【note川柳】#31:お題は「いい会社」(151~155)
心はZ世代! 身体は還暦過ぎた昭和人! Z世代応援団のじーじです⁉
「いい会社」と言えば、Excellent Company(トム・ピーターズ&ロバート・ウォータマン著、大前研一さんが翻訳)! 約20年前の2003年の出版でした。じーじも買って読みましたがな。
さて、そんな「いい会社」の定義もいろいろ変わっているのでしょうね😊
昔は「Going Concern」という言葉が企業の永続性を表わすものとしてよく使われましたが、今は我が社だけの持続性ではなくて地球全体の持続性を考える「Sustainability」が流行りの言葉になっています。
法の下での「人」と日本語では書く「法人」すなわち会社は、どんなところが「いい会社」なのでしょうか?
企業の規模が大きくなり商売がグローバル化してきた現在、単に収益を上げているからいい会社ではなく、会社の品格が試されています。
地球環境と調和のとれた資源の持続性や従業員を大切にしているかどうか?
長い目で見た評価軸で「いい会社」を見極めようと変化しているとじーじには思えます。
今回は、そんな「いい会社」をお題にじーじの視点で川柳5句に挑戦です⁉
パワハラの世代引退ホワイト化
そりゃ「いい会社」だわ。
昭和の職場と言えば、上司の罵声がそこら中に飛び交うパワハラが標準形の職場でした。
上司の属人的成功体験を部下は上司の席の前に立って説教され、夜は酒場で上司の自慢話に付き合い、上司をコピーしてロールプレイングしながら会社の中で成長し、上司に気に入られて出世した者は、自分が今度は上司となって部下にコピーされていきました。
これを繰り返しながら、同調圧力の中で「みんなと同じように」会社の中で振る舞うことで日本は戦後復興を遂げました。
だけど、我々昭和人が自分たちの経験値で予想していた以上の速度でインターネットの世界は発展し、デジタル化の加速化に伴い標準化と全体最適をITを使って磨いてきた欧米に日本はかなわなくなりました。
つまり上司が会社経験で築いてきた人脈の中でしか得ることができなかった知識や経験を部下はネットの中で知ることも疑似体験することも可能になってきたのです。そしてある分野においては上司以上のスキルを身に着けているそんな時代になりました。
そんな時代の変化と共に、パワハラ上司世代もどんどん引退(団塊世代の定年退職やリストラ)しています。若いデジタル世代にバトンタッチが始まっています。
これからの日本に「いい会社」が増えていく日は近い!
小粒でも創業百と五十年
そりゃ「いい会社」だわ。
大きいだけが良いわけではなく会社の規模は小さくても、社長が何代にもわたって代替わりを果たして歴史を刻んできた会社の中にも、働いている人みんなが活き活きとやり甲斐をもって働いている良い会社が沢山あります。
だけど、経営者が努力を怠って、老舗の名に胡坐をかいてしまうと、小さな規模の会社はガバナンスが効きにくいために、これまでから不祥事が沢山ありました👇
日本は老舗企業の多さでは世界一の国です。創業200年企業は、世界の65%が日本企業であり、その数は他国を圧倒しています。
そんな老舗企業には、是非とも時代にあった変化に順応して、多様性に寛容で、パワハラを始めとするハラスメントを封印、従業員が活き活きと働く「いい会社」を長く持続してもらいたいですね。
何してる会社なのかが分からない
そりゃ「いい会社」だわ。
時代に合わせて変化しているから会社名からでは事業内容がよく分からないんでしょうね。
富士フィルムは、会社名にフィルムがついているように写真用のフィルムを
製造販売する会社でした。フィルムは、カメラによって得られた映像を記録する感光材料であり、かつ現像することによって映像の記録媒体になる商品でした。
じーじには懐かしい「写ルンです」が発売されたのは1986年。富士フィルムは使い捨てカメラにフィルムを付けてフィルムを拡販することで、世界の巨人イーストマン・コダックを追い詰め、追い越して世界一のフィルムメーカーになっていきました。
お正月と言えば、樹木希林さんと岸本加世子さんのコマーシャルが流れたものでした。
1985年ミノルタから発売された衝撃的なカメラ「α-7000」(オートフォーカスの一眼レフカメラ)の大ヒットもあって、フィルム事業が衰退することになるとは誰も想像しなかったと思います。
しかし、今の富士フィルムは、事業領域の転換に成功し、今や医療関係の事業が広がっています。MRIにCTスキャン、内視鏡カメラ(よくコマーシャルで見ますよね)、更には医薬品分野でも存在感を示しており「アビガン」(抗インフルエンザ薬)で有名になりましたね。
アスタリフトも富士フィルムのブランドで、化粧品もやっているんですね。
デジタルの流れをいち早く予測して、フィルム一本足打法の経営から医療分野やオフィス分野に業態をシフトしていった富士フィルムのように変化を恐れずに「何をしているのかよく分からない」会社ほど「いい会社」なのかもしれませんよ。
こんな会社もありますよね。👇
若くても言いたいことが主張でき
そりゃ「いい会社」だわ。
日本の戦後復興とは、年功序列・終身雇用という雇用形態が、規格大量生産時代にマッチしたことで実現しました。
米国という懐深く日本の製品を輸入してくれたパートナーにも恵まれ、プラザ合意の1985年までの間、日本の社会はいい会社ばかりでした。
じーじたち世代の男性は「真面目に一生懸命」会社のために働きました。
女性は専業主婦として家事・育児を担当し、男性は子供が起きている間には家に帰れないほど頑張って働けば、必ず報われるという成功体験がそこにはありました。
職場の中では、会社内での経験が最重要であり、若い人は上司の指図どおりにできるかどうかが重要視され、言いたい事も言わずに忖度・斟酌する能力が「協調性」として高く評価され、それが出世の尺度にもなりました。
プラザ合意後の日本がどうなったかは皆さんご存知のとおりで、多様性に不寛容で排他的ムラ社会は衰退の一途をたどりました。
今の時代は、いかに若い人の能力を引き出して、若者の邪魔をしないマネジメントができる会社、言い換えると、若い人が言いたいことを言える状況が担保されている会社が「いい会社」なんでしょうかねえ?
言うだけ番長の「建て前」ではなく、「本気で」心理的安全性を重視している会社が「いい会社」なのでしょうね😊
創業家社長の席に固執せず
そりゃ「いい会社」だわ。
SONYの創業者である井深大さんと盛田昭夫さん、創業者の熱い想いが脈々と引き継がれているSONYですが、お二人とも創業家としての影響力には固執しない潔さでした。
そんなSONYについて、先日、上記の記事を投稿しました。
創業家が社長の席に固執せず、SONYらしさを追求してきた会社は、出井さんという経営者を社長に選び、何だかんだと言われても日本企業の中でいち早くガバンスを強化してきました。
出井さんが社長時代に米国流の執行役員制を1997年に日本企業として初めて導入、監督と執行の分担を明確化して、1998年には報酬委員会と指名委員会を設置しています。
このことが、後に会長の地位に固執していたストリンガー氏を退任に追い込み、平井さんによる復活劇を演出することにも機能を発揮したことからも改めて出井さんの偉大さ、凄さを感じます。
いい会社とは、やっぱり良い経営者に恵まれています。
☆☆☆
(感謝)
▼月曜日に「おめでとうございます!」通知をいただきました。「大谷翔平」選手をお題に詠んだ川柳に沢山のスキをありがとうございます。これからも応援よろしくお願いします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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