私はアイに共感できない―西加奈子著『i』
これまで私のnoteでは、好きな本、おすすめしたい本、お気に入りの本について綴ってきた。
今回取り上げるのはそれらとはまったく逆の小説だ。好きでもない、おすすめしたいわけでもない、むしろあまり好きになれない、苦手なタイプの小説と言えるかもしれない。
それなのに、これはなぜかすごく感想を綴りたい衝動に駆られた。
それが西加奈子著『i』だった。
幸せであることに罪悪感を抱く必要はあるのか
自分にとって何度も読み返したい、お気に入りの小説は、登場人物と自分に何かしらの共通点があることが多いように感じる。共通点や共感する点が多いからこそ、その人物に自分を重ねるため心が動かされやすい。もちろん共感しなくてもお気に入りの本になることはあるが、私のお気に入り本の半数以上は、"登場人物への共感"からランクインされている。
『i』には、この"共感"がなかった。
私は主人公のアイにまったく共感ができない。アイはシリアで生まれ、ハイハイを始める前に、日本人の女性とアメリカ人の男性の養子として引き取られた。裕福な家庭で、ずっと大切に育てられてきて幸せなはずなのに、アイは幸せであることを素直に喜べない。
自分が幸せに過ごしている間に、世界ではたくさんの悲劇が起きている。そうした悲劇から免れ、悲惨な現実を経験することなく、のうのうと生きている自分に罪悪感を抱くのだ。
幸せであることに罪悪感を抱く必要なんてあるのか。私はそんな必要はないと思う。幸せなら幸せでいい。それ以上に何を望む?自分の恵まれた環境に感謝し、それを受け入れ、幸せを噛み締めて生きよう!という私には、アイの気持ちなんてわかるわけがない。
アイの複雑な感情が胸に迫る
「この世界にアイは存在しません。」アイは高校の入学式の翌日、数学の教師に言われたこの言葉がずっと頭から離れない。この言葉はそれ以来ずっとアイの心を支配する。アイの心には常に、自分は世界に存在しないのではないかという恐怖があった。
アイの人生が描かれていく中で、この言葉は幾度となく登場する。
存在しない?そこにいるのだから存在してるよ!アイには血が繋がってはいないけど優しい両親、ミナという親友、ユウという彼氏がいて、みんなに愛されているではないか。必要としてくれる人がいるではないか。それこそがアイの存在意義ではないのか。なぜそんなに難しく考える?
鬱々としたアイに、私はちょっとうんざりしてしまった。
でも、アイからすれば"お気楽Happy"な私にさえ、共感することはできなくても、溢れんばかりの彼女の想いは強く伝わってきて、理解することができた。
他人に話すには難しい、言葉で説明することができないような、アイの葛藤、このモヤモヤとした複雑な感情が胸に迫り、強く訴えかけてくる。
アイ、虚数、愛、私。
様々な"i"をめぐり、存在するの?愛って何?と存在意義を問うてくる。
読んでいる私に向かって、本当に強く訴えてくるようだった。それだけ力強く、エネルギーを感じる文章だった。
アイが私ではなく、ミナやユウと出会えてよかった
私にはきっとアイを救うことはできなかったと思う。「難しく考えず、幸せを噛み締めて生きようよ!」なんて言っても、アイはそうすることができないから悩んでいるのだし、そうした言葉はいっそうアイを傷つけ、さらに深く悩ませることになってしまうだろう。
アイの親友・ミナは、アイの一番の理解者だ。出会って一目見た時から、アイの人格や想いに気づいていた。ミナがアイに送った長文メールは、アイの心の内を代弁してくれているかのようで、泣きそうになった。
アイが特に何も言わなくとも、ずっと前からアイの心を理解していたミナは、アイにとって最高の親友!ミナや彼氏のユウと出会えたことが、アイを救ったのだと思う。
ミナはアイを励ますわけでもなく、「悲劇に想いを馳せて考えることは大切なことで、向かい合ったからこそできることがあると思う」と話す。この言葉、アイにはぴったりだと思う。アイを傷つけることなく、ありのままのアイを肯定する言葉。私には思いつかなかった。アイの近くにいたら、ただ陳腐な言葉で励まそうとしたであろう自分を恥じたい。
アイが私のような人ではなく、ミナやユウに出会えて本当によかった。
心からそう思った。
孤独を知っている人は優しい
悲劇を想像する、他人のことを想えるアイは優しい。孤独と優しさは隣り合わせなのかもしれない。アイは素敵な人たちに囲まれて、実際には孤独ではないはずだが、どこかずっと孤独を感じていた。
孤独を知っている人は優しい人が多いように感じる。以前感想を書いた乙一氏の『暗いところで待ち合わせ』が良い例だ。あの2人も孤独でどこか優しさを持っていた。
私はアイに対して、「他人の悲劇ばかり考えても仕方ない」とか「マイナス思考に陥るから辞めた方がいい」とか、そういう言葉を言ってしまいそうだった。
ミナは違った。彼女もまた孤独と優しさを持っている。だからこそ、ありのままのアイを肯定する言葉が自然と出てくるのだろうなと思う。
アイもミナもユウも、みんな孤独と優しさを持つ、似た雰囲気を身にまとっているような気がする。
複雑な苦悩や葛藤、その末にある強い光
私とは性格も考え方もまったく違うから、同じ世界に生きていたら、互いに仲良くなることはないだろうと思う。私はアイたちを見て、もっと楽に生きたらいいのにな、なんて思いながら、話しかけることすらできずにいるかもしれない。アイたちは私を遠巻きに見て、お気楽な私を眩しく思うかもしれない。
物語のラスト、私にはアイたちが眩しく見えた。様々な苦悩や葛藤を経て、たどり着いた答えに眩い光を感じた。
アイと出会ってくれたミナやユウには感謝したい。人を性格や思考でタイプ別に分けたなら、私はアイたちの世界とはかけ離れた別世界にいると思うけれど、アイたちはアイたちのやり方で幸せになってほしいと願う。