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僕らの性格と心がけていること

こんにちは、杲(ひので)です。
基本的にそれぞれの記事を違う人格が書いても、人格ごとの名前での表記はしない。書き方は寄せること。というのが、僕らのnoteの方針らしい。単純に人数が多いから読者からしたら訳が分からなくなるだろう、覚えるのが大変だろうという考えのもとである。

僕は自分達の全体的な性格を合理的な性格だと捉えている。常に物事を損得勘定(メリットデメリット)の天秤にかけ、メリットが上回らなければ動かない。この前表に出ていたある人格に、内界で認知されていない男児(小学校低学年位)の人格から「怖い、寂しい」とずっと話しかけられていたという出来事があった。話しかけられた人格⋯名前を仮にXとしよう、Xは男児にこう返答したそうだ。

「怖いとか寂しいとかそんな抽象的で感情的な話しをされても困る。【何が】怖いのか、【どうして】寂しいのかくらいその歳で言えないとうちではやっていけない。具体的にこちらに何を要求しているのか、どうして欲しいのか、それをすることによってこちらにどんなメリットがあるのか。見てほしいならきちんと自分を売り込め」

基本的にこちらの内界では論理的に話せない者は認められない。内界で生活する上で子供(小学生)であっても合理的であること、理性的であることは最低限のスキルであり、それができなければ迫害の対象にすらなりうる。

厳しいことを言われた男児は、
「鬼!どうしたらそんな捻くれた性格になるんだ!クソ野郎!」
と言っていたらしいけれど⋯。

でも人とコミニケーションをとる上で論理的に話せるということは大切なことだ。感情を上手く言語化させる訓練というのは子供の人格だからこそきちんと教育してあげるべきであると考えている。感情的に話すと、周りは話しを聞いてくれない、聞いてくれても理解がしづらいかもしれない。自分からしても感情的に話して相手に話しが伝わっていないと感じればモヤモヤはするし、なんで伝わらないの頑張って話したのにと落胆する可能性が高くなる。双方の負担を減らすためにも現在の自分の状況を、それによって伴う感情や悩みを論理的に話す練習をするのだ。各人格が自分の感情を整理しやすくなるだけではなく、何かがあった時に状況を上手く説明できれば周りから助けられやすくなる。
内界で教育ができないのなら、子供人格が出て来た時用に絵本なんかを置いてあげても良いかもしれない。プレゼントだよと紙に残してあげれば読んでくれるかもしれないからだ。

僕らの中の誰が出ても、周りに対して暴言暴力等の加害行為含む迷惑行為をやらないのはそうした徹底的な教育の成果もあるかもしれない。それを可能にしたのは斜め上の発想で内界の改革をし、生活レベルをリアルと同じかそれ以上へと発展をさせた上位層の人格達の努力のお陰に他ならない。

結果的に言いたいのは、論理的に話せるだけで周りは話しを真面目に聴いてくれるし、何かあったら助けてくれる人が増えるし、言葉の行き違いや冷たくスルーされることも減るよってことだ。
周りの人が理解してくれない、自分だけ冷たくされると思っている人は伝え方に問題がないか考えてみよう。感情的に一方的に話していないか、簡潔に手短に話しているか、普段の他者とのコミュニケーションをもう1度見直してみると良い。とは言っても、精神疾患はコミニュケーションに障害を抱えてる者も多い。上手く改善はできないかもしれない、何年と時間がかかるかもしれない。それでもやはり意識して改善を試みようとすることも闘病だと僕は思うので、障害だから仕方ないじゃんと共存に見せかけた諦めをして放置するのではなく、とりあえず改善への情報を集めてみるというスタートラインに立ってほしいと思う。

【最後に】

ここまで読んでくれてありがとう。この記事が誰かの役に立てますように。僕らもまだまだ未熟なところがあるし、改善する部分もたくさんあるけれど、共に前に進んでいけることを僕は願っています。

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