーロー猪木を支えた名調子!
貴ノ花貴輪(きりん)時代を期待され
貴ノ花と輪島が、同時に大関に昇進したのは1972年(昭和47年)、じーじが小学校6年生の秋場所後のことでした。
こうやって見てくるとじーじのヒーローは全部70年代のヒーローですね😊
貴輪時代到来かと言われたのですが、輪島は見事に第54代の横綱になりましたが、残念ながら貴ノ花は大関のまま横綱になれずに引退してしまいました。
大関同時昇進の時には、輪島との対戦成績は4勝5敗でしたが、通算成績は17勝31敗で大関と横綱の実力差は明らかでした。
でも幕内最軽量クラスの貴ノ花の相撲は魅力的でした。
自分よりも大きな力士を腰を割って吊り上げる大きな相撲や負けたと思った土俵際で逆転する粘り腰、そんな健気な相撲は本当に魅力的でした。
ライバルだった輪島は横綱昇進後、大横綱北の湖との間で輪湖(りんこ)時代を築いて相撲界を盛り上げました。
通算成績は輪島の23勝21敗、1976年と77年の12場所の優勝は、輪島5回に北の湖5回、その後の北の湖1強時代が来るまでの輪湖時代の名勝負を思い出します。
シドニーで2時間半の金ドラマ
高橋尚子さんです。
2000年(平成12年)のシドニーオリンピック。もう四半世紀近くも前の出来事になってしまいましたね。
リディア・シモン選手(ルーマニア)と並走していた高橋選手が34km過ぎでかけていたサングラスを沿道の父親に投げると同時に、スパートをかけての独走には興奮しましたね。
残りの8kmは、「頑張れ、頑張れ」「もう大丈夫、もう大丈夫」とテレビの前で応援していました。
スタジアムに高橋選手が入ってきてゴールテープを切った時には、後ろをシモン選手が迫ってきていたので、ちょっとヒヤリとしました。
だからこそ抜群のタイミングでのスパートだったと言えます。100点満点のレース展開でした。
アラカンじーじには高橋尚子選手はヒーロー(ヒロイン)です。
驚いた十四歳の金メダル
それは岩崎恭子さんです。
1992年(平成2年)のバルセロナオリンピックでの200m平泳ぎ決勝。じーじはシアトル駐在でベレビューに住んでいました。
当時はインターネットの動画配信などなく、米国のテレビ中継だけが頼りでした。当然英語、だけどそれしか選択肢はありません。妻と子供たちと一緒に聞いたこの時の中継は忘れられません。
「IWASAKI」って米国人アナウンサーには発音しづらいのです。
「I have ~」の「I」は「アイ」って発音しますよね。
だから最初に「I」がくる単語を「イ」ワサキとは発音できないんですよ。
じーじの耳には「アワサキ」「アワサキ」の連呼でしたが、じーじたちは「いけー、岩崎」とテレビの前で叫んでいました。
それに岩崎さんの「生きてきた中で一番幸せ」というインタビューも良かったですよね。
彼女も今の時代を生きていたら、きっと違った競技人生になっていたかもしれません。
ティーチングではなく、コーチングの世界で精神面も含めて支えてくれる方々に囲まれて素質を伸ばしてもらえていたらどこまで伸びていたでしょうか?
幸せな金メダルの後、当時14歳の少女に過酷なストレスが待ち受けていたのは残念でした。
こうやって見てくるとじーじの男性アスリートは70年代のヒーロー、女性のヒロインは90年代、ここでも女性活躍は、男性中心を20年遅れで追いかけているような感じなのでしょうかねえ?では、また。
☆☆☆
(感謝)
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