タイミングに恵まれるということ。
最近、ほぼほぼ直感で動いている。
何も考えないようにしている。片付けるべきことがたくさんあるので、順番を考えるよりも、ふと気づいたことを実行する方が大変に効率的で、タイミング的にもうまく行くのである。
なんだかすべてが前に進んでいる。気がかりであったことが、サッと動いて、わずかな時間で片付き、なんだかホッとしたことがいくつあったであろうか?
今日も一つ片づけた。思ったときに電話して、何度も折り返しの電話などがあったけれども、それに対応していたら、今日、片付けられることに気づき、ササッと行動したら、もう後は2か月後を待てばいいということまでわかったし、何よりそれまでに何をするべきかということまでわかったのである。
開校した時もこんな感じだった。何もわからないから、連絡のあった人にとりあえず会ってみて、ああ、こういう世界なのか・・・?と、慣れ親しんだ教育の世界の違う一面も知った。ビジネスとして行うときにはこういうことをしなければならないんだな、という感じである。
今もそうである。何にもわからないから、周りに訊いて、一つ一つ片付けている。そうすれば、とんでもない勢いで片付いていくのである。
何にも整理もしていない。ただ、気づいたことを気づいたように片付けているだけである。
気がかりなことはできるだけもたないようにしている。いつもあまり気がかりなことをもたずに、目の前のことに専心できるように心掛けている。
それにしても、私は仕事が速いらしい。が、本人はできていないことばかりに目が行って、どうもそうは思えない。
周りの要求にできるだけ応えようとするところがあるのかもしれない。
それについては要反省かもしれないが、片付けていくことが好きである。それに、ほんのちょっと前のように、私が一寸ばかり気がかりであったことは片付いた。あとは仕事をするだけである。大好きな仕事にのめればいいのである。のめれない理由があったよなあ・・・、と今となっては思わされる。
いつも心のどこかに引っ掛かっていて、片付けなくちゃ!と思いながら、どこかで引っ掛かるものがあって、勇気が出せずにいた。
人間関係的に怖かったのかもしれない。一度はちょっと大変なところを通らなければならなかったから。非難されるのは嫌だし、喧嘩したくもない。できるだけ穏便に、とは言っても、そうはいかない。対立もしなければならない。それを避けてすべてが進むほど世間は甘くない。
だいたい誰とも対立せずに、みんなと仲良くは、無理である。
それをいい年して、なんとか仲良く・・・、と思ってしまいがちなところはどうしたものか・・・。
みんなに好かれる方法はない。
ということでとんでもない勢いで片付いているというお話でした!
片付け好きなの?
と自分に問うている私。
かつて、心のどこにも片付いていない部屋がない人、と言われた。これは良いことなのだろうか?それとも・・・?