【京都からだ研究室③】自然体 〜精妙になっていくからだ〜
京都からだ研究室後期の対面ワークショップが終わりました。
後期も同じように、事前動画2本から対面でのワークショップ2回。
運営メンバーとして参加する中で感じたことを書きたいと思います。
今回の講師は身体感覚教育研究者の松田恵美子先生。
テーマは『身体の自然を技化する』
野口整体やヨーガ、古典的瞑想など、東洋の身体技法に精通しておられる松田恵美子先生。
藤田一照さんとも坐禅についての対談もされており、今まさにわたしが最も興味のあるものたちが全部詰まっている方。
そんな恵美子先生からいただいた告知文の冒頭、
「からだ」と「自然」と「仏教」のつながりを感じていたわたしにとっては、楽しみでワクワクする文章!
事前学習の動画では「腕の付け根はどこですか?腕の付け根は肩ですか?」と何度も問いかけてくださるところから学びはスタートします。
「腕を前へ〜、横に〜、上へ〜」と伸ばしていくとあら不思議!
腕の付け根は肩ではなくなっていきました。
そんな意識の向け方によって、からだを感じ取っていき、微細な変化を感じるようになっていきました。それを、恵美子先生は「精妙になっていく」と。
東洋の身体観
第1回目対面ワークショップは、はじめに東洋の身体観についての概観から。
ホワイトボードに書かれていく図から内側から溢れ出すワクワク感と、これまで学んでいた仏教や身体のことが目の前に広げた地図のように、地点と地点が結ばれていくような感覚になりました。
インドのヨーガ、プラーナヴァーユ(エネルギーの風)がチベットに行き風(ルン)、中国で氣になり、それが日本に伝わったと。
この流れはまさに仏教がインドからチベット、中国から日本へ伝わってきた流れと同じ!!
東洋の身体観とは、「生命とともに、目に見えないものが身体の中にある」という見方のこと。
それを「技化していく。技として使えるようになっていきましょう!」の言葉に、技と言われて、ついていけるのかしら・・・とドキドキしながらメモを取ります。
技にしていくときに、基本になるのがエネルギーバランスとしての「上虚下実」。生命エネルギーを技として、型として身につけていく世界。日本にある様々なお稽古や修行もその積み重ね。それをまさに体験させていただいた講座でした。
エネルギーバランスが上虚下実であるというのは、上半身にきばりがなく、下半身は充実した状態。これが東洋の身体であり、自然体であるとのこと。
私自身、気功や岡田式静坐法に取り組む中で、上虚下実はいつもテーマにしてきましたが、さまざまな型を学んでいく中で、今のエネルギーバランスがどうなっているかに意識を向け、気づいていくことで精妙になっていく身体を感じました。
からだにも自然がある
第1回で印象に残っているのは、股関節を回すということ。
でもそれは他の身体系のワークショップで体験したような腰を回す、股関節をほぐすというものではなかったのです・・・。
股関節を右回り(時計回り)に回してみます。
股関節を回す・・・しかも左右別々の円で回すなんて、初めてのこと。
でも右回りに回してから歩くと、すっと、さっとしかも素早く歩いている姿に驚き。立ち方も、輪郭まで違ってくるから、面白い!!
気のせいかもしれないけれど、気でわかる輪郭。
この右回り、逆に回すと違和感があるとおっしゃる恵美子先生。
なぜなら水が排水溝に流れていく時も、うずしおも台風も右回り。
これは北半球だからだそうです。南半球だと逆回りになるそう。
地軸の傾きから右回りになっているんだと。
このように自然の摂理としての右回り。
左回りにしようと思えば、できるんです。でも頭に上がってきて苦しくなる・・・。それは、つまり、からだが違うよ!と教えてくれている。
普段、頭からの指令で身体を動かしていることに改めて気づかされます。
右回りが自然。股関節を回してみて、身体の中にも自然を発見!!
以前からワークショップなどで円になっているときに、”順番に時計回りでいきましょう”と言われていて、深く考えたことはなかったのですが、
その回す方向こそ、自然と場が立ち上がっていく回し方であると聞いて、理にかなっていたんだなーと腑に落ちました。
季節によって変わっていくからだ
2回目対面ワークショップも盛りだくさんすぎて書ききれませんが・・・
季節によって変わっていくからだを、春夏秋冬のサイクルをホワイトボードに。
からだは、秋から冬にかけて閉まっていく。春に向かってゆるんでいき、夏には開いているからだ。
1年中使えるものはない、常に常に季節は移ろって、からだも変わっていくんだと。
恵美子先生の本には、1年を通して、季節の移り変わりの過ごし方について書かれています。
からだの自然は無意識レベルが扱ってくれている。それをからだが自然に調整してくれているということなんだと。
第2回の事前動画で宿題になっていたのは、起き上がり方。
朝、目覚めて何気なく布団の上で起きがっていますが・・・
その起き上がり方も、身体を使う技がありました。
・足のかかとを突き出すと、腰とつながって起きる。
・足の甲をまあるくすると、おなかとつながって起きる。
どちらが自分にとって心地よいかを感じながら、全身をつなげて流れで起きることをやってみます。
恵美子先生のすっと起き上がる姿は、とてもきれいで見惚れてしまいますが、実際に私がやってみるとぎこちなく、いかにつながらないままに身体を使っているかがよくわかりました。
日本文化は腹腰文化とも言われます。腹と腰が大事。
それが足首の使い方とつながっている。新鮮なつながりでした。
抜きの技術
後半は、各身体のポイントに「抜き」について学びました。
まずは、腕の使い方。
筆をもって線を引くときの腕は、脇張りと言って、だまごを脇に挟んでほわっとしたまま引くと良いと。でもそのちょうどよい抜き方って難しいんですよね。
今まで私は、文字を書くとき、ノートでもお習字でも、聞き手である右に力が入ってしまっていました。書くという行為は一生懸命ではないといけないと思っていて、それを支える左側にまで力みが入っていました。
今回、腕の内側を縮めるか、外側を広げるかというところでの違いを感じ、楽な引き方をみつけられました。
脇張りの豊かな空間。
大きく身体を覆う膜がある。
そんなイメージが浮かび、ふわっとそこにいられるような気がしました
気功でよくやる站椿功(タントウコウ)もまさにこんなかんじ。
次は指の使い方。
手を使うとき、どうしても親指や人差し指、中指に力を入れがちですが、
1本1本均等に力を入れてみます。
5本の指を均等に、指を抜く動作や腕をさすってみると、抜いた指、触れた腕の感覚が変わり、すーっと調ってくるのを感じました。
まさに”全集中”の指。
正座法で座る
そんなふうに身体全体に集中をして、微細な感覚から技や型をとっていったあと、
いよいよ坐ります。立った状態から丁寧に身体を折っていってからだが沈んでいくように坐っていきます。
膝は曲げるではなく、膝裏を抜く。そうすると、足首が締まっていく。
重心のある方の足をひいていくと、上半身が自然と降りてくる、織りていく。
跪座の状態から足の甲を順番に床に付けていくと、すっと自然な正座が。
座ったとき、なんて心地の良い正座なんだと思いました。
上虚下実、自然体、このまま座っていたいと。
もちろん、それまでのワークの中で、身体が調っていったんだと思いますが、
順序があり、身体に無理のない自然な動かし方によって、”座る”にいく。
作法とはよくできたものだと思いました。
身体の不思議おもしろい
前期・中期・後期の3人の先生たちは、ひとりひとり違うのだけど、
共通しているものもあって、それがわたしの大きな学びとなりました。
・身体の感覚を大事にすること。
・外側に正解はなく、内側で感じていくこと。
・からだは瞬間瞬間で変わっていくこと。
・からだはつながっていること。
表面的なポーズをとって真似をするのではなく、正解というものを作らずに、どんな感覚がするかを常にからだに聞いていく。
その都度、自分自身のからだがどうなのか、どう感じるかをひたすら繰り返す。
そして、呼吸が浅くなる、気が上がってしまうようなことはやらない。
からだは私たちが思っているよりもはるかに不思議な力を持っています。
それが使われないままに眠ってしまっている。
それを思い出すような、呼び起こすような時間。
終わった後は、ここちのよさと、からだの神秘にワクワクしている感覚が残っていました。
講座が終わった後、恵美子先生が話しておられたことがとても印象的でした。
科学の進歩による新たな発見よりも、その先をいく力を人間は、身体は持っている。そんな神秘と可能性を感じた講座。
仏教では自然(しぜん)を自然(じねん)と読みます。
親鸞聖人は晩年にこの言葉を残されました。
「自然法爾」
おのずからしからしむる。
わたしたちのからだには「あるがままの自然のはたらき」が確かに息づいています。
おのずからそれがそのままにある。
合掌。南無阿弥陀仏。