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私の遅咲き卵かけごはん

「僕の家では卵かけごはんは最高級品でしたね〜」

そう話していたのは、同僚のサトウさんだ。
彼はインドネシア生まれ。今でこそ普通に手に入るのかもしれないが、時代のせいか住んでいた地域的なものだったのか、生で食べられる卵はその当時なかなか手に入らなかったという。

「でもたまーに近くに住んでいた日本人の人が生で食べられる卵をわけてくれることがあって。もうその時はパーティですよ!やっぱり生卵といえば卵かけごはんですよね。僕好きすぎて、小さい頃は誕生日のごはんは卵かけごはんがいいって言ってました」

なるほどなぁ。
卵かけごはんは所変わると最高級品のパーティメニューになるのか。
そんなことを聞きながら、私は自分の卵かけごはんヒストリーを思い出していた。


私が卵かけごはんを初めて食べたのは、多分小学生の高学年か中学生くらいだったと思う。
ちょっと遅めのデビューである。
というのも、私は幼い頃卵アレルギーだったのだ。

もともとアトピーも持っていたためか自分ではあまり覚えておらず、苦しかったとか大変だったとか卵に対してアレルギー的に嫌な思い出というのはそこまでない。
でもそれはきっと、母がきちんと食生活を管理してくれていたからだと思う。


自炊をするようになって思ったけど、料理において卵を封じられるって結構困る。
卵はメインや副菜はもちろん、お菓子の材料でもよく登場する。
そんな中、母は私が卵アレルギーであることを悲しいとか嫌だと思わないくらい普段の食事をうまく工夫をしてくれていたのだろう。
誕生日のケーキなども卵を使わずに手作りで色々なものを用意してくれた。
大きなパンのような形の焼き菓子っぽいものもあれば、フルーツポンチっぽいお祝い感のある果物の時もあった。

もう一つ覚えているのは給食のこと。
家での食事で卵を抜きにするのもなかなか大変だと思うが、給食はもっと厄介である。母はいつも月のはじめに学校から配られる献立表を眺め、卵チェックをしていた。
現代の献立表はもっと細かく書かれているのかもしれないが、当時は献立の横にその日のメニューで使われている材料がずらりとまとめて書かれているような感じだった。

そうなると、どの料理に卵を使われているかを考えなくてはならない。
例えばオムライスなど名前から明らかに卵の所在がわかるようなものであればいいのだが、中には「これは...どこで卵を使ってるんだ?」というようなメニューの日もある。
そういう時はわざわざ学校に電話をして卵の潜伏場所を聞く。

そしてさらに大変だったのは「代わりのおかず」。
卵をよけて食べられるようなものであればよいのだが、チャーハンなどの中から細かくなった卵を取り除いていてはその作業だけで給食の時間が終わりそうだし、揚げ物のつなぎみたいなところで使っている場合は取り除くことはできない。
そういうメニューの時は、タッパーに該当のものの代替品みたいなおかずを持たされて学校に行くこともあった。
しかし、ここにもなんとも言えない問題が。
持っていく代用おかずにはあるルールがあったのだ。

「なるべく近しいようなもので、かつ他の子たちが羨ましがらないようなものにして下さい」

当時母は学校の先生にそう言われたという。
まぁ確かにわからないでもない。私もただでさえ自分だけみんなと同じじゃないものを持って行って注目を浴びている中「えー〇〇持ってきてる!笙ちゃんだけずるーい!」なんてことにはなりたくない。

しかしメニューによっては「え?この代用って...どうする?」というものもある。先程のチャーハンなどであれば卵なしバージョンのチャーハンを持参すればいい。オムライスもまぁ大丈夫。多分私は裸のチキンライスを持って行ったのではないだろうか。
いや違うか。チキンライスは裸がデフォルトだ。言うなら裸のオムライスかな。

ところが、それこそオムレツとか、卵が主役を張っているメニューとなると近しいものを探すのはなかなか難しいし、さらにそれをバージョンダウン(?)して用意しなくてはいけないという。
親子丼などの場合は、どうすればいいのだろう。
私は鶏卵のアレルギーだったので魚卵は食べられたが、まさか鮭とイクラを持っていって親子丼ですという訳にはいかない。焼き鳥丼with玉ねぎ炒めって感じだろうか。(親子丼が給食で出たかは覚えてないけど…)

色々な子どもの様々な好き嫌いがある中で他の子に羨ましがられないように、なんとか我が子がみんなと同じように給食を囲めるものを作るというのは今思うとなかなか大変な作業だったと思う。


そんな感じで小学生時代は母にとっても苦労をかけた私だったが、成長するにつれ、白身の部分であれば食べられるようになり、その後火が通っていれば全卵も食べられるようになって徐々に症状が緩和されていき、そしてとうとう生の卵もなんの問題もなく食べられるようになった。

その時生まれて初めて食べた卵かけごはんは忘れられない。


と、言えるようなエピソードがあればすごくよかったんだけど、残念ながら私は初めて卵かけごはんを食べた時のことを覚えていない。
それくらい、私にとって卵かけごはんはよく食べる「普通の食事」になったのだ。


今でも私は卵かけごはんが大好きだ。
3日に一回は食べているのではないだろうか。
急いでいるからでも何もおかずがないからでもなく、卵かけごはんが食べたくて食べている。まるで昔食べられなかった分まで挽回しようとしているのかように。

シンプルにお醤油をかけて食べるのも好きだし、岩塩やあごだし塩をちょっとふるのもまた美味しい。
今一番気に入っているのはあらゆる薬味をふんだんに漬け込んだ自家製の青唐辛子醤油の卵かけごはん。これが最高なのだ。
ピリ辛の醤油の味、そして具材のようにちょっと乗せた醤油漬けの薬味たちの辛味と風味がまろやかな卵とマッチして、ワンランク上の大人の卵かけごはんにしてくれる。

今でこそ毎日のように美味しく味わっているが、昔を思い返すと、卵、食べられるようになってほんとによかったなぁと心から思う。


インドネシアで育った人の、滅多に食べられない貴重な卵かけごはん。
アレルギーがなくなって、やっと食べられるようになった卵かけごはん。
卵かけごはんには、きっと人の数だけ思い出があるに違いない。

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