中級者向け 物語構造のパート別組み合わせバリエーション「葛藤」 クリエイターの為の批評コラム
前回はこちら。
さて、物語らしさをどうやって演出するかの具体的演習の為のこのコラム、前回の予告で「葛藤」を扱うと書きましたがいきなり「調達」について書こうと思います。
プロップの「31の機能」の中にもあるものの、現代日本では「必要なアイテムをクエストして入手するあのシークエンス」と説明した方が早そうです。ここから理解できるのは、本当に大変なのは何が必要なのかが分からない時だという事で、しかもこの場合自分が分かっていないという事実さえ把握できなかったりしてとても困ります。表面上は困りませんが、気付かない間に欠落が生じているようなもので、対処する事ができません。気付かされた時は具体的に困った時です。そういう事のないように、常日頃から情報収集や交流に励んでいた方がよい、という観点からしても、コミュニケーション能力は大切だと言えるでしょう。
「調達」はアイテムや同行者・移動手段などを手に入れる為のシークエンスですが、情報という面から見ると、まず何らかの形で「この先それが必要となる」と知る事が重要です。それがなくては次の「手に入れる為の行動」に移る事ができないので。この点をクリアするには「知識の伝達」と「それを可能にする根拠」を用意しましょう。誰かしらキャラクターが情報提供する場合、「何故教えてくれるのか」がキャラクターの魅力や「謎」を深めてくれる時もあるでしょう。
このコラムを読んでいるあなたにとって、この記事が「調達」に値するよう、これからも精進していく所存です。
さて「葛藤」についてですが、近い観念に「迷う」「悩む」があり、どれも現代的な物語には必要な要素です。というのは何に迷うか、悩むかでキャラクター性が出るからで、それまでの行動や思考からすると意外な形で悩んだり、妙な所で迷ったりすると鑑賞者は惹きつけられます。『よつばと!』の恵那がケーキ選びの時に見せた表情はそれまでの彼女のイメージからはちょっと予想がつかない「これまで見せなかった一面」でした。意外さの演出は「逆行する感じ」で可能になりますがその使い方は「まず先にAを見せる」「その後でBを見せる」というタイムラグが重要です。直後か、しばらく後か、十分にキャラが起った後でか、物語のクライマックスか、それとも全てが終わった後でようやく明かされるものなのか。どの時点かで効果は変わるので、欲しい効果に応じて使い分ける為に、様々な使い方とその印象を覚えておきましょう。
前回扱った「禁止」と「違反」の間に「迷う」「悩む」がどのように入るか、という点は極自然に思いつくものでもありますが、ここで意外さを見せるのは普通は迷う所で「迷わない」、誰もが悩むような問題や場面で「悩まない」。ノータイムで即行動、という意外性。考えなしか決断力があるのか、とにかくインパクトのある展開になります。
ところで「迷う」「悩む」「葛藤」は「31の機能」には存在しません。元になっているロシアの魔法民話には多分社会規範と自我や欲望の衝突で苦悩したりするシーンが存在しなかったのではないでしょうか。民話では「難問の解決」の際にちょっと考えたりはしますがあっさり解決していたりして、この主人公村人Aみたいな薄い印象しかなかったのに頭良いな、と思ったりした事はありますけれども。
では「葛藤」というモチーフをどうして持ち出したのかと言うと、確か『ハリウッド脚本術』だったと思うのですが「主人公は日常では出会わない困難に直面するが、まずその困難を避けようとする。しかしその試みは失敗し、あるいは自分が今解決するしかないと決意し、行動を開始する」というシークエンスが必要であるとありまして、ハリウッド映画は確かにそういった構成になっています。自分に出来る訳ない、専門の機関に任せるべき、等など、まず社会的なサポートや外的手段を試した上で、尚自分でなければいけない、今すぐでなければならない、という事に気付き、決断し、行動するのです。
ここに「葛藤」があるのは当然ですが、この「葛藤」は決断の為にあります。奉仕していると言い換えても構いません。というのは、主人公が問題に立ち向かう事がその物語で求められている事なのですから、通常のリアクションとしてまず回避を試みるステップを準備はするものの、成功させる訳にはいかないのです。「葛藤」の前後で逆転が起こり、物語らしさと共に一気に物語が動き出す感じが得られるように作られています。更にこのシークエンスにはきちんと「立ち向かう決断」に至る理由を設定しておきましょう。説得力に欠けると魅力も欠けます。最初は嫌々だったが本当は自分の力を試したかった、心の奥底ではそう感じていた、とか2段階で説明する手段もありますね。
「葛藤」はキャラクター個人の内的なものなので外見は派手になりませんが、その分決断後にダイナミックになるのでその切り替えがギャップを生み、次なる展開がそれまでの過程を踏まえた逆行によって彩られていればまた物語らしさがあるでしょう。追ってきた相手を逆に追いかけるとか。所謂「今度はこっちの番だ」という感じで。ハリウッド(に限らずですが)映画は時間で区切られているので、一度に観るのにあまり長い時間は取れません。つまり「葛藤」の効力とその後の展開は1話30分2クールのアニメシリーズとは別物になると言う事です(漫画や小説なら尚更違うでしょう)。こうしたメディア特性や受容のあり方による制約と、作品のサイズやスケールについては作風に関わるものになるので特に意識しなければいけません。
作風に影響するのはメディア的な制限だけでなく、というよりむしろ、作者本人が接し、影響を受けた作品の内容がメディア特性に束縛されているからかもしれません。伊藤計劃という作家はゲーム『メタルギアソリッド』シリーズで有名な小島秀夫の大ファンで、ゲームのノベライズも手掛けていますが、伊藤が執筆中に亡くなり円城塔が引き継いで完成させた『屍者の帝国』のプロットは、サイズ、スケール共に『メタルギアソリッド』シリーズにかなり近い感触があるように思います。僕は『メタルギアソリッド』は1作目しかプレイしていませんし、他には前述したノベライズ以外では噂や伝聞程度の知識しかありませんが、それでも並みの映画より明らかに長く、それでいて飽きさせない、ブラフ、誤情報、偽りの目的、真の目的、裏の企み、最終的な決着、の後に訪れ直面する事態の意外さなど、逆転に次ぐ逆転、深まり続ける謎、謎、謎と、ゲームというメディア故のシーンのサイズ、展開のスケール感は理解しているつもりです。『屍者の帝国』は小説でありながらスケールや展開の量、物語構造の齎す印象は似ていて、嗚呼、作風というのはこうして限界も可能性も作るのだな、という感想を抱いたものです。
作品の構成は長く複雑にすればいいというものでもありませんが、メディアミックスが常套手段を越えて前提条件になりつつある(もうなっている?)昨今、メディアの特徴が作品のあり方にどんな制限を加えているのかという点を押さえておく重要性はいや増していると言っても過言ではないでしょう。
それまで描いてきた長さ、それから結末までの展開によって、「葛藤」のあり方や特徴、そのシークエンスの描き方も変わってくる。どうすれば盛り上がるのか、飽きさせないのか、キャラクターを魅力的に見せられるのか。また「何に」葛藤する事が世界観を生かす事になるのか。「どのように」葛藤すれば説得力があるのか。
敵モビルスーツを爆発させスペースコロニーに大穴を開けてしまってからもう1機の敵に駆け寄られる最中「爆発させないように倒さないと。でも出来るのかそんな事」と思うのか、長い散歩をして、あるいは長期旅行をして、遂に「仕事を辞める」と決めるのか。次の展開との繋がりを視野に入れつつ、管理しましょう。
スケールを感覚的に把握する為の方法としては、短篇から大長編まで、様々な長さの作品に触れる事が1つの手段です。単純に参考になりますし、1つ位大長編を身体に通しておく事でパターンを体感するのは決して無駄にはならないでしょう。凝った構成、変わった構成の作品もバリエーションを増やすのに役立つと思います。
ほとんどの場合、見た事も聞いた事もない未知のスケールの作品を作る事はとても難しく、知っている時と較べても負担が大きいので、量的にも構成的にも極端なものを味わっておいた方がよく、そうなるといずれ古典や名作を繙く事になるというか、それが如何に効率的かがよく分かるようになるでしょう。流石年月に耐えて語り継がれこの時代まで残った物は違う、という言葉が薄っぺらに聞こえる程度には感激なり衝撃なり、ありますよ。
次は「変身」「変装」辺りで。
続きます。
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