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人間そっくり

油断も隙もあったもんじゃないのに君たちときたら、油断も隙も作り過ぎなんですよ。

小さい頃なんかは「この世界は実はゲームの中で、"ゴーグル"を外したら本当の世界が広がっている」みたいな妄想をしていたりしました。そういう人も多いのではないでしょうか。私は割とこれに近い思想が、いまだに現役で存在しています。だってそうじゃないですか。ここが「本当の世界」だと証明するものなんて我々の手元にはないでしょう?科学とスピリチュアルの共存を許しているくせに往生際が悪いですよ。

何を嘘にするかは自分の自由です。何を本当にするかも自分の自由です。でも信じ過ぎるのも身体には悪いと思います。なんで違和感を持たないのか、なんで1ミリも持たないのか、という事柄が沢山あります。(信号が青なら、車は止まってくれる。そうですか。じゃあ渡ったらどうでしょうか。)

では、私が今、「じゃーん、実は私、ハマチでしたー」と言ったらどうしますか。笑うか、呆れるか、なんか始まったなって、何かしらこの台詞を否定するような気持ちになるかもしれません。とはいえ、初っ端からノータイムで受け入れられても、それはそれで怖いですけどね。でも私、本当にハマチなんですよ。今度は語気を強くして言ってみました。どうしますか。優しいあなたなら、信じたテイで会話をしてくれるかもしれませんね。こうなるともう、私がどれだけ街裏ぴんくさんばりの「ほんまなんですよ!」をお見舞いしたとて、信じてもらえないでしょう。「見た目が人間すぎるだけで!」と言ったら微笑んでくれるかもしれません。完全に詰みました。可哀想に。

本当なのに信じてもらえない状況のもどかしさときたら、考えただけで頭おかしくなりそうです。誠心誠意伝えているのに、手応えがまるでないのです。声を大きくしたって無理、相手に寄り添っても無理、懇切丁寧に理由を述べても無理、何をしたって無理、声が届かない恐怖、どう頑張ったって、自分の力ではどうしようもないこと。こうなるともう、信じてもらう為に何をしでかすか分かりません。(そんな状況にもし出くわしてしまったら、その相手をもっと恐れた方がいいかもしれませんね。)でも一体、どこにこの気持ちを発散したらいいのでしょうか。物に当たるのはよくないです、人に当たるのはもっとよくないです、自分に当たると自傷行為です。私の場合は、誰にも何にも迷惑をかけないように当たろうと、一度自室でのたうち回ったことがあります。その時は、背中を下にして寝そべり、両腕と両脚をバタバタさせました。別に何にもならなかったのでお勧めしません。発散し切る前に疲れて筋肉が痛くなって負けてしまったので、むしろ虚しいです。こんなことも満足に出来ないのかと

もし、動物たちも人間に対して、このような伝えられない苦しみを持っていたとしたら、とよく考えてしまいます。何かを言ってくれているのに、こちらがそれを読み取れない。向こうは堪らなくなると噛んできたりしますが、それは私が悪いです。逆にこちらの思いを伝えることも難しいです。遊んで〜とおもちゃを持ってきてくれても、「今忙しいからちょっと待ってね、本当に後で絶対に遊ぶから」と言葉で伝えても駄目です。噛む噛むです。噛んで発散してくれるならまだいいです。床におもちゃを置いてじっと待っている姿を見るのは心が痛みます。どうにかして伝わってくれれば、と思うのですが、どうしようもないんです。色んなことが、どうしようとない。どうしようもないと諦めたくないと思ってしまうことが悪なのです、きっと。理不尽なことに対してもそう。これを「大人になる」と呼びます。

自分を守る為に、沢山の嘘を吐きます。私は否定癖がついていたので、イエスマンになることにしました。(それも、ジムキャリーの『イエスマン』に影響を受けてです。)面倒くさい依頼がきても受け入れて、意見が違っても受け入れて、最初は自分に嘘を吐きました。次第にそれにも慣れ、考え方が変わりました。いや、変わったと言うより、考え方が増えました。人の気持ちを慮ることが出来るようになったのです。そういう感情がようやく芽生えました。(ラッキー!)器用さを手に入れたことで、根本的な否定を肯定で隠し、綺麗な所だけを見せられるようになります。ここからは、相手にも嘘を吐くようになりました。駆け引きです。どうやら、こういうことが蔓延っているようですね。上手いこと物事を進める為の駆け引きならまだしも、他人を陥れる為に人を操る場合もあるのが怖いです。あんまり他人を信用して、自分の情報をべらべら話さないでおこうと決めました。

でも信じたいことだって沢山あります。与えてもらえた優しさや向けられた笑顔が、嘘だなんて思いたくありません。嬉しいとか、楽しいとか、幸せとか、欲張りです。論理じゃなくて感情、都合が良いことこの上ない、けれどそうやってやり過ごしていきたいです。

ところで私はハマチなんですよね。
別に信じてもらわなくて結構です。しかし、私がハマチである事実は変わりません。ただ、私がハマチだということは、あなたの周りの人々がハマチである可能性があるということ。ひいては、あなたもハマチだったりするかもしれません。そもそも、ハマチや人間、その他様々な事象を覚える時点で既に間違った情報を与えられているかもしれません。私の好きな芸人さんのネタに、そうった内容のものがあります。それに、あなたの完全なる生活はあなたしか知らないように、他人の完全なる生活を知ることは出来ません。今、生きている世界ないし信じてきた理が全部あなたの思い込みだったとしたら、残念ですね。

以上、
安部公房『人間そっくり』を読んでの話でした。

馬場光

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