見出し画像

あららん?ビジネスの話にときめく私・・・。面談が続く毎日の中で。

今日、noteを読んでいて、思わず知らずビジネスの話に関心を持っている自分に気が付いた。あらら?


先日から気付いていた。
開業してから、ビジネスについて何にも知らない私が、それなりに刺激を受けたくて、ある出版社のビジネス書を読んだり、あるいはちょっとした学びの機会に触れたりして、自分を教育だけの人間ではない成長をさせなければと努力していた。
とはいえ、おそらくは今日で終わりそうだけれど、指導についての面談が真っ盛り。
毎夜、指導を終えてから面談をする日が続いていた。
というのも内容は、この夏、どう勉強するべきか?という話で、決して夏期講習へのルートとしてではなかったのである。

成績と親御さんの意見と子供たちの気持ちをすり合わせて、必要なことは何なのか?ということを明確にさせ、必要ならば夏期講習に参加していただくが、そうでなければ、勉強する姿勢を作り、お家でどう対応していただくか?ということを考えるという場だった。

ただ、今回は意外なことに、面談をすればたいてい何らかの講習をお受けになることになり、結局自分の首を絞めているという状況になっている面もある。
まあ、指導は好きだけど。

およそビジネス的ではないなと思っていたのだけれど、とはいえ、結局のところ、ビジネス的な成り行きとしてもつながってしまっていた。(笑)

この数年、私にはプライベートでの動きがあり、かつてのように働くのは無理かな?と思ってしまったことがあった。そういう世代。
気持ちはまだまだ現役。これは当たり前。死ぬまで仕事する気満々。
大きな夢もある。これは自分事というわけではない。
もっともっと大きな視野に立っている。
これこそ、面談をしていて、お母様方のお気持ちや状況をお伺いしていて、将来的に絶対にやらなければいけないことだと思っている。

ところが、ここ数年は、自分の周りにある具体的な出来事に対して、具体的に動くことが要求されて、当然に自分の仕事にのめり込むことができなかった。
だが、私の悪い癖?
目の前にあることには全力で解決しようとする性質による行動が効を奏したのか、その具体的な動き方については、かなりの部分解決してきた。

ある人の、

ああ、治まったな!

という言葉を聞いたのは、昨年の五月。
心底一年良くやってきた、と思えたし、その後も小さな改善を続け、今に至っては、そのことがむしろ生活を楽しむことにつながっているというわけで、夫がうるさく細かく私に指示出しをし、夫や子供たちに合わせ切って動いていた時代をありがたく思った。

昨日も歯医者さんで、歯科衛生士の人に、勝手に、大変ですね!というような発言をされ、

そうか・・・。周りからはそう見えるわけなのか・・・。

と頭の中で笑っていた。

二年間、あれこれありながら、自分自身の調整もしながら、まあ、よくやってきたということになるのではないだろうか。

でも、数年前には心惹かれていたドラッカーなどの著作が訴えてこなくなってきていて困ってはいた。
私、どうしたんだろうか?
実際文学書も読めなければ哲学書に手を出すということもできなくなってきていた。
代わりにお料理に気が向いていた。

が、昨日インスタグラムで、懐かしの出版社の社長さんが語るのを拝見して、

ああ、慕わしい・・・。

と思っている自分に気が付いた。

毎日毎日成績と指導と勉強の仕方についての話ばかり。
どこにビジネスが入る余地ある?
という状態だった。

かてて加えて、最近、どうも思い通りにしたいというニュアンスの人がなんとなく多かった。
ご自分か伴侶が社会的地位が高いか、高いと信じ込んでいるタイプ。
実際的にお金がないのか?あるいはお金が必要なのか?
世の中的にも大変なことは知っている。
なんとか間隙を縫って、うまくやろうという調べ。
事柄的にはそんなことできないだろう?とシステム的に指摘を受けても、そういう人のやり方って巧妙で、思わずこちらが、

いいですよ・・・。

と言ってしまうような圧でやってくる。
素人がその現実に対面もしていないのに、あれこれ言えるほどのことではない。
これも私のビジネスをやる上で大きな学びであろうと思っている。
そういう態度にどう対処する?どういう言葉を用意ししておく?

ビジネスというのはおそらくbusyからの派生語であろう。
いや調べていないけど。(笑)
忙しいことは大好きである。
この忙しさが好ましいのは、もちろん金銭面の面白さもある。
がそれ以上に、ビジネスに関わっていなければ、関係なかったであろう人と話もできる。
金融機関の窓口にスーツを着て出向いたり、あるいはお越しになったりというようなことは、ビジネスをしていなければ経験できなかった。税務署の方や税理さんとも。
あるいは経営セミナーに行ったり、経営書を読んだりなどもビジネスをしていなければ経験できなかったことである。
本当に面白くて楽しい経験である。

でも、一方、ビジネスをしていて、私なら教育だけではなくて、その方面からいろんな人と出会って、それもお金を介しているからこその経験もできる。

なんとなくのニュアンス。
大手でなく、小さな塾だからもってこられる雰囲気。
ときには私が女性の塾長だからか、教室運営にかかわっている顔をし始めるお父様までいる。
いや、法学部出身のお母さまで(数的には結構おられたりする。(笑))、今自分がお金を生み出すことをしていないという悩みを聞き、かつての実績などもお聞きした挙句、自分のほうが仕事できるはずとばかりに、あれこれ口を出され、

私のほうが上なのに・・・。

という上から目線で話される方もいらした。

曰はく私をして、いつも菩薩様のような人と表現していたが、子どもたちは、

いや、先生のほうが母さんよりずっと怖い・・・。

と言うあたり、子供たちのほうが私のことをよく知っている。
私はその方を冷徹に客観的に見ていた。

お子様のお母さまへの気持ちをお聞きしていた時、

あなたのお母さまって、きっと私よりずっと仕事ができると思ってらっしゃらない?

と聞いてみたら、

ええ、思ってますねえ・・・。

ということだった。
地図的なことを伝えられたとき、

ああ、この人仕事できないな。

と思ったことがあったので、正直大笑いだった。

その方はあちこちのお子様の指導者とバトルしてこられたらしい。
その中で、若くて、事情を知って子どもたちへの愛情のある男性の先生だけがたまーにうまく指導ができていたらしい。同年代の女性とは相当にやり合ってこられていたという。
その時には、彼から私が指導を辞めたら困ると言われたので、お母様には相当思いがあったが(関係性を解消したい?)、その時はやり過ごすことにした。いや、仕事できるできない話ではなくて指導面である。

指導を離れて後、やはり受験としてはよくない結果であった。
正直やっぱりねえ、というものがあった。
その後また指導の依頼があったが、何とか回避した。

それから金融機関にお勤めのお父様。
勝手にコンサルタントやっているつもりになっていた。

お母様に話すと、

そんな、うちのはコンサルできる銀行員ではありませんので・・・。
失礼ですよねえ・

と夫婦なのに別の人を語るように話された。
おかしかった。

どうも、世間一般に高学歴、あるいは社会的地位が高い、あるいはお給料がいい、あるいは周りよりいいと思っていらっしゃる方にこういう方が多い。
大手になら言えないことをおっしゃる。
こういうの、ご自分の勤める組織でご自分がそれなりの立場にあり、本当にたくさんお給料をいただいている方には絶対にない現象である。
(卒業生に言わせると、コロナ禍やいろいろな経済的な大変さの中で、ちょうど一番影響の出るしわ寄せのある階層があるということらしいが、そのあたりにおられる人なのかもしれない。生活レベルは落とせないし、お金は掛かるし、ということのようである。彼女は高IQの人で、感情を入れずに冷静に客観的に分析してくれるので、時にめちゃくちゃ助かる。)

ということなどを冷徹に見ている。
あんたに偉そうにされる筋合いはねえんだよ・・・。
と、「昭和元禄落語心中」の菊比古さんが「死神」で語っていた口調で言ってみたい。
いや、クライアントとしてならある程度受け入れる。偉そうにされることくらい、まあ、何とでもなる。

おせーてやろーか?こちとら、その業界はよーくわかってるんだぜ・・・。ふふふ。

職責の高さも名刺を見ればわかる。
ああ、今この年齢でこのあたり?ふーん。

人をコントロールしたい人って、大体において自信がない。自分に。
自分自身に確固たる自信のある人は誰かに何かを言ったりしない。
要するに誰かをコントロールすることで、その人のやっていることを自分がやっているかのように感じて、何とか自分を保っているというわけでしょ?

かつて、旦那さんをエリートだと思い(とにかく思っておられた。)、お嬢さんがそこそこできること、お姉さんがある大学の医学部の教授の奥さんだということで、その話ばかりをし、それで私と張り合おうとするアシスタントがいた。面倒くさくて、それとなく話していてもわからなくて、その辺、その人自体があまり賢くない。私がお料理できると思ったら落ち込み、私を相当変わった人だと娘にも言っていたらしく(彼女によると、職責が高かったり、あるいはそこそこ勉強してきた女は変わっているというレッテルを張るものだと思われる。ならばなぜ娘を高学歴にしたいのか?)、

先生がお料理ができるというのはよーくわかりました。

と言われて、頭の中が???になったのを覚えている。(笑)

やっとわかったのか引いてくれたが(こちらから強く言えない事情があったから解雇できなかった。)、ある会合で、ほかのお母さま方にアシスタントをしていることを自慢している様子を見た時、私をバカにしようと頑張っているのに、周りには自慢?と呆れた。

職場の上司のことも上から目線で、

この人、ちょっと突いたら、わーんと泣き出すだろうな、と思って・・・。

と言っていたが、その後、彼女の言説の構造を知るや、

泣き出すのはあんたやろ!?

と言いたくなった。
相手にする時間がもったいないので、そんなこと絶対に言わない。

かつて、本当にうまくいったなと思った指導があったが、それは互いの仕事を専門として尊び、相手の胸を借りての指導になり、ものすごく充実感があった。

なんで、本来の目的以外のところであれこれやるわけ?
本来の目的を遂行するべきでしょ?

自分のコンプレックスくらい自分で何とかしようよ。
自分の機嫌くらい自分で取ろうよ。
誰かのふんどしで勝負するのはやめてよ。

というところである。

こういう人たちって、相手がある程度うまくいっていなければならないけれど、一方、自分が支配できなくては困るし、目の前でそれを見せつけられると、またおかしくなるという自己矛盾を抱える。
だって、どの道無理がある。
その自分に自信をもちたい手段が間違っているのである。
自分の中に力を培うという努力も手順も踏まずに自信をつけようったって、所詮無理じゃないかい?とここも菊比古さん登場になる。

こういう心理戦を経験できるのは、やっぱり経営をしているからである。
今頃になって、初めて、自分が女性経営者なのだということに気付いた。
これって、きっと女性でなかったならやらないだろうな、ということくらいは気付く。
それに品性。
どれほど社会的地位が高かろうと、良くない言葉を使い、巧みに相手を操ろうとするところなど、思い切り品性がない。

意外に、人を蹴落としてでも、と言われる受験業界であるが、品性のある人間が勝つ。
人の時間やお金を搾取し、嫌な表現をして嫌な思いをさせている人間が不徳を積み、罪悪をまき散らして、言いたいこと言っていて、勝てるほど甘くはない。
所詮受験は自分との闘い。
見守る親も、親としての自分との闘い。
親がしっかりしていると子供は安定する。
自分が不安定で、自分を立てるために子供を使おうとする親に成功があるわけがない。

というようなことを話してあげたいが、話す相手にも聞く耳も力もいる。
そこが教師の辛いところ。

お金をいただくことが最重要課題なら我慢もできよう。
だが、ここは教育の場。
何より精神を高めたい。
子どもたちを損なって、お金をいただくわけにはいかないのである。

そういえば、春から悩んできた生徒の進路が私がそうしかならないだろうと思われるところに落ち着きそうである。
思い切り周りを巻き込んで、たくさん嫌なことをしてきた生徒。
そういう生徒って、結局実力がないのである。
表面的にはよいのだろうけれど。
よほど気になっていたのか、面談が終わった人の翌朝、私の気持ちも体調もとんでもなく良かった。
本当に精神的負担だった。
教師なのに、若い人に良くないことをさせているという自覚も重さも抱えていたから。

とはいえ、ビジネスについての話がとんでもなく嬉しい朝であった。

ビジネスにも親業にも力がいるなあ。




もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。