思う、思わせる、思わされる。 動く、動かす、動かされる。
先日私は、さんしさんのロバの記事を読んだ。
こちらの記事では、いかにロバが魅力的かということが写真や動画を織り交ぜてコミカルに語られているのだが、私はこれを読んでなんだかとても幸せな気分になった。
なんていうか、久しぶりに人からいい「好きの気持ち」を浴びた気がしたのだ。
推し、沼、偏愛、ガチ勢など、現代にはとっても愛してやまないということを指すような言葉がたくさんある。使ったことはないし使うタイミングもよくわかっていないが「限界オタク」なんて言葉もあるらしい。
それらに該当するかはわからないが、さんしさんは好きな動物を聞かれたら食い気味で即答するくらい、かなりのロバ好きとのこと。
言うなればロバ推しである。
ロバ沼だとなんかロバが沼にはまっちゃったみたいでかわいそうな感じがするし、ちょっとニュアンス的に違う気がするのでロバ推しとしてみる。
わかりやすく軽妙に書かれたロバの特徴や魅力ポイントから、ロバを推す気持ちがシンプルに伝わってきて「ロバ...確かに可愛いな」なんて思った私。
今まで存在自体は知っていたものの、ロバって馬のちっちゃいやつ?それはポニー?あ、プーさんの友達にいるよね?くらいだった私のロバへの関心がちょっと高まり、文章を読み終わる頃には、読み始める前よりも明らかにロバに対して愛着が湧いていた。
そしてそれと同時に、人の「好き!」の気持ちってすごく心地の良いものなんだなと改めて思ったのである。
というのも私は最近、自分が動かされているかのような人や社会からの情報や強い思いにちょっと疲れていたのかもしれないと感じていたからだ。
人間誰しも自分の関心事や好きなものに他の人も興味を持ってくれたり、それを好きになってくれたら嬉しいと思う。だからこそ時にはそれを勧めてみたり、熱い思いを語ったりする。
一方で、それが度が過ぎてしまうとその強い思いを受け止めることがちょっとプレッシャーだったり、窮屈に思えてきたりすることもある。
私が思うにそういう時って、そこに対する絶対感というか至上主義的な感情が込められていたり、相手にも同じ感覚になってもらいたいという無意識下の誘導的要素が含まれている時なのかなと思う。
もちろん注釈を入れるまでもなく、さんしさんは「ロバがこの世の動物の中で一番可愛いに決まっている。他はダメだ」とか「ロバ好きじゃないなんて、まだお前はこの世界のことを何もわかっていない」なんてことは述べていない。そして好きなことについて書いたり、誰かにそれを話す人たちも基本的には「私〇〇が好きで、こういうところがすごくいい!」という自分の推しポイントを伝えるような感じが多いと思う。
しかし、この「私は〇〇が好き」「自分は〇〇を信じている」というようなことを述べる時に、時として「これが正解だ、そうじゃないものはちょっと...」というような表現の仕方をする人がいる。
少し筋が違う話になってしまうかもしれないが、自分の信念や考え方など価値観や生き方を含むようなものになると特にそういった場面が多くなるようにも思う。
自分の好きなことや信じているものが素敵だ、いいものだと思っているからこそ、他の人にもわかってもらえたら嬉しいし、身近な人とそれを共有したい、みんなに伝えたいという気持ちはわかる。
でも、結局人の心が動く時って「動かそう」という気持ちが含まれた言葉ではなく、嬉しそうな顔を見ると嬉しくなるように、これがいい!これが好き!という純粋な言葉に「へぇそうなのかぁ」と興味や好意を持ったり、その上で自ら能動的に動いたり、何かを感じた時なのかなと思う。
そういう意味で、さんしさんのロバ愛は私の中にとってもストレートに伝わってきたし、ロバって可愛いな、いいなと共感ができて、だからこそ私の中にロバへの興味や愛着が湧いたのだ。
正誤の判断が難しい情報や、人の様々な感情や事情、思惑が混ざり込む多くの文字や言葉が溢れる世の中。
簡単に、時には受動的に色々なものが自分の中に入ってきてしまったり、それに惑わされるようなこともあるが、誰かに思いを伝える時は、その人が自分から興味を持ち、自分から好きになる余白があるくらいの方が、結果的に響いたりするのではないのかな、なんてふとそんな壮大なことを考えてしまった。
最近のぐるぐるした私の頭の中を一掃してくれるようななんでもないロバへ思いが、私にはすごく自然に心地よく届いて、なんだか清々しい気持ちになる文章だった。
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