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眠れぬ夜には短歌を詠んで

もうね、眠れないのなら短歌でも詠んだらいいと思うんです。

現代短歌って、本当に面白くって楽しい。
なので、今日は最近ハマっている短歌について語らせてください。

「感情を昇華させる」ことについて

「感情を昇華させる」と言うとなんだか崇高な行為に思えますが、音楽でも絵画でも、言葉でも、とにかくどんなフォーマットであっても思っていることをなんらかの形で昇華させる、それだけで少し救われたような気になりませんか?

昇華のさせ方にはいろんなタイプがあると思うのですが、わたしは心が動いた時(感動したり恋愛したりなんでもいいんだけど)に創作したくなるタイプです。主に曲を書いて昇華させます。

でもまあ、曲を書くのってほんと〜うに大変です。しんどい。それに、曲を書いているだけじゃ昇華されない、間に合わないとでも言ってしまいましょうか、生きているといろんな感情が積み重なってくるんですよね。それがどうにも苦しい。

じゃあそういう時にどうするかというと、アウトプット以外の昇華方法もたくさん試します。音楽を聴いて癒されたり、本を読んで「そうそう、こういうことが言いたかったんだよ」と共感をしたり。
だいたいそんな感じだと思うんですけど、それでもやっぱりなんだかんだアウトプットすることが一番すっきりするのではないか、と思います。

言葉のない世界で

私の本業は音楽家なので、言葉を超えた表現や言語化をあえてしない・できない世界の構築を、音楽という世界で目指しています。そして、演奏する楽器はサックスなので、言葉を使って仕事をすることはほぼありません。

でも、いや、だからこそ言葉の持つ力がいかに大きいかと感じる瞬間が多いです。わかりやすい例で言うと、ライブのMCで曲の説明をしたときとしないときでお客さんからの感想が全然変わる、とかですね。それだけ、言葉は良くも悪くも強い要素を持っている。

昔から詩や小説を書くことが趣味だったので、ある程度自分に言葉偏重な面があることは否めないですけどね。

先ほどの感情の昇華の話に戻りますが、アウトプットの方法でやはり効果的だなと思うのは「言語化」することだと思っています。日記や詩、フォーマットはなんでもいいのですが、言葉にすることで救われる経験は誰しもあるのではないでしょうか。

感情がつもりつもったとき、曲を書くのは誰でもすぐにできることではないし、エッセイだって一本完成させるのは難しい。詩や日記もいいけどそれすらしんどい時もある。

そんな時にね、おすすめしたいのが短歌です。

そう、短歌。

眠れないのなら短歌を詠めばいいじゃない

なぜ私が短歌というフォーマットにたどり着いたのかは、昨年の9月くらいに遡ります。
留学も延期になってしまい、1年間どう過ごそうかなーとぽんやりしていました。いや、それにしては元気に、好き勝手走り回っていたような気もする……。まあそんなこんなで、色んな思惑がぐるぐるしてた時期だったんですよね。そのときも例に漏れず感情がつもりつもって処理が追いつかなくなっていました。そして、なぜか急に、自分の気持ちを「短歌にしてみればいいのでは?」と閃いたんです。今まで興味なかったのに。

57577のリズムに自分の気持ちを凝縮してみると、不思議なことに自分の気持ちが整理されたように感じました。

そのとき、短歌は31文字で終わるので他のフォーマットより気楽にアウトプットができるんだと気がつきました。31文字という限られた世界の中で、そのときの感情の風景を切り取っていつでも眺めることができる、なんて素敵な宇宙なのかと!

そんなこんなで短歌をぼちぼち詠んでいたら、短歌そのものにハマってきました。コンスタントに詠むようになったのは10月くらいからなのですが、今では200首を超えました。詠みすぎ。
あんまりにも短歌ができるもんだから、昨年の下半期は好きだった人に短歌投げつけまくっていました。(もしかしてとんでもない迷惑行為?)友達にそのことを言ったら「お前は平安時代の人間か?」と言われました。あはれなり。

自分で短歌を詠んだり、短歌に関する書籍を読んだりする中でわたしはいわゆる「現代短歌」が好きなのだと気がつきました。

というわけで、短歌ど初心者のわたしが今まで読んでいいなあと思った歌集や本を少し紹介させてください。といっても超有名どころなんだけどね。

現代短歌はいいぞ!

まずは俵万智さん。

彼女の短歌を聞いたことがある人は多いと思います。確か、教科書にも載っていたような。
サラダ記念日が有名な歌人ですね。こちらです。

「この味がいいね」と君が言ったから
7月6日はサラダ記念日

可愛らしい印象の短歌が多いサラダ記念日ももちろん大好きなのですが、わたしが最もおすすめしたいのは
「チョコレート革命」これですね。


1998年に刊行されたので(私の生まれた年だ)20年以上前の歌集ですが、これがほんと〜に鮮やかな短歌ばっかりで最高なんです。

この歌集は俵万智さんが28歳から34歳の頃に読まれた歌が収録されているのですが、報われない恋愛をしている人たち全員に読んでほしいです。
愛と憎悪の渦巻く短歌ばっかりでラブソングよりラブソングしています(?)

たとえばこんなの。

今日あったことを告げたき1日の
終わりに通じぬ携帯電話

誰しも一度は経験あるのではないでしょうか。この悲痛な恋の感情!

そしてこんなの

「忙しい」という語の中身を知らされず
電話を待てば明けやすき夜

本当ラブソングの歌詞より共感できるんじゃないかってくらい素直な表現です。救われる。歌集にはもっと過激な歌が収録されているので、報われない恋をしている方は是非読んでみてください。

自分で詠む短歌もかなりチョコレート革命の影響受けているなと思います。わたしの中では万智のアネキくらいに思ってますから。(失礼だからやめなさい)

林あまりさん

この方も女性の歌人です。ベッドサイドはとても好きな歌集です。

何がいいって、短歌の全てが瑞々しいんです。
あとね、ちょっと(かなり)エッチなの。そ〜れがはちゃめちゃに良くて。
短歌ってもっとお堅いものだと思っていたので、「こんな表現しちゃっていいの?!」とはじめはかなり驚きました。

それでも二人のベッドは心地いい
ただそこにある 無意味なほほえみ

なんでしょうね、短歌って健康で幸せに満ちた恋より、ちょっと不幸なものの方が映えるのかもしれませんね。

あと、林あまりさんの「スプーン」という歌集から1首好きなものを紹介させてください。

一冊の本をあなたと眺めている
少女の頃にしたかったこと

この歌をみたときなんだか感動しちゃったんですよね。映画のような情景が浮かんで、ああ、わたしも好きな人とこういうことしたいなあ、なんてぼんやり思ったものでした。

穂村弘さん

最後は現代短歌を代表する歌人のひとり、穂村弘さんです。雑誌の「ダ・ヴィンチ」では「短歌ください」の連載をされており、「短歌ください」シリーズは書籍にもなっています。

その中でもおすすめしたいのがこの「はじめての短歌」

元々はワークショップとして行われた短歌講座を収録したものです。本の中で様々な人が詠んだたくさんの短歌が紹介されるのですが、それらをあえて改悪することで、何が短歌のミソになっているかをユーモアたっぷりに伝えてくれています。

「短歌の価値は社会的に価値と結びつかない」と穂村さんは言いますが、ではその短歌の価値とは何か、というようなことを講座を通して伝えてくださっています。

そしてこの本の中で穂村さんは「言葉には『生き延びる』側の言葉と『生きる』側の言葉がある」とおっしゃっていました。わたしたちが学校や社会で身につける言葉は、「生き延びる」に特化したもので、短歌や詩、純粋な表現活動に必要な言葉は「生きる」に特化している、ということです。
「生きる」側の言葉は無意味で非効率で、お金にはならないもの、しかし忘れられないようなことと言われています。そして、短歌は「生きる」ために必要なものであると。

そう考えると、音楽も短歌も「生きるため」に必要な点では同じですね。

エッセイとしても本当に面白いので、是非「はじめての短歌」読んでみてください。

おわりに

こんな感じで短歌にハマってます。
短歌、とても楽しいです。おすすめです。

あまりにも短歌ができてしまうので、友達が「短歌を使った音楽のプロジェクトをやろう!」と言ってくれました。そちらも動かせて行けたらいいな。

あたたかい2月の午後に反射する
砕けたふたりの過ぎ去るかけら

最近の短歌です。2月もそろそろ終わりますね。

短歌に関してはまだまだ右も左もわからぬひよっこですが、これからも感情が溢れ出る限り、好き勝手に短歌を詠んでいこうかと思います。

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