「手料理」の呪縛から解放してくれた母の一言
「手料理=愛情」
長らく私はそう思い込んできました。
私の母は料理が得意なタイプではありませんでしたが、ご飯の時にはたくさんのお皿を食卓に並べて、父の酒のつまみも別に用意していました。
一品一品をみれば「トマトを切っただけ」「ブロッコリーにマヨネーズをかけただけ」 など簡単なものも多かったのですが、それでも私にとっての家族の食卓は、色とりどりの料理が所せましと並でいるのが "普通" でした。
今でも子供たちを連れて実家に遊びに行くと、ポテトサラダ・唐揚げ・卵焼き・ マグロのお刺身・自家製のお漬物など子ども達が大好きなお料理がこれでもかと出てきます。
そういう家庭で育ったこともあって、自分も母親になったら当然のように料理は手作りしてあげるものと思っていました。
一人暮らしの頃から自炊はしていたし、料理はそれほど苦手じゃなかったから、難なくできると思っていたのです。
でもいざ育休が明けると、食事づくりは私の中でかなりのプレッシャーになっていました。
復帰直後は、離乳食を完全には卒業しておらず、食べやすいように味付けや形態を工夫してあげなければなりません。
ある程度なんでも食べられるようになってからも、献立を考えるのがまずしんどい。
疲れた体で帰ってきて、そこから料理をするのがものすごく億劫でした。
誰も「手作りじゃなきゃダメ」なんて言ってないのに、無意識のうちに自分で自分の首を絞めていたのです。
なぜ、ここまで「手料理」に囚われていたのか?…
一つには義母がものすごく食品添加物を気にして、手作りにこだわる人だったこともあるのですが、
一番の理由は、母が毎日してくれた「料理を作る」こと自体に、私自身が愛情のようなものを感じ取っていたからだと思います。
「料理を作らない= 愛していない」
そんなわけない、と頭では分かっているのに、何十年と母が私にしてくれた行為にはそんな理屈を吹き飛ばすほどの威力がありました。
大学生の頃、遠距離通学だった私のために、母は毎朝4時半に起きてお弁当を作ってくれました。
「手料理=愛情」
母が意図せずに私へすり込んだ構図が、母になった私を縛り、苦しめる…。
でも、そこから解放してくれたのも、やはり母の言葉でした。
私がふと、「毎日のご飯作りがしんどい…」とこぼすと、あっさりとこう言ったのです。
「お惣菜買えばいいじゃない」
と。
"昔と今じゃ状況が違うし、あんた (私) は働いてるんだから、毎回凝った料理を作るのなんて無理だ"と。
自分でも薄々気づいていたのに、なぜか母の一言は私の心をスッと軽くしてくれました。
考えてもみれば、母が作るお弁当にはよく冷凍食品が入っていたし、子どもの頃によく食べていたホットサンドのハムカツは、スーパーのお惣菜コーナーで買ってきたものでした。
そう、全部が全部手作りではなかったんです。
「手料理の呪縛」は、様々な本・テレビからの情報、義母の言葉、幼い頃の記憶を私が勝手に解釈し、部分的に事実を歪めて、強化していただけのものに過ぎなかったのです。
母の言葉をきっかけに、自分の思考を客観的に見直したら「本当に私の思い込みで、母のせいですらない」ことに気付きました。
今でも添加物を摂りすぎることは注意していますが、以前よりも大らかになったことで食事づくりのストレスは大幅に減りました。
仕事で疲れて晩ご飯をつくる気力が残っていない時、手料理の呪縛に囚われそうになったら、
「お惣菜買えばいいじゃない」
と自分で自分に言い聞かせています。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
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