うつ病患者の子育て
一番上の男の子は元妻の連れ子で1歳の時から離婚する11歳までの10年間を一緒に過ごした。今でも私の大切な息子だ。
二番目の女の子は離婚しても私のもとに残り、生活保護を受けるようになってしまうまでの16年間を一緒に過ごした。男親一人で女の子を育てるのは色んな苦労があったが、そんな苦労も気にならないくらい可愛い娘だ。
末っ子の男の子は離婚するまでの2年間と、8歳からの5年間で計7年間を共に過ごしている。勉強は決してできるとは言えず、片付けも苦手な子だが、誰よりも優しい心を持った息子である。そして今は私と末っ子の男の子の二人暮らしである。
三年前から鬱の症状がひどくなり、仕事も出来ず二年前に生活保護を受給するようになる。女の子はちょうど思春期で生活保護を受けることが恥ずかしかったらしく、元妻の所へいってしまった。末っ子はどう思っていたのかは分からないが、今でも私のもとにいてくれている。
末っ子が8歳で私のところに来たのは、保育園時代から小学校3年生の途中まで不登校が続いていたからである。元妻も、もうお手上げ状態で私に預けたのであった。最初の一年間は苦労の連続であった。毎日一緒に登校し、帰りは学校まで迎えに行く。行きたくないと泣き叫ぶ息子を何とか言いくるめて登校させる。休みがちだったが、気の合う友達が出来たのをきっかけに次第に登校班での登下校も出来るようになっていった。
それとは逆に私はというと家庭でのストレス(娘が思春期であったり息子の不登校等)や仕事でのストレスが大きかったのか、徐々に鬱の症状が悪化していくのを感じていた。子供と話をすることも減っていき家庭内で苛立ちを隠せなくなってきていた。もちろん、子供に手を挙げることだけは絶対にしないと強く思っていたのでそれだけはなかったのだが、家庭内から笑い声というものが確実になくなっていった。
まだ子供なので完全に理解はできないかもしれないが、私はうつ病について子供たちに詳しく説明した。わからないなりに、子供たちは私に気づかってくれていると感じるようになった。娘はたまに家に顔を出しに来てくれて、私の体調を気遣ってくれているのがよくわかる。末っ子はなるべく私に負担をかけないように、食事などもあまり難しいものは頼まなくなり、冷凍食品で済ませることも多くなっている。私は本当に可哀そうなことをしている。
他人から言わせれば、私の子育ては不十分なのだろう。子育てをする資格はないと厳しい言葉を投げかけられても不思議ではない。ただ、これは人には伝わらない事なのだろうが、私は他の誰にも負けない愛情を子供たち一人一人に持っていると思っているのだ。その愛情があるからこそ、うつ病に負けまいと何とか踏ん張ることが出来ている。今の私には贅沢をする金もなければ、何かをする気力も体力もない。子供を喜ばせることも、楽しませることもできない。ただ息をして生きているだけなのである。何故自死を選ばずに生きているのか?それは『子供の成長を見ていたい』これ以外の答えは見つからない。
子供からの電話や、学校から帰ってきた時の楽しそうに話す声を聞いていると、うつ病の症状が軽くなっていくような感覚になってくる。それを感覚だけではなく、本当にうつ病を克服するように、少しづつでも前を向いて足を踏み出したいと思う。