★常世の荊に月の歯車を
いくつもの鮮赤の月が連なり、棘のごとく空へ突き刺さる常世の夜。
悪しき魂が堕ちると伝えられた永劫の夜を支配する女王は、謁見の間で愛しき配下たちがもたらした趣向に目を細める。
ダリアの意匠も華やかな深紅のドレスをまとう彼女が玉座から愛でるのは、広間を埋め尽くし咲き誇る漆黒の薔薇だ。
「我らが主君に捧げます」
恭しくかしずく人狼の騎士団長に、女王の笑みは一層深まる。
「今宵の花は格別に美しいこと」
告げれば、傅く魔物たちが一斉に歓喜で沸いた。
「おのれ、おのれっ……おぞましきものどもめっ」
荊に囚われ、もはや養分となりつつある勇者と名乗った"贄"たちから滴る呪詛すらも、新たな黒薔薇を開花させる糧となる。
「貴様の罪を……っ! 神は決して赦さない!」
しかし、どれほど神への冒涜だと糾弾しようとも、非道だと罵ろうとも、その声が女王の心へ届くことはない。
「神の使徒、勇ましきモノ……力及ばず、わたくしたちに囚われし哀れなる方々」
ただ、女王の怜悧にして畏怖たらしめるダイヤモンドの瞳が、凍えるほどに硬質な光を乱反射するにとどまるだけだ。
「振りかざした正義がただの暴力になり得るのだと、力を振りかざしたからには反撃されることもあり得るのだと、それを理解し、討伐の役目を負われたのではありませんこと?」
神の叛逆者。
傲慢と強欲の罪により、光の楽園から追放されしもの。
そう彼女を呼ぶ者たちが振りかざしたチカラは、彼女の部下の手により握りつぶされた。
「ああ……もしかするとあなた方は、神の加護とて生半可な光ではここへ届くまえに呑まれて消えることをご存じなかったのかも知れませんわね」
憐憫を乗せた声で、ほう、と溜息をひとつ落とす。
現世で神に選ばれしものと認められたところで、常世では力なきものへと成り下がる。
そして、加護を過信した人間たちのことごとくが同じ末路を辿っていくのだ。
「そういえば以前には、"なぜこのような真似をするのか"と問われたけれど……あの時は、理由などないと答えるしかありませんでしたわ」
武器を手にし、敵意を持ち、彼らはいつでも、一方的な隷属を要求してくる。
己の立つ位置を変える気もないままに真意を問われたところで、他の価値観を受け入れるつもりのない者にいったい何を語れというのか。
「あら?」
女王のわずかな思案の合間に、勇者たちは薔薇の中に呑まれ、消えていた。
「神の加護を受けてらっしゃるのに、脆く儚い方々ですわね」
黒薔薇に身体どころか魂さえも侵され完全に取り込まれてしまった存在が、現世たる陽の元へ帰ることは叶わない。
そして、神の御許へ還ることも。
咲きほこる花びらを指先でなぞれば、黒薔薇は応えるように優美な光を纏い、朝露のような雫を生んだ。
それは女王の指先から滴り落ちて波紋となり、やがて魔法陣を描きだす。
この城の地下深くで眠る、荊と月の涙で作られた異形の歯車へチカラを与えるために。
「わたくしのために、ありがとう」
手向けのように嫣然と微笑めば、呼応するように、城にそびえる巨大な銀のカラクリ時計が常世の空にむけて盛大に鐘を鳴り響かせる。
魔物たちが再び大きく沸いた。
女王を讃え、勝利を歌い、その熱は甘美な酔いとなって宴という形へと移りゆく。
その姿を見つめる女王の瞳に歓喜はない。
けれど、やわらかく愛おしげな色はにじむ。
しかし、そのやわらかな温度もすぐに消え、彼女の瞳は再び凍りついてしまった。
「……今宵は不純物がよく混ざること」
唇からこぼれる言葉を受けて、女王のドレスがダリアから夜空を織り込んだ黒百合へと意匠を変える。
「女王陛下、麗しき常世の王、今宵の勝利をぜひ我々にも祝わせてください」
衛兵を押しのけるようにして玉座の前に進み出てきたのは、媚びた声と態度で跪きながら、侮りの色濃い視線を持つ男だった。
常世と現世の狭間で商う種族。
現世の澱みから生まれ、こちらの位相へ無断で入り込んできては、ぞろりとした声で利を説き、援助と称した商談を差し出してくる矮小なるものたち。
己の利のみを追求し、時に常世の者たちをもその利益のために蹂躙する、神の使徒よりもはるかに不快な存在だ。
「おかしいわ。わたくし、いつあなた方がここへ立ち入ることを赦したかしら?」
「そ、それは」
笑顔を貼り付けた男の顔が一瞬大きく歪んだが、引き下がるつもりはないらしい。
「いえ、いえ、神の使徒が女王の城へ向かったと聞きましたゆえ、何か我ら一族もお力になれるのではと。次の襲撃に備え、新たなカラクリの術も考案したしました。兵士たちのチカラを増幅する薬もここに! 能力の足りないもの、力を落としたもの、戦えぬモノたちを不死身の兵器へと作り変えることもできるのです!」
「わたくし、いつそのようなものが欲しいと願ったかしら?」
「女王陛下の悲願を我々は知っているのです! そのうえ、神の使途の中には英雄覚醒の動きもございます。彼らは脅威となる、ならば決意せねばなりませんか、女王!」
「あなたはわたくしに、これが利だと告げてくるけれど、わたくしがそれを利だと認め、受け入れるかどうかは別のお話ですわね」
何よりも女王を不快にするのは、女王の愛するモノたちを使い捨ての道具としか見ず、それを隠そうともしないどころか、共感を求めてくる男の言動だ。
「そのような醜悪かつ軽薄なものをわたくしが望むと思い、差し出してくる精神性が、理解し難いのですもの」
美学も矜持も信念もなく、己の欲のために他者を陥れながら示す言葉たちが、どれほど空々しく虚しく響くことか。
「それに、花は枯れゆく姿もまた美しいものよ。それを理解できないものをそばに置く気はありませんの」
花の蜜のように甘く豊潤な笑みをたたえながら、その唇に死の宣告をのせる。
「なによりも、ねえ、あなたたち一族が神の使徒を手引きしていることにこちらが気づいてないと、本気で思っていらっしゃるのかしら?」
一度目は警告した。
二度目にはこの者の遣いを帰さなかった。
そこで己の過ちに気づけたのなら、まだ救いもあっただろう。
けれど、彼は気づけない、理解し得ない。そうしてこちらへと三度姿を現した。
ゆえに、終わる――終わらせられる。
「あとはお前たちに任せるわ」
「御意」
その意を汲むように、配下たちの間を縫うようにして荊棘がするりとその腕を伸ばした。
命乞いすらも煩わしい。
首を刎ねたりしない、おのれの労力は使わない、けっして視界に入れない、意識の端にも置いておかない。
ただ、徹底的に抹消しておく。
一切を焼却し、滅却し、そして忘却する。
「陛下! どうか、陛下!」
ようやく己の置かれている立場を、その危機を理解したのだろう声が縋り付いてくるが、女王が振り返ることはなかった。
多面体に煌くダイヤモンドの瞳を持つ女王が向かうのは、王の間から鏡を経て降りる荊の地下迷宮だった。
女王だけが辿り着けるその最深部の部屋には、淡く光を灯す月光華に囲まれた水晶の棺が横たわっている。
「わたくしの愛しい方……」
棺に寄り添う女王の瞳が揺れる、愛しげに悲しげに切なげに。
恋情の熱を帯びて、彼女のまとう"花"は黒百合から限りなく黒に近しい深紅の薔薇へと変わる。
「あなた様のお目醒めを、わたくし、きっと果たしてみせますわ」
天上で魂を結びあい、死がふたりを分つとも愛すると誓った存在が永劫の眠りについている。
自身が神の求愛を断ったがために奪われ、そして、神から奪い返すために兵を率いた。
その代償はこの身の堕天。
そして、彼の魂はいまだ神のもとに幽閉されたまま。
けれど、でも。
神を討つその手筈は、愛しきものを神の手より真実取り戻すための戦いの準備は、いかなる妨害をも排しながら粛々と進んでいく。
そうして、この常世の夜の地下深くで、運命の歯車は、神の使徒たちの魂を飲み込みながら、ゆるりと彼女の願いへ向けて巡り続ける。
了
***
◆オーダーメイド物語:
あなたのイメージで綴るこの世ならざる世界の物語
▶︎ご依頼内容:
以前物語ライター企画で書かせていただいた「悪役」をテーマに、「花」と「ダイヤモンド」をキーワードとしたご依頼でした。
気高い美しさと矜持を美しい言葉とヴィジュアルでお送りしたいと綴らせていただきました。