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どこからが毒親?わたしの場合
こんにちは!
毎日明け方に必ず尿意で目覚めてしまうのでぐっすり寝た気がしないなあ〜
ひまなひとちゃんです!
今日は親について。
※暴力的な表現が出てくるので苦手な方は見ないでね
たぶん若干毒親
父は昔ながらの亭主関主義者。
母は過干渉な専業主婦。
小さい頃にちょうどわたしが反抗期を迎えたぐらいから
家庭は荒れ始めて、怒鳴り散らす父の姿や
それによってパニック発作を起こす母の姿を何度も見ていました。
それによってわたしの反抗もエスカレートし、
「くそじじい!」と言ってしまったり
ちょっと悪い友達と仲良くなったりしていました。
わたしがこんな風になったのは「おまえのせいや!ちゃんと躾してへんからこんなんになってるんや!おまえがもっとちゃんと躾しろ!」とわたしの目の前で父は母に暴力を振るっていました。
一番記憶に残っているのが母の頭を鷲掴みにし、食器棚に打ち付ける父の姿。
こわくてこわくて、でも自分のせいだと責任も感じていたので
心臓が破裂しそうになりながら「やめて!やめて!」と叫んだけどその声は届きませんでした。
暴力を振るって気が済んだら大体ヘラヘラしながらバツが悪そうに「まあ〜ほら、母さんの面倒見てあげて〜」と子供たちにボロボロの母を渡してきました。
パニック発作で過呼吸と嘔吐でお風呂の桶に突っ伏す母に泣きながら寄り添っていました。
今でもフラッシュバックして正直しんどいです。
当時の日常の記憶があまりないのに対して辛かったことはやたらと鮮明に覚えています。
兄と「警察に言ったほうがいいのかな?でもそしたらどうなってしまうんだろう…」と話していましたが、幼いながらにこんな家族でも崩れてしまうのが怖かったです。
毎晩聞こえてくる父の怒鳴り声と母の泣き喚く声に「おれ、お父さんのこと○しちゃうかもしれへん」と兄がぽつりと言ったこともあります。当時小学校高学年か中学に入ったぐらいかな?このへんも記憶が曖昧です。
何度かわたしも殴られたことがありますが、それよりも母の姿が強烈で忘れられません。
母の強さ
看護師だった母は結婚してから専業主婦になりなさいと職を取り上げられ、実家から離れた父の地元に半ば強制的に引っ越しました。
実家が貧しかった母は早く家計を支えるために看護師になったみたいです。
しかし義母からは「金目当てで結婚したんやろ」とずっと虐められてきたと言います。
結婚するまでは夫婦仲が良かったみたいですが、結婚して蓋を開けるとマザコンで祖母の言うことが全て!両親のために医者になった父はすべてを支配されていました。
病院のお金の管理も祖母がしており、わたしの母に渡されるのは最低限の生活費。
家のことはなにひとつしない父と、3人の子供のために知り合いのいない土地でたった一人で頑張って育ててくれました。
不便な場所なのに車もない、自転車やバスだけで子供3人を連れて買い出しに行ったりしていました。完全にワンオペ。
特別な行事以外で実家に帰ることは許されておらず、頼ることもできなかったみたいです。
先述したような環境でも絶対に子供たちが大学を卒業するまでは離婚しないと心に決めていたそうです。
大人になってから思うこと
いろんな家庭環境があるなかで、
個人的にはなんてダメな家族なんだろうと思うことがあります。
子供のために親が我慢することって
実際はそれがみんなの幸せに直結するわけではありません。
わたしはアラサーになった今でもフラッシュバックで苦しくなったり、メンタルが不安定だったり、「自分がこんなんなのは親のせいだ」と思ってしまったり。
いまだに男性の声や父のしていたイビキも苦手で動悸がします。
一度、新幹線で同じ車両に居合わせた男性たちが大きな声で喋っていただけで怖くなって過呼吸になったことがあります。
イビキも苦手で、夫のイビキが聞こえるとバクバクして眠れません。
本当に家庭環境が子供に与える影響は計り知れません。
子供のために理不尽な色々と戦っている人は
子供のためにその理不尽から離れることも大切だと思います。
わたしは今でも父が嫌いで憎いですし、早くぽっくり○んでくれないかなと思ってしまいます。
だけど大人になって実家を出てから別の感情も生まれました。
父も被害者であるということ。
被害者の父
開業医である(わたしから見て)祖父とそれを支える祖母からのプレッシャーは計り知れません。
男3人兄弟の長男である父だけが医療の道へ進みました。
必然的に実家の医院を継がなければいけません。
期待とプレッシャーのなかひたすら勉強ばかりしてきて、人間性が欠如するのは容易に想像できます。
高齢の父ですが、友達の話をひとつも聞いたことがありません。
会話をしていても、人の気持ちを考えられない性格で自分の言うことが全て正しい。そんな人です。
祖父が亡くなったあとは父ひとりで実家の小さな医院を守らなければならなかったので、祖母の支配からは逃げられません。
そんなときに子供が反抗期。
一生懸命家族のために働いて帰ってきて、くそじじい!と言われたらどんなに腹立たしいことか。
「誰のおかげで飯が食えてると思ってるんや!」と何回も怒鳴られたことがあります。
今もしも夫にそんなこと言われたら「誰のおかげで毎日綺麗なスーツ着て温かいごはんが食べられると思う?」と言い返す自信がありますが、
父のおかげで奨学金なしで大学も卒業後し、在学中に海外留学までさせてもらいました。実家にいたときにお金に困ったことはありません。
二人いる兄も大卒、もう一人は大学院まで。
自分だったらこんなに稼ぐことはできないし、何十年もひたすら逃げ道のない実家での医院で働くことなんて絶対できない。
父が私たちにしてきた酷いことは絶対に許せないけど
たとえ世間体のためでもお金に困ることなく育てられたことには感謝しています。
わたしは「父はお金でしか愛情表現ができない人」だと思っています。
今でも実家に帰ると必ずお小遣いをくれます。
いつかくる父のお葬式で、自分は憎しみや労い、そして解放感から複雑な涙を流すんだろうなあ。
さいごに
複雑な感情は書ききれないし、
もっと酷い人間なんてたくさんいるけど
こどもにしかわからないこと、大人にしかわからないことってある。
当時は誰にも話せなかった。
みんな幸せそうだったから。
でも大人になっていろんな情報に触れ、自分と似た環境で育ってきた人もいるんだなと知れたことでほんの少しだけ救われました。
世の中もっともっと大変な人もいる。
「まだマシだよ、全然大変じゃないじゃん」
そんな言葉よりも
「よく頑張ってきたね、よく生きててくれたね」
と自分を褒めてあげたいし、みんなもそうしたほうが心が少しだけ楽になるかも知れない。
家族と縁を切ったほうが幸せならそうしたらいいと思う。
辛い時こそ自分本位になっていい。
わたしは高齢の両親に対し、あの頃の時間を取り戻すようにいまは再構築したいと思ってます。
今はもうだいぶ丸くなったからね。
せめて両親がいなくなるまで少しでも良い思い出を作ってから見送りたい。
まだまだ時間はかかると思うけど、それがわたしの毒親との向き合い方です。
たくさん端折ってるから家族の変化やわたしの心情の変化について触れ切れない部分が多かったですが、記録として残しておきます。
ここまで読んでくれたひと、ありがとう。
スキ、フォロー、コメントなど嬉しいです。ありがとう!
以上、ひまなひとちゃんでした!