書けない時期と苦手なカテゴリーについて
君のドルチェアンドガッバーナのその香水のせいだよ
が頭の中で再生し続けているがこのサビの部分しかしらない。ドルチェアンドガッバーナの香水は一度も買ったことがない。ただ香水のせいだよというくらい香りというのは人の記憶に残ることはわかる。私自身は決まった香りを身につけることはないので、香水の香りで私を思い出す人は多分いないと思うが、一緒に食べた食事の香りで私を思い出す人もいるかもしれない。
今日のテーマはそれではない。
正直にいう。今、絶賛書けない時期がきた。
「私は本当にたくさんの人に読まれたいのか」の記事の中で
私の話を少し聞いてほしいだけ
なんて語っておきながら絶賛書けないなんていうのは少し矛盾しているが、ここのところnoteを書こうと思うとふぅっとため息がでる。別に気取った記事を書こうと思っているわけではないし、また日々の生活が大きく変わったということもない。時間がないというのは言い訳だが、特に仕事の日は一日やりきった感でなにかインプットしたり、またアウトプットしたりする余裕がない。
まあ、そんな時期なんだろうと思っている。
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最近私のことを知った人は、キナリ杯受賞作の「トイペ」の話や、先日の呑み書きで書いた「毛」の話のような、少し振り切ったものを書く人というイメージを持っていると思う。こういった話を書くのはとても楽しいが、ある程度心が開放状態にないと書けない。
普段書いているのはエッセイと読んでいいのかわからないが「妙齢」という「女性の一番美しい年齢」での気付きみたいなものを書いている。もともとは恋愛ネタなども書いていたがそういえば最近は減ったような気がする。心焦がすような思いを表現するのは難しいかもしれないけれど、そんな感覚を思い出してまた書きたいと思う。
得意な分野はこれというものがない。逆に不得意な分野は挙げることができる。あくまでも書くことが苦手なだけで、これらの分野を読むことは好きであり、疑似体験で幸せを感じている。
日常系(家族と子育てと食)
私の日常とはなんだろうと思うと、平日の大部分が仕事でそれ以外何があるのだろうと思う。もちろん家に帰ってきて何もしていないわけではなく、家事などは一通り行っているが、ほのぼのとした日常を感じることはほとんどない。
先日母の話を書いたがやはり家族の話を書くことに躊躇する。母のことだけではなく離婚したことも関係しているような気がする。それを選んだのは私であるが、ファミリーという言葉に対してどこかため息が出る。息子とは親子というよりは、今や同居人くらいの距離感で付き合っており必要最低限の会話しかしていない。別に仲が悪いわけではなく干渉されたくないという部分が似ているところが親子なのだろうと思う。
食については料理が苦手というのが一番であるが、あまりこだわりがない。プリンについては結構書いているが、コンビニプリン、高級プリン、そしてプッチンプリンもみんなまとめて好きという大雑把さ。そんな私はお腹がすいたら「お菓子」が主食でいいと思ったりする。ただ最近noteをきっかけで出会った人たちが美味しそうな料理noteなどを公開しており、少し食に関して意識するようになった。
しかし「書く」となると全くもって難しい。
コンテンツの感想
本を読むこと、テレビドラマやサブスクで配信されているドラマや映画を観ることは好きだが、その感想を書くことが苦手だ。たぶん感情を言語化することが苦手なのだろうと思う。数値などの根拠に対して言語化することは得意だが、コンテンツのシーンで思うことは、自分自身の経験に基づく複雑な感情が入り乱れることが多く。その「複雑な」というところがどうしても語れない。というほどの人生だったのかと言われると微妙である。昔から読書感想文が苦手だったことを思い出した。
小説
「小説」はこのnoteで無理やり書いたことはあるが、小説なんて言ったら絶対に「小説」を書いている人からおこられてしまう。もともと想像力がないから自分が経験していない以上のことは書けない。自分のことではなく身近の人の人生を書けばいいという人もいるが、そこにある思いを表現することはできない。とはいえ普段書いているものが完全なるノンフィクションかというとそんなことはないが、自分の中で小説というのは「読むもの」なのだろう。
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「ひなこさんはあまり人に興味ないでしょう」
時々同僚に言われるが要するに冷めてる人と思われているらしい。自分ではそんなことはないと思っていたがこのように書いてみるとやはり「人や物事にあまり興味を持っていない」と思い始めた。それでは少し悲しいので「冷静に物事を見ている」と思うことにする。
それで、結局のところいったい何が書けるのだというと具体的に挙げることができないが、究極のひとりごとをいつも書いているような気がする。実生活で「ひとりごと」を話していたら危ない人になるので、noteの中でこれからもこの「ひとりごと」を続けていく。
そしてあなたの心のどこかに、私のひとりごとの記憶が残っていたら嬉しく思う