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今を生きよう❣️ー一期一会

あっけなく先に死なれること、数回。

それも結構重要人物。


小さいときに、かなりの重要人物の死に出会い、私は、いつの間にか、死についての感情を封印せざるを得なかったのかもしれない。

そのことで特別扱いされたことなどない。私には、そんな時間なかった。こんなことを言うのは甘い?

だからか、昨年、大切な人を亡くされたばかりの人に、全く思いやりをかけない、周りの人を見て、驚いてしまったことがあった。

一人の人の死は、その人を喪失した、だけでは済まない多くの状況を変える。たまたま知った、高校時代の先輩も、身近な人の死を受け入れるために、頑張って生きておられるように見える。

わりと身近で、結構重要人物の死に直面してきた。

大事な大事な仕事での大先輩。

一緒に学校に通っていた友達。

クラスメイト。

同僚。


いつの日からか、ある人の死で、あまりにも後悔しているからか、私は、感謝の気持ちや謝罪の気持ちを伝えることだけは、さっさと早めにしておこうと思っている。

一昨年、父を亡くしたときには、後悔がなかった。父には、感謝も伝えていたし、闘病するにあたり、私なりの精一杯のこともできた。

たぶん、最期のときに、そばにいる母はさておき、父は、私のことを想っていたように感じるのである。

それまでに亡くした人への後悔の気持ちがあったから、だから、父のときには間に合った。

年齢なんて関係ない。

明日、自分が、今いる場所にいる保証はないのである。

周りの人も。

大事な人を亡くして、ひとときどうしていいかわからなくなる、そんなときを、わかる、なんてことはできない。

でも、できないにしても、なんとか寄り添うことができたらなあ、と思うのである。

あまりに月並みかもしれない。

でも、人は、今、この一瞬を、次はない、同じときは二度とない、という気持ちで生きなければ、と思う。

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