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人はなぜ残虐な行為に至るのか?━━ミルグラム実験

大量のユダヤ人を殺害したホロコーストの責任者、アドルフ・アイヒマンは、ただただ命令に従っていた「凡庸」な男だった……
なぜこのような人物があんな残虐な行動の指揮をできたのか?



ミルグラム実験

ミルグラムは新聞広告を出し、「学習と記憶に関する実験」への参加を広く呼びかける。実験には広告で集まった人はクジで教師役と生徒役に分けられた(実際は被験者が必ず教師役になるように仕掛けられていて、生徒役はサクラである)。生徒役は単語の組み合わせを暗記し、テストを受ける。生徒が回答を間違える度、実験担当者が先生役に電気ショックの指示を出し、先生役は罰として生徒に電気ショックを与えるという実験だ。


クジ引きで役割が決まったら全員一緒に実験室に入る。実験室には電気椅子が設置されており、生徒は電気椅子に縛り付けられる。生徒の両手を電極に固定し、身動きが取れないことを確認してから先生役は最初の部屋に戻り、電気ショック発生装置の前に座る。この装置にはボタンが付いており、ボタンを押すと、始めは15ボルトだった電圧が15ボルトずつ高い電圧を発生させる。最大450ボルトの高電圧が流れるという仕掛けだ。先生役の被験者は実験担当者から、生徒が回答を間違える度に15ボルトずつ電圧を上げるように指示される。


実験が始まると、生徒と先生はインターフォンを通じて会話する。生徒は時々間違えるので、電気ショックの電圧は徐々に上がる。45ボルドまで達すると、生徒はうめき声をもらし始め、120ボルトに達すると「痛い、ショックが強すぎる」と訴え始める。しかし実験はさらに続く。電圧が150ボルトに達すると「もうダメだ、出してくれ、実験はやめる、これ以上続けられない、実験を拒否する、助けてください」という叫びを発する。電圧が270ボルトになると生徒は断末魔の叫びを発し、300ボルトに至って「質問されてももう答えない!とにかく早く出してくれ!心臓がもうダメだ!」と叫ぶだけで、問題に回答しなくなる。


この状況に対して実験担当者は平然と「数秒間待って返答がない場合、誤答と判断して電気ショックを与えろ」と支持する。さらに実験は進み、電圧は上がる。その電圧が345ボルトに達すると、生徒の声は聞こえなくなる。それまで叫び続けていたが、反応がなくなってしまう。しかし実験担当者は容赦なく、さらに高い電圧のショックを与えるように指示する。


もし読者の皆さんがこの実験の先生役割だったら、どこで実験を中止するだろうか。ミルグラムの実験では、驚くことに、40人の被験者(先生役)のうち、65%に当たる26人が、最高の450ボルトまで電気ショックを与え続けた。どう考えても非人道的な営みに、過半数の人が抵抗感を示しながらも、生徒役の生命の危機が懸念されるレベルまで実験を続行してしまったのだ。


なぜこれほど多くの人が実験を最後まで継続してしまったのだろうか。考えられる仮説としては「自分は単なる命令執行役にすぎない」というように、命令を下す実験担当者に責任を転嫁しているから、と考えることが出来る。実際に多くの被験者は、何か問題が発生すれば責任は全て大学側でとるという言質を実験担当者から得ると、納得したように実験を継続した。

ミルグラム2回目の実験

つまり、「自分の意思で手を下している感覚」の強度が関係しているのではないか。ミルグラムはこの仮説を明らかにするために、先生役を2人にして、1人にはボタンを押す役を、もう1人には回答の正誤と電圧の数字を読み上げるという役割を与える実験を行った(実際にはボタンをおす役はサクラで、被験者は回答の正誤と電圧の数字を読み上げるだけ)。つまり、実験への関わりは1回目の実験よりも消極的になり、「自分の意思で手を下している感覚」は少なくなる。果たして結果はどうなったか。結果はミルグラムの予想通り、最後の450ボルトまで実験を続けた被験者は40人中37人、93%となり、仮説は検証された。


この結果から、責任の転嫁のしやすさが、残虐な行為に対しての服従率を上げるということが分かった。逆に考えると、責任転嫁を難しくすれば、服従率が下がるのではないか。

ミルグラム3回目の実験

ここで、この記事で扱う最後の実験だ。先生役に指示する実験担当者を2人にして、途中で片方の実験担当者は「生徒が苦しんでいる、これ以上は危険だ、中止しよう」と言い、一方は「大丈夫ですよ、続けましょう」と促す。このような状況では、先生役に責任が重くのしかかったくることになり、責任転嫁が難しくなる。このような状況で行った結果、それ以上の電圧に進んだ被験者(先生役)は1人もいなかった。

まとめ

 1.2回目の実験では、人は権威に対して驚くほど脆弱であり、責任転嫁がしやすいような状況下では人はつい服従して残虐な行動ができてしまうということが分かった。しかし、3回目の実験では、私たちに希望の光を与えてくれた。3回目の実験によって、人はほんのちょっとでも自分の良心や自制心を後押しされれば、人は「権威への服従」を止め、良心や自制心に基づいた行動を取ることが出来るということがわかった。これは、組織全体が悪い方向に動いている時、「これは間違っているのではないか」と最初に声を上げる人の存在の重要性を示唆しているように感じる。




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