共通テストの対策-古文・漢文は難化している。
ここ数日、連続して共通テストの古文・漢文の演習をしている。
正直、昨年取り組んでいたときよりも、難化しているという実感がある。
私たちみたいに専門にやっているものなら、そうそう影響も出ないだろうけれど、間違いなく、知識だけで解けるものではなくて、かなり思考力を要するものになってきていると思う。
私個人としては嬉しい。
知識偏重ではなくて、考えるのが国語の神髄。
とはいえ、大学受験生にとっては、ある意味パターン化し、勉強していれば確実に得点できたかつてのセンター試験の方が、勉強しやすいし、他教科とのバランスを考えると、やはり、負担が大きくなっているのかもしれないと思う。
もしかしたら、国語の重要性が今更ながら、注目されたのではないか?というように、2025年からか、国語の共通テストの解答時間が10分長くなるらしい。
むやみに受験生の負担を大きくするだけにならないように、指導したいものだ。
思考力と感性は、国語の読解には欠かせない。
国語の教師としては、なんで英語ばかりに注目するのか?なんでコミュニケーション能力ばかりを重視するのか?文献が読めてなんぼではないか?と、時代と逆行するようなことを考えていたが、とにかく国語教育の重要性をもっと叫びたい。
自分の心の中で起こっていることも、なんか変だと感じていることも、言葉で説明できなければ、また、もう一歩踏み込んで、言葉で、状況や状態を定義することができなければ、何も言えない。
なんか嫌なんです・・・、では意見は通らないだろうし、自分の身を守ることにはつながらない。
言葉の重要性。言葉の意味を知る大切さ。言葉を駆使するだけの経験と読解力。
日本人なのだから、たぶん世界一美しい日本語を大切にし、その言葉を使って、いざとなったら自分を守る力も持ってほしい・・・。
などと思いながら、中学生に公民の、基本的人権のところなど解説している。
本当は現代文の評論を語るのが一番得意である。
ああ、国語への想いは・・・。
かのドナルド・キーン(帰化したから、キーン・ドナルド先生?)博士がおっしゃったというように、日本人にとっての一番の宝物は日本語だと思う。
美しい日本語を、正しく使えるようになって、時には、味わいだけではなくて、しっかり自分の身を守る手段としても使えるようになっていってほしい、と思いながら、生徒さんたちと接しているのである。