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母の日

今日は母の日だそうだ。私には母の日の思い出はない。母と一緒に暮らしていたのは9歳まで。母の日という存在を知ったのは小学校に入学してからだろう。

私は物心ついた頃には日常的に母から虐待を受けていた。母が私にすることは年がたつにつれてどんどんエスカレートしていった。そんな母の事が私は怖くて仕方なかったことはよく覚えている。

小学生の頃、母の日には造花のカーネーションが学校で配られ、母親への感謝の気持ちを込めて似顔絵などを書くという事が授業の一環として行われていた。それを持ち帰って母親に渡すのだ。私はそれを渡したことは一度もない。一応授業なので似顔絵や感謝の言葉は書きはするが、帰り道にあるごみ箱に似顔絵もカーネーションも捨てていた。

私はだいぶ前に離婚しているので、私の子供たちも母の日には縁がなかった。娘は高校生の途中までは私と暮らしていたし、息子もずっと私と一緒で今は二人で暮らしている。子供たちの中では母の日には何もしないのだから父の日にも何もしないというのが定着していて、父に日に何かを貰ったという事もない。子供がそういった考えになるのももっともだと思う。

今は以前と比べて様々な家庭の形がある。ひとり親の家庭も普通であるし、両親ともいない家庭も少なくはない。私自身9歳からは祖母のもとで暮らしていた。

私は母の日や父の日といったことに否定的なわけではない。自然と感謝したくなる家族構成ならばそれはそれでとても素晴らしい事なのだと思う。しかし、そうではない家庭もあるという事にも少しだけでも配慮があっていいとも思っている。そういったイベント向けの商売などは仕方ないが、学校などでの半強制的なやり方には疑問を感じてしまう。親に感謝をするという事を教えるのはいいが、感謝できるような環境ではない子供たちも増えてきているという事にも目を向けてほしいと、ふと思ったりもする。

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うつ病父さん
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